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kawariyuku sekai to tomoni
変わりゆく世界と共に。
自分の周りの小さな世界を見ても、遠くの大きな世界を見ても、大音量で”変革”・”革命”の音が鳴っている。
生まれながらに持参した何かからなのか、感性や感受性が豊かだからなのか、生きていくことのしんどさ、ハードモードさ、サバイブさを感じてきた。今思うのは、これは、今の私に生まれる時に自ら選んできたんだと、おてんばなお姫さまったら、もう。
生まれながらにと言えば。先日、私のホロスコープ(天体の配置)の土星と冥王星が同じ星座のもとにあるのだけど、同じであるということは、、。「相当な、個人的な、もともとの苦しみを持って生まれてきた。自分の存在自体を不幸と思っているような、苦しみを持って生きている、人類的な、心の体験を、イメージを持って生まれてきちゃった」とのこと。
なるほど。そうだったのね。
知るということは、気づきというやつは、なんと私を楽にしてくれるのか。昨年から縁あって、月や星を学んでいる。いつだってタイミングが抜群だ。私が月や星を学ぶのは、自分のことをもっと知りたいから。
これからの世界は、私には息がしやすい世界だと、体感的に、肌感覚的に、そうとしか思えない。私もまた大きく変わりゆく。
小さい頃から、自分に見えるものを、自分が感じたことを、素直に表現すれば、笑われた、ひかれた、変なのと、理解されない反応が多かった。間違っているのは、自分、おかしいのは、自分。なんでこんなこと言っちゃたんだろう、やっちゃったんだろう、思っちゃったんだろう、見えちゃうんだろう、そんな自分が恥ずかしかった。今なら分かる、そんなの、全部幻想。
月のオバケに囚われていたのだ。
一つずつ、既存の概念とか、外の基準とか評価とか、洗脳とか、脱いでいく。私は、わたしを生きる。私は、わたしの感性を愛している。私は、わたしを愛している。
愛満タンな私で生きていいのだ。
私の愛のお花畑を枯らさない。
たくさんの愛を込めて。#うたのおと