久しぶりに演劇を見た話
演劇部に所属する他校の友人の招待を受けて、地元の小劇場に出向いた。小劇場に行くのは中学生時代のピアノの発表会ぶりで、今でも舞台袖の景色を思い出しては言いようのない興奮や緊張を思い起こすものだ。
友人は主役を貰っていると聞いて、いったいどんな役柄を演じるのだろうと期待に胸を躍らせ電車に揺られること数十分。記憶の中の景色より数回り小さく見える劇場で、自校の演劇部の人たちを見つけた。私も元演劇部の身であったので友達が多く、行かない手はないと駆け寄ったもののどうも居心地が悪い。あまり仲良くしていなかった人たちからの視線も突き刺さる。やはり、辞めてしまった罪悪感だろうか。
演劇をするのは好きだった。中学で約2年半演劇部に所属し、コーチに怒鳴られながらキャストを演じる毎日を過ごした。
だが、高校では裏方志望で入って半年も続けられなかった。友人たちには色々取り繕ったのだが、今思えばキャストたちへの羨望が出てしまったのが一番の原因だと思う。
キャスト志望で入らなかったのは、セリフを覚えたり台本の擦り合わせをすることがあまり得意では無かったこと、何よりもともと脚本が書きたくて演劇部に入った、その初心を忘れずにいこうと思った所以にある。
そのくせにキャストをやれないことに悔しくなって、人生を演劇に振れずに辞めて、今は文芸部のぬるい陽だまりの中で誰も演じない物語を書いている。馬鹿すぎると自分でも思うし、今の人生に後悔がないといえば嘘になる。
高校生になってからというものの、やらなければいけないことがたくさんあって、その上で自分の時間を確保しなければメンタル的に厳しくなってしまい、それらよりも演劇を優先できなかった。言ってしまえばそれまでだ。
友人たちが演じていた劇のテーマは、一言でいうと「変わろうともがく人間たちの姿」だ。
ひとつの応援したい存在がいて、やがてそれに憧れるようになった時、わたしも追いつきたい、そのために努力したいと思う人もいれば、変わりたいと思っても周囲の環境や自分のこれまでの立ち位置に甘んじてわたしはこのままでいいと思う人間もいる。そんな真逆に立つ二人がお互いの交流を通じて、現実と理想のギャップに傷つきながらもやがて変わろうと志す。ざっとこんなあらすじであった。
テーマ性でいえばありきたりだが、脚本の構成は非常にそれに忠実で一本通したつくりになっていた。ここまで一貫して分かりやすくテーマを伝えてくる話はそんなに多くないだろう。
ストーリーを軸に据えてまず考えるのは、「私ならどう表現しただろう」ということである。もちろん脚本家には独自の考えがあって数多言葉を用いているわけだが、もっと分かりやすい表現があるだろ、私だったらこう書くけどな、と感じることもあるからだ。
今回の話もどちらかといえばそうで、一言にまとめるとなんとなく話全体が間延びしているように感じた。せっかく演者たちがテンポよくシーンや情緒を切り替えていく動きをしているのに、それにしては物語の流れが即していないのだ。
ではどうすれば良いだろうかと考えると、おそらく要素が足りないのだという結論に至った。テーマ性を重視するあまり、テーマ性に即さない、言わば「切って然るべき場所」を切りすぎている感覚を捉えた。そういう少し荒い部分が残っていてこそ感じられるものが多くて、ストーリー的な面で飽きずに楽しめると思っている私にはほんの少しだけその話が物足りなかった。
閑話休題。
友人は宣言通り主役級を演じていた。はっきりした演技をするなあと感じた一方で、白と黒の両方に寄り添う曖昧な性格のそのキャラクターに即した動きをしていて見応えがあった。迷いがちな小さな声から、自分の弱いところを否定したがる大声まで、声量のコントロールが抜群に良かった。
私より演技が上手かった。目に見えぬところで多くの鍛錬を詰んだのだろうという感動と共に、かっこよくなったな、としみじみ感じながら演技終わりの彼女に声をかけて労った。嬉しそうな彼女を見て、友達で良かったな、と感じたものだ。
その友人とは、小学生最後の年、ほぼ二人で長いこと過ごしていた。他に友達がいたとして学内で話しかけてもらうことはほぼ無かった。
お互い虐められていた。だからこそ、少し自惚れた表現をするならば、「あの子のことを私しか信用していなかった」と言っても良い。
都合あって別々の中学に進学した私たちは飽きずに連絡を取り合っていた。思想的な部分でなかなか問題児だった私のお母さん的存在として私を守ってくれて、孤立した中を強く生き抜いていた彼女が、進学後に同じ小学校にいた人と仲良くしているという話を聞いてひどくほっとしたのも良い思い出である。
そんな友人が今、舞台の上で輝いている。そのことがどうしようもなく、羨ましかった。
羨ましいという感情はあまり好きではない。子どもっぽい言い方をするなら、負けたような気がするから。
その人はその人の人生を生きていて、その人なりに苦労を感じながら、前を向いて生きている。それは私だって同じだ。羨ましがる必要なんてない、私は私の人生を精一杯生きるべきで。
そう分かっていてもどうしようもなく羨ましくて、心が苦しい。このままでいることを辛く感じてしまう。
私はどう逃げたら辛い思いをしないで生きられるのか、何度も何度も想像した。
友人の咲かす花を羨ましがってばかりで、自分の花を愛でようともしないで。変わらないままで楽しく生きたいと思ってばかりいる癖に。
演劇のテーマ、「変わろうともがく人間たちの姿」。それって、とふと帰り道を歩きながら気づいた。
私だって、きっとあの子たちと一緒。友人が演じたあの子と何も違わない。
変わろうと思うこと、何かに挑戦すること。羨ましいと思う姿に近づくこと。それがいつになっても遅くないこと、私が1番楽しいと思う生き方で生きること———まっすぐなテーマとまっすぐな演技が、臆病で捻くれた私の背中を押してくれるような気がした。