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飛ぶ


もしも運良く生き延びて
かわいい花を見つけたら
あの日の彼に届けて欲しい


どうしたんだろう? 今日は嵐がいつもより荒れ狂っている。風で飛んできたものが壁にぶつかり、激しく大きな音をたてている。でも私は彼が守ってくれるからここに居れば安全なんだ。

小さな灯りがひとつだけで、窓はなく、目を凝らせば周りの壁が辛うじて見える程度の薄暗い部屋。それが私の世界の全て。

彼はいつも外で生き抜くことがいかに大変かを話してくれる。外には嵐が吹き荒れ、弱いモノを餌食にしようとするヤツラが腹を空かせて蠢いているんだ。だから怖くて堪らなかった。耳を塞いで身を縮め目を固く閉じてじっと動かずにいた。

いつの間にかそのまま眠っていた。目を覚ますと今度は全ての音が嵐に連れ去られてしまったかのように静かだった。

ふっと違和感を感じる。

常に薄暗いはずの部屋が何だかいつもより明るい。壁のレンガがくっきり赤く見える。

光のくる方を見上げると、眩しい。
そこには小さく透明な青があった。

壁に開いた隙間から外が見えているのだと理解するまでに少しかかり、理解したと同時に不思議に感じた。
「あれ?外って怖いところよね?」
ああ、でも、私はこの色を前に見たことがある。

それから彼の居ない昼間はその隙間ばかりを見て過ごした。青色があまりに綺麗だったのもあるけれど、その中に何か見えはしないかとずっとずっと眺めていたのだ。

何日か過ぎた頃、外からバサバサッと羽音がした。胸がバクンとひとつ鳴って「嬉しい」と「怖い」が交互に忙しく脈を打ちはじめる。

しばらくして少し変わった歌が流れてきた。「ピーヒョロロ」私の知らない面白いリズム。聞いているうちに「怖い」は徐々に小さくなり、いつの間にか自分も真似て口ずさんでいた。こんなに楽しく歌うのはいつぶりだろう。

夜になり、帰って来た彼に話をした。歌の部分だけ。
「ねぇ、新しい歌を覚えたの。面白いのよ」
一小節歌ったところで遮るように彼は言った。
「ダメダメそんなのはダメだ」
うん、少し機嫌が悪かったのね。ごめんね。
それ以上何も言わなかった。

次の日もそれはやってきて一緒に歌う。
すると今度は歌の主が隙間から話しかけてきた。
「君、とても素敵な歌声だね。」
少し戸惑ったけれど、嬉しくなって返事をする。
「ありがとう。そんな事言われたの初めてよ。」
初めて?言ってからそうじゃないと自分の言葉を打ち消した。

夜、また彼に話かける。
「ねぇ、今日も歌を歌ったの。」
「そう・・・・・」
きっと疲れてるのね。ごめんね。
それ以上何も言わなかった。

次の日もそのまた次の日もそれはやってきて一緒に歌う。
その度に空がよく見えるようにと少しずつ隙間を広げてくれた。
隙間から見えたのは雄々しく立派な翼を持った鳥だった。

毎日見える空が少しづつ大きくなる。
彼にはもう何も言わなかった。

10日ほどが過ぎた頃、隙間は私が通れるぐらいに大きくなった。
その鳥が誘う。
「ねぇ、出ておいでよ」
「無理よ。そこまで届かない」
「へぇ?その翼なら飛べると思うんだけど」
言われて腕をのばしてみると羽根がある。自分に翼があることをすっかり忘れてしまってたんだ。

「飛び方がわからないわ」
いかにも飛べそうな自分の翼を見ながら泣きそうになっている私に、その鳥は自分の翼を広げてこう言った。
「大丈夫。やってごらん。翼は飛ぶためにあるんだよ」
言われるままに翼を広げ上下に羽ばたいてみると、魔法のように風が起こってふわりと体が軽くなる。

「ああ、飛べそうな気がする。でもダメね。この籠から出られない」
その鳥はクスクス笑い出した。
「よく見てごらん、その籠はもう壊れてる。扉は外れて針金の格子は隙間だらけだ」
本当だ。籠から出るなんて想像もしなかったから気付かなかった。

「でも、怖いわ。外って危険なんでしょう?」
「ああ、そうだね。ここよりは危険だね。怖いなら無理にとは言わないよ。でも、待ってるよ。外で待ってるよ」
そう言うとその鳥は飛んで行ってしまった。

その夜、彼に聞いてみた。
「私外に出てみようと思うの」
「ダメだよ。外は危ないんだ。君なんかすぐに死んでしまうよ」
私が何故そう言い出したのか、そうしたいのか、それには興味無さそうで、それ以上何も言わなかった。

次の日、一番明るい時間になっても光が少し傾いても、待っても待ってもその鳥は来なかった。私は堪らず籠を抜け出し、思い切ってその隙間に向かって飛んでみた。

幾度も失敗したけれど何日目かに隙間に届く。

目の前に世界が広がっていた。

悠然とした白を湛えた大きな青い空
目の眩むような太陽の光
木々の香りを含んだ風
幾重にも重なる葉擦れの音
草いきれを何が駆ける影
慈しむように流れる水
溢れんばかりの命の歌

震えが止まらない。目が離せない。
風に誘われるまま翼を広げ、少し振り向いて部屋と籠に別れを告げた。
「さようなら」
大きく息を吸い込んで、飛ぶ。

カッコよく飛んだつもりが思ったようにはいかなくて、近くの木の枝に不時着してからもう一度飛んでみる。次はひとつ高い枝に、その次はもうひとつ高い枝に、少しずつ長く飛べるようになっていく。

そして私は思い出す。私は昔飛んでいた。歌を歌って暮らしてた。そんな私を彼が好きになってくれたんだ。「ずっと傍で歌って欲しい」遠い昔に聞いた声。私も彼が好きだった。優しい声も、大きな手も、何よりもその笑顔が大好きだった。私が歌うと笑顔になった。時には一緒に歌ったの。素敵でしょ?

それなのに…私を守ることに疲れたのかな?いつしか彼は一緒に歌うことは無くなり、私の歌も聞かなくなり…とうとう笑顔を見せなくなった。

私は歌を歌いたい。
守られるだけではなく、待ってるだけでもなく。
一緒に歌いたい。

遠くにあの鳥の歌が聴こえた。迷わずそこに向かい飛んでいく。
木から木へ少しずつ距離を縮めて近づいてゆく。
あの鳥の姿が見えて力の限り大きな声で叫んだ。
「きたよ」
あの鳥も嬉しそうにこちらに飛んでくる。
「やぁ、来たんだね」
あと少し。

次の瞬間・・・

恐ろしい声が耳を劈き、鋭利な何かが私の体を掠めてく。
「何?」わからない。
ただ体が熱く痛い。飛び続けられずに低い枝を掴もうとしたけど、力が入らずそのまま地面まで落ちた。自分から赤い血が流れている。
また声がして振り向くと、目の前にはあの鳥の鋭い爪。「ダメだ」瞬時にあの鳥が最後まで隙間から入れなかったことを思い出し、目の前にあった気の根のウロに逃げ込んだ。ギリギリ凶器は届かない。

彼の話は本当だった。外の世界は恐ろしい。
私なんてすぐに死んでしまうんだ。

凶器は徐々に土を掘って迫ってくる。激痛よりも恐怖が勝り私も更に奥へと土を掘る。その鳥が進めないところまで来て動かずじっとしていたが、そのうち頭がぼやけて目が霞みそのまま気を失った。

次に目を開けると辺りは暗くなっていた。
生きている。
傷口は思ったより深くはなかったようで、体を起こすと少しは動くことができそうだった。あの鳥の気配は感じない。大きな鳥は夜動かないと昔に知っていたことを思い出す。夜の間に帰らなければ。

帰る?どこへ?あの部屋へ帰ってどうなるというのだろう。飛び出したのは私なのに。けれど他に行く当てもない。月明かりに目立たないよう低く低くあの部屋目指して飛んでいく。

近くまで辿りついたのは夜も白々明ける頃。
目指す方から大きな音が聞こえてきた。まるであの嵐の日のように激しく怖い音がしている。
「どこ行った!あんなに良くしてやったのに!あれはオレのモノだ!」
彼が怒鳴りながら斧を振り回し壁にたたきつけている。周りにある粉々の椅子や食器はいつ壊されたものだろう。あの怒号は悲しみからでも寂しさからでも心配からでも無いだろう。

怖いよりも悲しかった。
いいえ、本当はとっくに知っていた。
嵐の音の正体も、ただの所有物になっていたことも。
私の歌ではもう彼を笑顔にはできないのだと。

私はこの傷をどこで癒せばいいのだろう。
これから何を食べればいいのだろう。

元の部屋はそこにある。
振り向けば、生まれたての光に染まり、世界は更に美しい。
ふわりと吹いた風に、微かに私と同じ歌声が聴こえた気がした。
「生きてる」

彼の言う通り、私は無知で弱い生き物だから外で生きていくのは難しいかも知れない。でも、もうそれでいい。

解き放とう。

私は野たれ死んでも構わないと覚悟を決めて、この美しい世界へと

飛ぶ。

<了>



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