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コチ 3–2 最終回
パタパタパタと不器用に空を進むコチ。
不恰好であるがこれがコチの全速力だ。
「じゃあ。コチだけがあの場所に花が咲いている事を知っているんだね?」
ポン太は言った。
砂煙はすぐに、空を飛ぶコチのところにまでやってきた。
何かがぶつかり崩れる音が聞こえる。
無表情の怪物が周りを気にせず轟音を立てている。
容赦なく建物を破壊していく。
高いフェンスのせいで、その下がどうなっているのかが分からない。
また、重いコンクリートがその下に崩れ落ちていく。
もう少しだ。
コチが何かに気が付き、空を見上げると太陽はいる。
「お日様は、そばにいてくれるから。」
花の声が蘇る。
「そうだよな。」
太陽も知っていた。
あそこに小さな花が咲いている事を。
太陽の眼差しを砂煙が邪魔をする。
あんなに大嫌いだった太陽。
コチはボソッと呟いた。
「お前はずっとそばにいたんだね。」
それは急に訪れた。
「あれ?」とコチの羽が突然、動きが鈍くなった。
苦しい。
そして、あの恐ろしいコマーシャルがコミカルにコチに笑いかける。
ポン太が必死にこじ開けたドアの隙間から、仕事に貪欲な殺虫剤がコチの羽を追いかけていたのだ。
コチの体はしびれ、枯葉のようにひらひらと地面に落ちていく。
道路の片隅、コチが落ちていく場所には、冬の忘れ物、春の訪れを見る事のなかった落ちた枯葉がまだ残っていた。
落ちるコチ。
枯葉に乾いた音がなる。
ぐるぐる回る景色の中、コチの耳には、工事現場の重機が何かを破壊する音が鳴り響く。
「くそお。くそお・・」
枯葉に埋もれるコチから聞こえるかすれた声は、工事の音で簡単に消された。
「ポン太。あのCMは嘘じゃなかった。あの殺虫剤は、かなり効いたよ。」
ぐるぐる回る視界の光がどんどん遠ざかり、暗闇が堕ちていくコチを迎える。
「ホリデイ。やっぱり俺は、ダメだな。」
枯葉に紛れたコチ。
意識は暗闇に消えていく。
(光?)
眩しい光がコチを包む。
(ここはどこ?)
(天国?地獄はやめてよ?)
コチの前に懐かしい景色が広がる。
(ここは、あそこだよな?)
(なんだ。思い出しているのか。)
コチの前に現れたのは、昔の記憶。
コチの近くにまだあいつ、今じゃ音沙汰のない希望がいた頃の記憶だ。
まだ、飛ぶのが下手な一匹の小さな蛾が三日月の下で、草むらに埋もれる小さな蕾を見つけた。
結局忘れる事なんて出来ない。
あの時と同じようにコチの胸は高鳴った。
あの夜のコチ。
その場を何度も行ったり来たりを繰り返す。
大きく深呼吸をしてようやく決心したコチは蕾に近づいた。
茂った草の間から小さな影がひょこっと顔を出す。
咳払いをして喉の調子を整えてから、照れ臭そうにそっとその蕾に囁いた。
「やあ。もうすぐ君にも春が来るね。」
蕾は聞こえてくる声の方向に耳を傾ける。
きっとその蕾には、飛ぶ影の赤面した顔は見えなかっただろう。
「君が花を咲かせた頃には、俺ももう少し飛ぶのがうまくなっているかな?待っていてくれる?一緒に春をお祝いしよう。」
蕾はこくりと頷いた。
記憶は鮮明にあの日の記憶を映し出した。
「木枯らしのくせして大層な事言いやがる」
コチはあの日のコチに言った。
聞こえる訳がない。
あの日のコチは振り返る事なく何度も飛ぶ練習を繰り返していた。
コチは、黙って流れるままの記憶を見つめる。
記憶は、次々とコチの意思に反して、映し出される。
「木枯らしだ。」
声だって聞こえる。
親切に水たまりに閉じ込められた虹だって映してくれた。
怯えた顔も映った。
「なぜじゃー。」
これは、蜘蛛のおじさんの悲鳴だ。
「いやー。来ないで。」
これは、花屋の花の悲鳴。
「ぎゃー」
これは、人間の悲鳴。
「わあーん。」
これは、人間の子供の泣き声だ。
(全く。よく嫌われたもんだ。)
コチは、傍観席であるこの場所が、何だか安心した。
この場所なら、静かで良い。
悲鳴も遠くの方に聞こえるだけだ。
ジイさんの葉っぱが風に乗り、優しく擦れる音がする。
その間から、キラキラと降り注ぐ声がする。
「おい。コチ。」
それと、笑い声。
(あれ?記憶じゃない。確かに聞こえたぞ。気のせいか?)
(ホリデイ?)
気づくと、コチの前にホリデイが飛んでいた。
ホリデイはこちらに振り返る事なく前に向かって飛んでいる。
(おい、ホリデイ。どこに行くんだよ?)
ホリデイは、黙ったまま飛んでいる。
(ホリデイ。待てよ。俺を置いて行くなよ。)
コチは、何度もホリデイを呼びかけてもホリデイは、振り向いてくれなかった。
ホリデイが遠くに行ってしまう。
(待ってくれ。どこ行くんだ。ずっと探していたんだぞ。)
振り向かず先を急ぐホリデイ。
まるで何かに導かれるようにどこかへ向かっている。
「行くなよ、ホリデイ。行っちゃダメだ。俺を独りにしないでくれ。」
記憶と一緒に大粒の涙が溢れる。
「その蝶は、ここにやってきたのかい?」
月のすみかに咲いたあの花は、首を横に振った。
もしかしたら、あの時から気がついていたのかもしれない。
もうホリデイはこの世界にいないって事に。
だって、ホリデイだったら、あの花に会いに行く。必ず…
「知っているか?蝶は約束を守るんだぞ。」
そんな迷信や面子の為じゃない。
ホリデイはそんなの簡単に裏切る事が出来るんだ。
ホリデイがあの花を放って置ける訳がない。
(知っているんだ。)
なんで、ホリデイの羽は美しいのか?
「ただ蝶の羽を持っているからだろ?」
知らない奴はきっとそう答えるだろう。
だったら、あのコチを木枯らしと嘲笑ったあの蝶たちの羽も美しかったのかい?
(一緒にするな。)
コチは知っている。
ホリデイと同じ空を飛んだのだから。
ホリデイの羽はいつも誰かの為に飛んでいた。
ホリデイの羽は誰よりも春の喜びを知っていた。
(知っているよ。馬鹿野郎!)
コチは、遠くに飛んでいくホリデイに向かって叫んだ。
ホリデイの羽が止まる。
突然、ホリデイがコチの方に振り向いた。
「おい。コチ。さっきから、ごちゃごちゃとうるせぇぞ。」
いつものホリデイの笑顔。
遠くなのにとても近くに感じる。
「いつまでも寝たふり何かしていないで、早く行くぞ。あの花はお前を待っているんだ。」
いつもの朝のように、ホリデイがコチを起こす。
いつも寝たふりをしていたから気づかなかった。
コチを起こすホリデイの微笑み。
「大丈夫。どんな時も僕が腹を抱えて笑ってやるからさ。」
ホリデイの笑い声。
あの笑い声で何度救われた事だろう。
世界で聞こえるのは悲鳴だけじゃない。
コチは、フッと笑って頷いた。
「いいから、早く行け。」
(おう。)
「なあ。コチ。お前のおかげで、楽しい春だった。」
(俺もさ。ありがとう。ホリデイ。)
「お、めずらしく素直じゃない?」
2匹は、青空の下で笑ったように笑った。
「またな。コチ」
そして、ホリデイは笑い声を残して消えていった。
視界がゆっくりと開かれて、うっすらとコチの世界が現れた。
いつの間にか、道路脇の家から年老いた人間がホウキを持って、家の前の道路脇に積もる枯葉の掃き掃除をしていた。
シャー、シャー、と年老いた人間はゆっくりとその鼓動に合わせた調子でホウキを掃く。
冬の面影の残る枯葉を春に相応しくないとばかりにホウキは奏でる。
年老いた人間は、そこにコチがいる事には気づかない。
枯葉色の羽を持ったコチと枯葉を区別するには、年老いた人間の弱った視力では困難な事だろう。
コチと一緒に集められた枯葉は山になると、年老いた人間はちりとりを取りにまた家に戻っていった。
コチの体はまだ動かない。
空には暗雲が覆い、太陽の姿が消えていた。
そして、いつの間にかあのカメレオンがコチを見下ろし立っていた。
「全く馬鹿げているよ。こんなちっぽけな虫の願いを聞くなんてね。ほらね、もう時間切れだ。見てみろ。消え始めている。今度は尻尾もちゃんと消えているだろ?」
ポツポツと雨の雫が空から落ちてきた。
雨の雫は、消えかかった半透明のカメレオンの体を通過して地面に落ちる。
「あーあ。もうどうでもいいけど。君の願いは、一体何だったんだろうね?」
力ない声。
カメレオンはスーッと消えていく。
星が降り注ぐ夜。
「青空の下で、君と虹を見たい。」
確かに、あの時、コチは星に願いをかけていた。
「虹が見たいんだ。」
コチは消え入りそうな声を振り絞って声を出した。
消えゆく体のカメレオンは、うっすらと笑みを浮かべて、ふっと笑う。
「なんだ、その願い?」
カメレオンは消えていった。
遠くでカエルが鳴いていた。
コチの羽に雫が落ちる。
雨が降っていると知った年老いた人間は大慌てでちりとりを持って戻ってきた。
ホウキに、掃かれて、ちりとりに枯葉とコチが運ばれる。
用意されたビニール袋が開かれ、ちりとりに集められた枯葉とコチがその袋に導かれる。
「まだ。行くもんか。」
必死に体を動かそうとするコチの目を風は見つけた。
「もう少しだ。俺が春を連れて行くからね。」
突然、突風が吹き荒れた。
枯葉とコチは宙を舞う。
突風は雨を避けどこまでもコチを運ぶ。
そして、イタズラな風がコチの羽を動かした。
「さあ飛んで」と
風に運ばれるコチ。
風に靡いて少しづつ羽が動いていく。
コチは、イタズラな風に2度も救われた。
必死に羽を動かすコチ。
それでも、やっぱり遅い。
それに雨の中、重くなった羽を動かすのは、やはりしんどいものだ。
コチは、電信柱に張り付くように止まった。
雨の中、道路を行き交う車。
「またか」と言って、コチの口は少し緩んだ。
「もう慣れたものだ。」
コチは走る車のフロントガラスに向かって飛び降りた。
雨のおかげで、フロントガラスに落ちた体は吸い付くようだった。
また、窓越しに人間の不快な様子の目と鉢合わせになるが、すぐにワイパーはコチの体を運んでいった。
フロントガラスの下の方まで運ばれたコチは、雨と風に負けないようになんとかしがみつく。
不快な様子の運転手が送る視線は、コチを追っかけていた。
「少しくらいいいだろ。もうお前らの視線も飽き飽きだよ。」
ワイパーは容赦なく滝のようなしぶきをコチに運ぶ。
何を思ったのか、人間がワイパーの回転速度を上げたせいで、何度も、何度も大量の水がコチの全身に降り注ぐ。
コチは、溺れないように呼吸の居場所を探しながら、車の進路を確かめた。
方向は間違っていない。
月のすみかまではもう少しだ。
はて、どうやってここから降りよう。
ずぶ濡れで重くなったコチの羽はもう使い物にならない。
やる事は一つしか思いつかなかった。
コチは高速に動くワイパーにしがみついた。
体が勢いよく揺さぶられ、感じたこともない圧がコチに襲いかかる。
激しく揺れる体、なんとかコチは気を失わないように、手を離すタイミングを図った。
「ここだ。」
コチの目が工事現場の高いフェンスを捉えた時、コチは思い切って手を離した。
粒のような小さな塊が、宙を飛んだ。
コチのずぶ濡れで重い羽は、空では開かず、コチは工事現場の高いフェンスの前で、体を削るようにアスファルトに落っこちた。
あと少しだ。
でも、体が動かない。
重い雨の雫がコチの体を何度も打ち付ける。
もう少しだ。
あの花に春を届けるんだ。
動け。
そっと風が雨に混じってコチの体を揺らす。
もう少しだ。
「あと、少し・・」
横向きに倒れ、半分水たまりに沈んだコチの体。
沈んでいない片方の目から、空が広がる。
太陽がいない。
厚い灰色の雲が空を覆っている。
「なんだよ。情けない太陽だ。あの花を独りぼっちにするなよ。」
アスファルトに体をこすりつけるように体を揺らすコチであったが体は前に進まない。
暗雲が風に流れて、一瞬、厚い雲の隙間から光が漏れる。
お前こそ。
あの花を独りぼっちにさせるなよ。
太陽が、厚い雲をかき分けてコチに光を与えた。
風がコチを包み込む。
コチの薄れゆく意識。
オレンジ色の光の中、ひらひらと羽ばたくホリデイの影が何度も現れる。
「俺たちには自由の羽がある。」
足が動いた。
足が硬いアスファルトをしっかりと握る。
ぐっと体が前に進む。
もう一度、コチはゆっくりと体を引きずり前に進む。
もう一度。
いつの間にか、雨は止んでいた。
コチは、フェンスの隙間をくぐりようやく月のすみかにやってきた。
そこには、人間の姿はなかった。
きっと、突然の雨で工事が一時中断されたのだろう。
先ほどまで暴れ狂っていたあの機械の化け物は大人しく座り込んでいる。
「あの花はどこ?」
いつの間にか、空に居座る太陽を見上げた。
体を引きずって、どうやってあの花を見つけるつもりだ?
風がコチの羽を揺らした。
羽が動く。
いつの間にか太陽のあたたかい光とそよぐ風が、コチの羽を乾かしていた。
コチは何度も思っていた言葉を口にした。
「みんな、ありがとう。」
どうってことはない。
と、はじめて太陽が笑った。
再び、風でコチの羽が揺れる。
その羽は太陽の光で輝いていた。
「どれだけ、待たせるんだよ。」
コチの目の前には、あのカメレオンが立っていた。
変わらない口調だったが、どこか様子が違っていた。
カメレオンの体が七色に光っている。
その奇妙な姿を見ようとどこから連れてきたのか、また、賑やかにたくさんの鳥や、虫たちの群衆に囲まれていた。
「ほら、あそこだ。きっと待ちくたびれているだろうよ。」
カメレオンは、右手を広げて、あの花がいる場所を教えた。
「お前は?・・」
「いいから早く行ってくれ。これ以上待たせるなよ。」
コチは、カレオンの変わっていく姿を見つめる。
「そういう事か。」
コチは、カメレオンに一瞥すると、瓦礫の大地で、負けないとしっかりと立っている花を見つめた。
待ってるだけの花なんて嘘さ。
俺は知っている。
「ホリデイ。準備はいいか?見ていろよ。俺の勇姿を。」
コチは迷うことなく羽を動かした。
コチの小さな羽はしっかりとコチの体を持ち上げた。
「ごきげんよう。春だよ。」
花が見上げた空には、太陽の色に輝きはばたく小さな羽と、空一面に大きな虹がかかっていた。
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