5回点滅
「え?言わない?」
思わず声が大きくなった。
「言わないねぇ」
驚かせた本人はしれっとしたものだ。
少し腹立たしく思う。
じゃ、そのスマホの待ち受けは何なのさ。
小学生ぐらいの女の子が白いモフモフの子犬を抱いていて、上品なボブカットの女性と並んで笑っている。その横にはここでは絶対に見せない眼差しで二人をみているスマホの持ち主。
小さくしか映っていないのに薬指の銀色が二人を繋いでいるのが見える。
「何で言わないの?」
「別に・・・言葉にしたって口先だけな気がするし」
うん、まぁ、それはわからなくもない。
「正直、良くわかんないんだよね。その言葉の使いどころ」
全くもって腹立たしい。
この立ち飲み屋で知り合ってもう半年ぐらいだろうか。ここはひとりで飲みに来る人ばかりで、みんな知らない者同士。勤め先も名前も知らない関係だから普段の愚痴を言いたい放題。それに「うん、うん。わかる!わかる!」なんて適当で無責任な相槌を打ちながら過ごす場所。
彼はいつもあまり話はせずにビールで喉を潤しながら「うん、うん」と誰かの話に相槌を打っていた。相手の愚痴が無くなり居眠りを始めたら、今度は自分のスマホを取り出す。何か操作するわけでもなくじっと待ち受けを眺めてた。
「帰らなくていいんですか?」
そんな彼のことが前から少し気になってはいたのだが、その日はあまりに長い時間じっとスマホを見ていたからつい声をかけてしまった。
「週末には帰ります。単身赴任中なんですが週一には帰れる距離で」
と嬉しそうに待ち受けの画面を見せてくれた。
「ああ、そうなんですね」
状況が理解できてホッとする。どうして私がそこでホッとしなきゃならないのかわからないが、多分もっと悪い状況を勝手に想像してしまってたんだろう。
その日を境に、周りの愚痴タイムが終わると二人で飲むことが多くなった。ここは年齢も関係ないからすぐに旧知の仲のようなタメ口になる。
「未希がね。こんな絵を描いてくれたんだ」
週末にあったことを嬉しそうに話をしてくれる。
私はただ「うん、うん」と相槌を打つ。
この半年で奥さんとの馴れ初めも聞いた。
お嬢さんが生まれた時のエピソードも聞いた。
奥さんと喧嘩したのも聞いた。
仲直りしたのも聞いた。
子犬の名前はマシュマロ。
名づけたのは女性二人ではなく本人だそうだ。
どうしてそんな話ばかりを私にするのか不思議に思わなくもなかったが、確かに愚痴ばかり言っている人には幸せなのろけ話はしにくいだろう。
私は・・・私はひとり暮らしで、人の声に相槌を打ちながら時間を埋められればそれで良かった。どうせ埋めるなら愚痴なんかより幸せな話の方がずっといい。きっと彼ものろけ話をすることで持て余した何かを埋めていたんだと思う。
***
そのうち緊急事態宣言だのマンボーだのであの立ち飲み屋にも行かなくなっていた。飲み屋のおじさんには申し訳なかったが、ワイワイ出来ないのではあまり意味がない。
しばらく我慢していたが気になって店に寄ってみた。人恋しいとか飲みたいとかよりも夕飯のメニューがすっかりジャンクになってしまっていたから、お惣菜のテイクアウトでも始めてないかと思ったのだ。
予測はしていたが、休業中の張り紙が痛々しい。引き返そうとすると
「お久しぶり」
聞き慣れた彼の声がした。
「あっ、ひさしぶり。元気だった?」
少しは期待しなくもなかったが、まさか本当に会えるとは思っていなかった。いや、本当に。
「ああ、ちょうど良かった。ちょっと時間ある?」
彼はそう言うと缶コーヒーを2本買って、二人で歩道の花壇に座った。
「大荷物だね。帰るの?」
彼は両手いっぱいにボストンバッグやキャリーバッグを抱えていて、それが聞かなくても答えを物語っている。
「まぁね。しばらくは自宅からリモートで仕事するよ」
「へぇ、そうなんだ。良かったじゃない。愛するご家族のそばに居られるようになってさ」
いつものように。少し揶揄うように。
「それがさ、大変だったんだよ。今月の最初に熱が出ちゃって!」
「え?」思わず少し仰け反ってしまった。
「あはは!大丈夫だよ。検査したけど陰性だったし、つい2日程前にも検査したばかりだから。」
「ああ・・・ごめん。でも無事で良かった。もう具合いいいの?」
少し気まずくなって慌てて会話を立て直した。
「うん、結局普通の風邪だったんだけどさ、すぐに検査してくれるところもなくって、病院も行けないし・・・」
ニュースではよく流れている話だが、直接そういう目に遭った人の話を聞くと他人ごとではないと実感する。
「電話で理恵さんに泣かれちゃって。俺ももう死ぬんじゃないかって不安だった・・・」
余程大変だったのだろう。話す声がまるで独り言のように遠くへ行ってしまっていた。
ふいに思い直したように私の方を向いた。
「やっぱ言った方がいいかな」
「ま、言わなくても伝わってるんならいいけどさ、伝わってるって思い込みだったらどうする?」
私はその言葉どころかプロポーズすらも言わずに「わかるだろ?」で済ませようとしたヤツの事を思い出していた。
「言って何か損する?」
「ハズイ、嘘臭くなりそう」
「よし、その”恥ずかしい”は却下ね。あとは言い方次第でしょうよ。気持ちが嘘じゃないならきっと嘘臭くならないって」
彼の気持ちに嘘がないことは、当人たちよりも多分私の方が確信している。必要なら証言台に立ってもいい。
「そうか、そうだよな」
「泣かせた分ぐらいは言ってみたら?」
「うん。そうする」
タイミング良く彼のスマホに電話がかかってきた。
「大丈夫だよ。7時には電車に乗れるよ。じゃ、後でまた電話するね」
何だ?会話しているのを始めて聞いたが何だこの優しい口調は!!!確かにこれなら言わなくても伝わっているかも知れない。
「いろいろ話聞いてくれてありがとうな。これ、お礼。これを店に預けようと思って来たら居たからびっくりした」
差し出された小さな紙袋には、私が食べてみたいと話したことのある有名店の焼き菓子と写真が一枚。まだ賑やかだった頃の店主のおじさん、愚痴ばかりのあの人やこの人、そこに私たちも混じって写っていた。
「ありがとう」
それから何ラリーか定型の挨拶をやりとりしてから別れた。横断歩道を渡っていく彼の背中を見送りながら、もう一度「言えよ」と呟く。
やれやれ、私はいつもこうだ。パートナーを大事にしている人ばかり。その姿が好きなのだから仕方が無い。
言えない私は信号の青点滅を5回だけ数えて、赤に変わる前に反対方向に歩き出した。
<了>
蛇足のお話
オマケの話
ペンギンのえさ