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君には才能があるんだから、つべこべ言わずやれ!

どうも。音楽・映像制作をしているウタタネのWataruです。

今回はちょっと荒れるかもしれませんが・・・
禁断の「才能」について書いてみたいと思います。
自分に才能があるのか・ないのか・・・
そんなことを考えちゃってドキドキ・モヤモヤしちゃうことってあると思います。そんな時は特に、読んでいただければ幸いです。

皆様、「才能」ってなんだと思いますか?

A君:「う〜ん・・・持って生まれた特技みたいなものかなぁ・・・」
Bさん:「そうね、私が頑張ってもできなそうなことを、サラーっとやっちゃう人とか見ると、才能あるなぁって思うなぁ、スポーツ選手とか」
C君:「・・・宇宙からのメッセージを巧みに読み解く力かな・・・」

はい・・・いろんな意見が出ました。

そうですね。スポーツ選手・ミュージシャン・画家・建築家・営業成績トップの営業マン・・・。どんな世界でも素晴らしい才能の持ち主が活躍されてて、自分のできないことを実現されてます。

その姿に人は「はぁ〜〜〜・・・😍」ってなるんですよね。


そもそも「才能」ってなんなんでしょうか。

「才能」っていうものの正体がいまいち明確になっていないため、なんとも言い難い部分だと思います。試しに辞書で見てみると、

「物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。」(by Weblio)

というのが、言葉の定義のようです。

C君はいつも通りよくわかりませんが、大体みなさんの意見は一致しているようです。それではもう一つ質問です。


あなたには才能がありますか?

A君:「う〜ん・・・どうなんだろうなぁ、僕は才能ないなって思っちゃうこと多いけど、あってほしいな・・・」
Bさん:「そうね、私も・・・才能ないんじゃないかな、って自信がなくなっちゃうことの方が多いかな・・・」
C君:「・・・僕は天才だから、才能がないことも気づけマス・・・あれ、それは才能があるのか・・・ん?」

人のことは「あの人、才能あるよな」って思うのに、自分のことになると急にモゴモゴなっちゃいませんか?

その心理をもう少しだけ深く考えてみます。


「自分に才能がある」と答えない理由

モゴモゴしちゃう場合、大まかに言って次の2パターンがあるような気がします。

(1)本当に自分には才能があるとは思えない。もっとすごい人いっぱいいる。だから「才能がある」って言えない。
(2)ちょっとはあるような気がするけど「自分には才能ある」っていうと「高慢なやつ」と思われてしまう。だから「自分に才能がある」って言えない。

「自分に才能がある」と答えない場合、上記2つのパターンで「才能がある」と言えない人が多いんじゃないかなと思います。
そしてその2つの違うパターンの人たちが結果として同じ回答をしてしまうので、話が闇に入ってしまってタブー化している、というのが現状なのではないか、と思います。

そして(2)は特に「謙遜」という文化的な側面も持っていそうです。
「いえいえ、私なんて・・・」
という謙虚な姿勢が社会的にも美徳となっているので、やはり
「私なんて、まだまだです。」
というような回答をするのが一般的でしょう。

このように、才能あるかないか?と問われたら、ちょっとだけ思考がギクシャクしてしまうってこと多いと思います。じゃ、どう考えたらスッキリわかるのか?


自分には果たして才能があるのか?ないのか?どっち?

まず、どんな時に「自分が才能ないのかな?」「この人、才能あるな」って思うのか?少し考えてみます。
よくあるパターンとしてはきっと、以下のような考えではないかと思います。

「俺は曲作るけど、〇〇さんみたいに活動できてるわけじゃないし、あんないい曲かけないや。才能ないのかな。」
「私はピアノ弾くけど、いつまで経っても先生みたいに弾けないなぁ。才能ないんじゃないかな。」

確かに、すごい習得速度ですごい物をバンバンと出している人を見ると、あれ、自分ってこうじゃないよな・・・才能ないかな、、、と不安になります。

でも、そこで試しにこう考えてみてください。

「その〇〇さんは、デビッド・フォスターや筒美京平さん、その他スーパー作曲家と比べたら大したことないから、才能ないですか?」
「ピアノの先生は、上原ひろみさんみたいにめっちゃすっごいピアノ弾けないから才能がないですか?」

きっと、
「そうじゃないけどさ、〇〇さんは私より才能あるって話だよ」
なんて思うでしょう。

ほら、そうなんですよ。結局
「私より」
なんです。

そして今のあなたは、
「曲を作ったことがない・楽器が弾けない誰かより才能がある」
なんです。

もしあなたが曲を作ってるとします。
その曲は確かにまだ自分では100点とは言えないかもしれない。
でも、曲を作ったことがない人にとってみれば
あなたは十分に「あの人、才能あるよな」の人なんです。

もしあなたが楽器を練習しているとします。
ようやく1曲弾けるようになりました。まだまだ先生みたいに上手く弾けないけど。でも楽器が弾けない人からみたら、
あなたは既に「才能ある人」の仲間入りをしているんです。

「技術・技能」と言う言葉と混同してしまっているようにも見えますが、「才能」を「物事を習得するスピード・センス」に絞って考えたとしても絶対的な基準値がない以上、結局このように相対的に考える方がしっくりくるんです。


人より才能がある人の責任

「人ができないことができる人」には、相応の責任が出てくるのも事実です。

例えば私は背が高い方なのですが、「背が高い=いい」なんて別に思っていないくせに、初対面の方が
「Wataruさん背がお高いですね〜〜」
と言って下さったら「お世辞かな?」と判断しちゃって、つい咄嗟に
「いや!そんな、大したことないです!」
みたいな返答しちゃうことがあるんです。

でも例えば妻が
「私届かないから、あの棚の上の鍋とって」
といってきた時、同じように
「いや!そんな、大したことないです!」
なんていったら・・・きっと妻は

「いや・・・いいから早く鍋とれよ。」

とキレるでしょう・・・。

あなたができることで人ができないことがある場合、謙遜してる場合ではありません。
スーパーマンが世界を救わなければならないように、あなたがそれをやるのです。

そこにピアノがあり、誰かが弾かなきゃいけない、あなた以外誰も弾けないなら、謙遜するのではなく、あなたが弾かないといけないんです。

曲が作れる人があなたしかいない。でも誰かが曲を作らないといけない。そんな時も謙遜してちゃダメです。
あなたが作るんです。

特に、あなたの曲・あなたのパフォーマンスを待ってる人がいる。
そんなレベルならもう、待ってる人たちにとってあなたは才能の塊なんです。
あなたしかやる人はいません。謙遜の理由ももうありません。

そしてそれは、やりたいことを何か始めた時から既に始まっているんです。

ピアノ教室に通った時から、ギターを買ってチューニングした時から、上達すればするほど、他から見えるあなたの相対的な「才能ある人」のしきい値は、徐々に上がっていきます。あなたを見て「あの人、才能あるなぁ」って思う人も知らず知らずのうちに増えていきます。

「私、才能ある?ない?」

なんてそんな二元論で片付けられるようなものではないんです。
仮に「ある・ない」でいうなら、何かを始めてる以上、常に答えは「あなたには才能がある」なんです。

ちょっと極論すぎた部分もございますが、「才能あるのか・・・ないのか・・・」と言うところでぐるぐる悩んでる時。そんな時は次の言葉を思い出してください。

「いや・・・いいから早く鍋とれよ。」


自分でもたまに才能について悩むこともあるので、自分に言い聞かせるつもりで書いてみました。
上記のことを自分に言い聞かせながら、私も日々精進していこうと思います・・・。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。


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