文章、それを通して思うこと

小さい頃から、文章を書くことが好きだった。その代償に、私はいつもどこかひとりぼっちだった。
はじめての小説を小学1年生の時に書いた。そのあらすじをここに記してみることにする。

とある国一体に生息している魚「こいをう」は、見た目がグロテスクすぎるあまりに皆から忌み嫌われ駆除されてきた。皆というのは、国でいちばん大きな御屋敷に住むお嬢様の使用人達もだ。ところがそのお嬢様がある日、「こいをうがどうしても食べたいの」と強請る。いくらお嬢様の頼みでも、と使用人達は勿論首を振る。そんな使用人達を見てお嬢様は自らの手でそのこいをうを捌き、御屋敷の使用人達に振る舞ったところ、とても味が良くその噂が国中に広まり、やがてその見た目すら愛されてこいをうの郷土料理までもが作られた…といった内容が、とても稚拙な言葉で記されていた。

当時の私は魚は食べられたくて生まれてきたもの、という何ともエゴイズムな考えを持っていたから、このこいをうは「食べられることで救われる」という一つのコンセプトを軸にしていた。そこで、この小説において伝えたかったことって何だったのだろうと思い至る。

話は変わるがこいをうの話を執筆して数年後、長期休み明けに読書感想文を出してみたら先生に褒められてコンクールに出してもらえた。どれ程の規模か忘れてしまったが、その当時に何かしらの表彰を初めて受けた。
友人たちにも褒められて、文章を書くことに自信を持っていた私だったが、ある時同級生を使って二次創作を書いていたことが本人達に見つかり風向きが変わった。いじめられるようになったのだ。今から思えばそんなことしてる方も悪いと思うのだが、私は当時いじめられるようになった原因に全く心当たりが無かったためひどく弱った。
結局話し合いを持ってその子達は私を許してくれた。それ以来は私のことを変な人だと認知していたに違いない、高校生になった今そう思い返している。それでも、その学級が終わる3学期末まで仲良くしてくれたのだから優しい子達だと思う。

いじめられるようになる前と後ではあるが、しかし小1の自分の言葉を今振り返ってみると、私は一貫して疎外感を抱いていた。それこそ小説だなんて書いているものだからどうにも浮いている自分と、「こいをう」を何となく重ねていたように思う。
簡潔に言おう、私もお嬢様のような「私を救ってくれる人」が欲しかったのだ。私のマイノリティな面を認め、周りの意識すら変えてくれるような、そんなヒーローが欲しかったのだ。
けれど結局その夢は叶わなかった。私は小学校の間中、ただ1人の理解者とだけ連んで卒業していった。

ヒーローは現れたか。結論から言うと、年数を経ても自分は同じ趣味を持つ人たちの近くに身を置くことで自分の普遍性を保証する、ということしか出来なかった。現在高校の文芸部に所属しているが、私と同じように文化祭の展示小説を書いた友人と、今はプライベートでもよく遊ぶほど仲がいい。狭い世界で生きていると思う、それで良いと思う。世の中の誰かは必ず誰かに理解されないのだから、たとえ自分がこいをうのような人間であったとしても自分を責める必要は無いと思うようになった。勿論、何年経っても一切誰も受け入れてくれないというのなら話は違うのかもしれないが。

引用だが、「自分を救うヒーローは自分しかいない」という言葉がある。誰かの助けを待っていても、現実はそんなヒーローショーみたいに上手くはいかない、自分が動かなければ何も現状は変わらないといった意味合いである。
人より疎い私にはこの言葉はずっとピンと来なかった。疎外感を抱えたまま中学に進級し、いつしか自分自身を大切にすることすら忘れ、早く死にたい、殺してくれと思い唸り苦しみながら中学校を卒業するような3年間を過ごした。ヒーローが現れないからずっと苦しんでいる、そう思っていた。
間違いである。ヒーローに助けに来て欲しいなら、やはり自分自身でヒーローになるべきなのだ。結局私が死にたい問答のスパイラルを抜け出したのは、高1になって進路選択を乗り越えてからだった。未来があって、それに向かって進まねばならない。そういう時こそ、自分で自分を助けて先へ進むんだろう。

多様性を尊重するとはいえ、どこに行ってもマジョリティを正義とする風潮が拭えないと感じる。私だって時折、そう思ってしまう節がある。そういう時こそ、私は自分のマイノリティさを愛したいと思う。どうしようもなく朽ちた考えを書き殴る第一歩を、ここに記す。


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