かわいい歳月を君と暮らせたら
HAPPY SOOBIN DAY
12月、はじめましての水曜日、深夜。手製のはちみつレモンという名の家にあった某LUSHの石鹸みたいになったはちみつと、業務サイズのレモン果汁をただお湯に溶かしただけのチープなしあわせの温度をお供に画面に向かっている。
なぜ思い立ったかのように文字を起こしているかというと、シャッフルで流れてきたLOVE DIVEを耳にしながら溜まった洗い物をしていたら突然、MMAの舞台袖でこの曲の振りを楽しそうに踊るスビンくんが脳裏に浮かんできたからだ。
グレーな映像であるため大きな声で話せないことが残念なのだが、ヨジャドルの楽曲を踊る生き生きとした推しの姿は健康にいい。なにより庇護欲が掻き立てられて、なにごとにも代えがたい愛おしさについ空虚を抱きしめたくなってしまう。愛を叫びたいからどこか公の場で踊ってほしいな。かわいいは約束されてるから。
と、頭の中がスビンくんでいっぱいになってひとりオランウータンになってしまったから、人間の心と平常を取り戻すついでにかたちに残してみようかしらという考えでいまに至る。
さて、そのようなわたしの人生最後の推しにしたいチェ・スビンくんは先日、12月5日にこの世に誕生した。遡ること22年前のことになるのだという。かわいい(かわいい)。めでたい(めでたい)。
しかし、そのなんとも感慨深い記念すべき日に積み上がったタスクを終わらせることが叶わなかった哀れな人間は、なかなか家から出ることができなかった。計画性がない者は、オタクとしての人権を保つことすら危ぶまれるらしい。こういうことを続けているから、海外コンサートですら出発の3日前に航空券、前日にホテルを抑えるなんて事態になってしまうのだ(この旅の備忘録も気力があればいつか作成したいな)。けれどもせっかくの大好きなスビンくんの誕生日に行動しないなんて絶対に後悔することになる、と適度にタスクを浄化。無理やり祝日を拝借して、夕方前に分刻みの弾丸センカ巡りに出発することを決めた。やっぱり推しの記念日は祝日にすべきだね。
地図が読めるようで読めない厄介な方向音痴には、至るところに散らばるちいさなカフェを探すのは予想通り苦しい戦いとなった(1店目のカフェの隣の通りで約15分間彷徨った)。
信頼しているGoogle Mapが到着地点で案内終了の文字を記したあと再度ルートが形成されていく様は言うまでもなく最悪だったが、付き合ってくれたテヒョンペンのおかげもあって、途中で予報にない雨に打たれたり、予想より早くにMOAに会いにきてくれたスビンくんのセンイルWlive配信にあたふたしたりするも、行きたかったカフェを無事にすべて巡ることができた。いちばん営業時間が長いカフェですら18時半までだったので本当に感謝しかない…。
やっとの思いでたどり着いたカフェは、どこかしこもスビンくんへの愛に溢れた空間で、終始「かわいい」しか発していなかった。分かりやすく語彙力が消失してしまうタイプのオタクなのだ。
目的地のカフェまでの到着が近づいた瞬間に、すかさず次の目的地までの道を検索するという思いのほかシビアなセンカ巡りになってしまったものの、閉店ギリギリになんとか駆け込んだ最後のカフェでは、頂いたホットチョコレートが冷え切った体の奥まで沁みて生きている心地に控えめな大の字になって埋もれた。
そしてスビンくんでいっぱいの空間に浸っているとわたしにさらなる追い打ちをかけるように店内BGMでOur Summerが流れだす。走馬灯のごとく襲いかかる青い夏のLOVE SICK。さすがにもう泣いた。もちろん心のなかで。単純にOur Summerに弱いんだと思う。すき。
ただ、なぜだか不意にいろんな思いが込み上げてきて、人生の甘辛𝕄𝕀𝕏っτ⊇ぅレヽぅ⊇ー⊂൹☆彡!!と突然の平成₹゙ゃʓ人格が降臨してしまい極めてカオスな状態で帰路につく羽目になった。興奮と寒さでガクガク震えた夜だった。よく言われることわざ通りで幸い風邪は引かなかった。
“ HAPPY SOOBIN DAY ”
楽しいスビンくんの日になった。
12月の陽だまり
時間と仲良くなれないギリギリで生きるKAT-TUNな限界ヲタクの日常はさておき、わたしはこの季節になると生と死のにおいを強く感じる。
これは完全にわたし個人の、大切なひとを失くした過去が引き金となっているのだけれど、なんだかきらびやかな喧騒に呑まれていつも置いてけぼりを感じてしまう淀んだ気持ちも、スビンくんというこの世界で最も幸せになってほしいと願う青年に出会ってからの冬は舞い降りてきた粉雪を手のひらで受けるみたいにゆっくりと、ゆっくりと心を溶かすことができるようになった気がする。いつも、どうして時間はわたしを置いていってしまうのだろうと心のどこかで悲しみと苛立ちを覚えていたから。
実は、LOVE DIVEをノリノリで聴く前に少しばかりこのことを思い出して深い記憶の海に潜りかけそうになっていたところだったので、スビンくんがフッと脳裏に浮かんできてくれたときに軽率に彼は天使なのかなと思った。誇張表現を容易に他人に当てはめることはあまり好まないのだけれど、わたしの重たい感情を一瞬で羽が生えたように軽くしてくれるスビンくんはやっぱり天使なのだと思う。
もっとも、実際に彼をわたしの中にある言葉で表現するとしたら、"音も立てずに終わる季節みたいなひと"だと思う。朝の光のように柔らかな笑顔にキュートなえくぼを浮かばせて、鮮やかで美しく、常に純粋なアイドルのスビンとして寄り添ってくれる。だけど、どこか儚くて。
これは、わたしのスビンくんに対して持つ感情のほとんどが、アイドルとファンという関係性の上ではじまり、その他では成り立たないことを解ってしまっているからなのかもしれない(センイルWliveを見返していたら、ちょうどスビンくんも同じニュアンスのことを言ってたね)。
きっと彼はいま、時の流れに身をまかせながらもTOMORROW X TOGETHERでのアイドル人生を通して、自分の手で季節を創りつづけているのだと思う。そしてわたしは、そんなスビンくんの季節のなかで生きたいと希っている。彼が感じるすべての風を、彩りを、においを、温度でさえも。こうしてアイドル・チェスビンが一生懸命に青春を届けてくれているいまに全力で甘えたいと思っている。強欲で申し訳ない。
しかし、それはたとえ時間と永遠は共存できたとしても、人の感情と永遠は共存することができないことを知ってしまっているからなのだろう。永遠の対象が人である以上は、その記憶が過ぎ去った存在へと心のどこかで無意識にも昇華されてしまったときに、本当の普遍的な"永遠"が生まれると感じる。
もしかすると自分にとっての永遠とは、あくまでも"無機質で透明な希望"でしかないのかもしれない。この先の未来に振り返りみればスビンくんとの美しい過去が待ち受けていることは、むしろとても幸せなことであって怖いなどとは1ミリたりとも思わないけれど、やはりどこか寂しいのだ。
だからいまはそんな永遠がすこしでも遠のくように、一瞬の永遠を願えるスビンくんの季節のなかで色褪せたくない想いを乗せて、ここに愛をしたためている。
まさにわたしがスビンくんと出会えたことは、奇跡以外のなにものでもないのだろう。
幼い頃、はじめての積雪におそるおそる足を置いたときに感じた不思議な感動、夜空に浮かぶちいさな星と星を結んでいく時のときめきのかたちによく似ている。MOAにたくさんの愛を背負って会いに来てくれるスビンくんはありふれた日常にころがる愛おしい瞬間そのもので、眩しくて、恋しくてたまらない。スビンくんを想うたび、このひとはなんて愛らしくて尊いひとなのだろうと誇らしくなる。
なにより、イ・ヨンジさんの番組「차린건 쥐뿔도 없지만」に出演した際に「僕の性格は芸能人にふさわしくないかも」とデビューしてから数年間抱えていた胸の内を語っていた彼の口から、先日のWliveの何気ない話の中で「アイドルになったことは運命」と、改めてこの言葉を聞けたことがとても幸せだった。その運命を強く信じて、歩んでくれていることに深く感謝せずにはいられなかった。だからわたしも、スビンくんと出会えた奇跡を運命だと本気で信じられる。
決して永遠ではないアイドルを全うするスビンくんがめくるめく季節のなかで日々大人になってゆく姿を見て、時折り永遠にわたしの永遠にはならないでほしいと寂しさを覚えることもあるけれど、いまはお守りみたいなスビンくんとかわいい歳月を暮らせたらいいな。
気がつけば、狂乱のオランウータンから真面目なオランウータンくらいには戻れたみたい。生まれてこのかた恋文を書いたことがないけど、きっとわたしにとっての恋文とはこれなのだろうな。支離滅裂で、余計なこともたくさん綴って。貰った方が困っちゃうみたいな。けれど自分の気持ちを素直に伝えてくれる強さを持つスビンくんのおかげでちゃんと言えるようになった。
「わたしは君が好き」
誰よりも尊いひと、生まれてきてくれてありがとう。
誰かの明日を、こんなにも考える未来が来るなんて思ってもなかった。
今日も明日も君のしあわせな夜明けを祈って眠りにつくよ。
どうか穏やかですこやかなときが、どこまでも優しいスビンくんをあたたかく包み込みますように。君の季節がいつまでもきらきらと輝きつづけますよう願いを込めて、心からの祝福を贈ります。
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