私は何に、どんな意識を向けるのか。
それが、私を育み、整える。私の世界をつくる、カギだと思う。
私たちは、無意識に、無自覚に、
さまざまなことに意識を向け、それがどんな意識かなんて、ハテ?の状態で生活していることも多いように思う。
自然の流れに、本質的な意味で任せるのと、ただその流れに流されているのでは、意味が全く違うんじゃないかな。
私のエネルギーをどこに、どう使っているの?ということでもあるのかな。
私は、お花に意識を向けて、かわいいなぁ、美しいなぁ、綺麗だなぁと、よく愛でている。そこには、確実にエネルギーの循環が起きていて、かわいいね、美しいね、綺麗だねといった、ニコニコやうっとりの愛のエネルギーの循環があり、エネルギーが交流している。
もちろん、生きていく上で、綺麗ごとではいかない、ブラックなエネルギーの循環も、まさに悪循環ってやつ、まぁ普通にあるよね。
しかし、それを、意識すると、しないとでは違うような気がする。
そこに、無意識、無自覚であると、沼にはまり、エネルギーが確実に奪われ放題となる。ドロドロのエネルギー交流だ。。。。
エネルギーの奪い合いには、もう終止符を打とう。
奪い合いでなく、エネルギーの交流がいい、エネルギーの循環がいい
それがきもちいいってことじゃないのかな、感覚的に、体感的にも。
まず、自分の中にエネルギーの泉があることを知って、そこは源泉。
私の源泉。エネルギーは自ら生み出せるのだ。
意識を向けた先は、必ず応答、返答している。
その応答や返答に気づけるかどうかは、自分次第。
私自身には、どんな意識を向けているの?
ねぇ、私は何に、どんな意識を向ける?
愛を込めて。#うたのおと