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— M・T君に ― 「てんぎゅうをとりにいこう」 きみがそう言った夏休みに ぼくらは残忍なハンターになる もくもくと青空に湧く入道雲 稚魚の群れが回遊する島の海を ぼくらは毎日飽きるほど泳いだ 陸に上がって濡れた体を拭いても 蝉の声の合唱に囲まれたら すぐに大粒の汗が吹き出てくる 湿気た藪に羽虫の群れが忙しく舞い 麦草の上を黄金虫が飛んで行って ぼくらの行く先は斑猫が道案内 草叢から蝮が這い出て来ると
国道脇の歩道を歩く。左手には葛のフェンスが続いている。道路の反対側に並ぶ家と家の間に海が見える。金網を乗り越えて、垂れ下がる葛の葉叢を風が撫でて行く。風の去った先に、ふっと母の微笑む顔が現れて消えた。 丘の斜面を葛が這い登って行く。緩やかにカーブしながら上行するアスファルト道路の、ガード柵の白いパイプの間から、若葉を従えた葛の蔓先が幾つも覗いている。麓の畑で草取りをしている祖母の記憶が蘇ってくる。 山間の作業小屋の外に、夥しい数の葛の葉に覆われて、墳墓のように盛り上がった
トキエは泣いている。薄暗い納戸の奥の、紅い鏡掛を開いた鏡台の前に座り、泣きながら化粧をしている。「おかあちゃん」 幼い私はトキエに纏わり付いて、その名を呼び続けている。戸外から蜜柑畑に行く父の呼び声が聴こえて来る。町育ちのトキエには馴染めない農家の日々と、父への精一杯の抵抗。「おかあちゃん」 私はいつまでも呼び続けた。 まだ日差しの強い秋の日に、私はトキエに連れられて何処かの保養地に向かっていた。トキエと私は手を繋いで列車に乗り、手を繋いで畦道を歩いた。見上げると、帽
茹だるような夏の日、久し振りに生家に帰ると、上がり框から居間へ、居間から床の間へと、明かりを点けていても何か暗いものがうねっている。干からびた母は納戸の奥に座っている。御母堂とは他人の母親への尊敬語だから私が言うのは変だが、なるほど、痩せてはいてもがらんとした空洞を内に抱えたお堂のようだ。母と短い言葉を交わした後、暗くうねるものに突き動かされて、私は屋根裏の物置に入った。 小さな天窓から漏れる光だけが頼りの空間。ふと片隅に眼をやると、そこには埃にまみれた古い雑誌が積んであっ
夜明け前の坂道を登って行く 白くぼんやりとした後ろ姿 幼い私の行く手には 鬱蒼と生い茂った竹藪がある 洞窟の黒い口に誘われるように 私は竹藪の中の道に入って行く 竹は両側から頭上を塞ぎ 笹の葉が微かな風に揺れている さや さや さや さや さや さや さや さや さや 笹の葉の音が頭上を舞っている 暗がりの中を歩いて行く と思ったら 私はいつの間にか 鉄橋の上を歩いていた 乗り物の絵本で見た鉄橋が 竹藪の道の進行方向に重なり トラス構造の
白っぽい視野の中に 草の生えた道があり 知らない樹木が立っていた 母は和服を着て 道にひとり佇んでいる すると向こうから 何年も前に死んだ父が歩いて来た ぱりっとした背広を着た 青年の頃の父だった 母は懐かしそうに父に近づくと ふたことみこと話しかけた 父はたいそう照れながら 何か言葉を返している 父の背広の袖に触れるたびに 母は若くなってゆく やがて父は母の手を取り 後ろ姿の若い二人は まだ私の生まれていない 夢の奥へ消えて行った 葬儀を終えて二日目の朝