旅を重ねて、学んで、耕して。 ーIPC日記Spring term2024 -5ヶ月目-ー
2024.05.05〜06.04
IPCでの生活も残すところ2ヶ月ばかりとなった。
折り返してからは怒涛の日々で、終わりがそろりそろりと近づいてくるのを感じながらも、みんなと過ごせるきもちのいいデンマークの初夏を楽しんだそんな日々をここに残しておく。
Self Love
Human experienceの授業にて。
今回のテーマは「self love」
自分のことを愛せていますか?
自分で自分を大切にできていますか?
自分で自分を大切にするためにあなたに必要なものとは?
わたしの永遠のテーマのひとつ「self love」
自分で自分のことを愛し、満たせるよう、修行中。
ついつい人と比べて、自分にないところ、足りないところばかりに目がいく。
自分で自分にOKをだしてあげられない。自信がない。不安でいっぱい。
人に認めてもらうこと、愛してもらうことで自分を認め、満たそうとしてしまう。
そんな自分が嫌になることもあるけれど。。。
自分のことを知り、認め、愛するには、自分と向き合う時間がたっぷり必要で、
すこしずつだけれど、わたしは今のわたしがすきだなと思える瞬間が増えていることはたしか。
自分のこころの声に耳を傾け、心地よいと思う選択を重ね、わたしのペースで自分の人生を楽しみながら歩いていくことがきっとわたしを愛することにつながっていくのだと思う。ゆっくり、ゆっくりね。
Trust 信じ、任せること、こころのゆとり
デンマークが、いかに「trust」でできているのかを教育でも感じる。
信じること、任せることで不安や心配を少なく、リラックスできるというのには納得。
そして、いかにオトナの在り方、学びの環境がこどもたちに影響するかを改めて感じた。
オトナたちのこころのゆとり、許容できるかがきっとtrustに現れているのだと思う。
足るを知る
science wellbeingの授業でのメディテーションがすごく心に残っている。
自分を信じること、自分に今あるものに目を向けること。
「足るを知る」とはよく言ったもので、ついもっと、もっと、と求めてしまうけれど、実は、すでに、たくさんのものが自分の周りにはあって満たされているのだと気づき直すこと、それらに感謝して今を大切にすること。
わたしたちはそれぞれにPrivilegeを持っている
Wednesday fellowshipでみんなと考えた「privilege(特権)」について。
IPCに来てから考えるようになったことのひとつ。
自分がどんなprivilegeをもっているのかを知る、自覚することから。
知ることで行動が、考え方が、ふるまいが変わる。
声をあげるということ
revolutionの授業の中で考えるようになったこと。
自分たち国民の力で国を変える動き、自分たちの国を自分たち国民の手でつくってきた独立の歴史がヨーロッパやアジアの国々にはあるのに対し、日本の歴史をふりかえったときに「革命」といえるような動きが、ピンとくるものがわたしは思いつかなかった。
百姓一揆とか戦国時代とか、明治維新とか学生運動は日本の歴史に影響を与えたものではあるけれど、他の国に比べると自分たちの声をあげ、それが国を変えた、動かしたという経験が少ないのかもしれないななんて議論したりした。
他の国の子達から聞かれて改めて感じた
どうしてわたしたちは社会に声をあげることに対してなんとなくネガティブなあきらめのようなきもちを感じるのか?
どうせ声をあげても変わらない、意味ないでしょ、みたいな無力感を感じているのか?
みんなと「ちがう」ことをすることに対しての恐れや不安があるのはどうして?
そこには、もしかするとこれまで日本がたどってきた歴史や社会の文化、価値観のようなものが深く関係しているのかもしれない。
ホロコーストの日。
イスラエルのホロコーストの日にイスラエルの子達が映画上映会を開いてくれた。
「シンドラーのリスト」
何度観てもいろんな感情がごちゃまぜに湧いてくる。
救えなかったいのちと救われたいのち。
それらがつないだバトン。
もうこんなにも悲しいことが二度と起こらないように、今を生きる私たちに何ができるのだろう。
No class day
5月には2度目のNo class dayがあった。
この期間は旅にでるひとも多かったけれど、今回、わたしは学校に残りゆっくりすることにした。
やりたかったけれど、なんだかんだ忙しくてやれてなかったことをやってみたり、
映画を観たり、卓球したり、ヨガをしたり、お散歩したり、学校に残ったみんなと過ごす時間をのんびり楽しむ。
「休む」ということがとにかく苦手。
どうして休めないのかをこのキャリアブレイク期間ずっとぐるぐる考えている。
しあわせはシンプル。
日が長くなり、あたたかい日が増えてきたので、みんなとビーチに行く日が増えた。
ぐるぐる
他の国からみた歴史を知ることで、日本でわたしがこれまで学校で習ってきた歴史とはちがったものが見えてきた。
わたしたちはなにを学んできたのか。
日本がされてきたことは学んできたけれど、一方で日本がしてきたことは知らないことの方が多かった。
歴史の授業でなにを学ぶか、は国によってちがうということもみんなと話す中でわかったこと。
でも、自分で知ろうとしなかったら知らなかったことがたくさんあること、学校で学ぶことがすべてではない、だからこそいくつになっても学び続けること、その姿勢をもちつづけることの大切さを改めて感じた。
オトナだって全てを知っているわけではない。
知っているつもりになるのではなく、「なんでだろうね」「いっしょにかんがてみよっか。」って一緒に考えられるひとでありたい。
流れる空気と時間のちがいを感じて。
はじめてのオーデンセ。
行ってみたかったアンデルセンミュージアムに行った。
今回のオーデンセ旅の1番の目的は、フォルケホイスコーレの見学。
日本から来られている視察メンバーのみなさんに同行させていただきました。
お邪魔したのは、Nordfyns højskole。
学校の敷地に入った瞬間から、IPCとは流れる空気と時間が違うなと感じる。
自然豊かで、ゆったりと流れる時間とたっぷりの余白。
心地いい。
迎えてくださった副校長先生からお話を伺った。
Nordfyns højskoleで大切にしている6つの価値観。
知的障害の子もいっしょに生活するということ。
デンマークの教育や社会体制。
いろんなことをお話ししてくださった。まさにそれは刺激と学びのシャワーで。
すべてのことばをメモしてもおいつかないくらい。
先生のお話を聴き、いろんな感情が自分の内側からも湧いてきた。
なぜ、わたしはフォルケホイスコーレを日本で開きたいのか。
実際に、自分がIPCで学びながら感じたこともたくさんあったけれど、今回、先生側からのお話も聞いて、それらがより一層たしかになった気がした。
次の日は授業にも参加させていただいた。
わたしは特別支援の生徒さんたちとクッキングの授業。
ピザを一緒につくった。
興味津々でたくさんおしゃべりしてくださる生徒さん、ちょっと距離はありながらも教えてくれる生徒さん、みんなそれぞれにわたしたちを迎えてくれた。
IPCに比べると授業の選択数も少なく、自由な余白が多いNordfyns
授業も身体や手を動かすフィジカルなものが多いなと感じた。
人数規模もIPCの半分、多様なひとたちがともに暮らす。
他のフォルケホイスコーレに行って過ごしてみたからこそ気づけたことがある。
わたしにとっての心地よさを時をゆるめてたしかめる、そんな学びにあふれた旅だった。
誘ってくださった宮城フォルケのみなさん、受け入れてくださったNordfynsの先生方、一緒に視察してくださったみなさまに感謝。
なにが「わたしらしさ」をつくる?
「多様」とはいうが、なにがあなたをあなたらしくさせるのか?
わたしたちはたくさんの「ちがい」を持っている。
そして、あなただけの「特別」も。
わたしたちは「ちがい」だらけで。でもそれらすべてが「特別」で。
だからおもしろいのに、
みんなが「おなじ」であることの方が難しいはずなのに、
私たちは「同じ」であることを求めたり、期待したり、そのものさしの中で測ったり決めつけたりして、「ちがい」を受け入れるのが怖くて、難しい。
それぞれのいろんな形を知り、受け入れるのにはきっと時間もエネルギーもかかるけれど、わたしは、そのカラフルさをおもしろがりながら、人生が交差した人たちと過ごせる今を味わってわかちあいたいなと思うのです。
ときをゆるめる。
雨が降って晴れた土の上を裸足で歩く。
一歩、一歩。
土を踏みしめ、歩くということにフォーカスする。
それはスピードを、ときをゆるめるということ。
そうして、「今、ここ」を味わうことで気づいたのは、そこにあるちいさくも美しいものたち。
頭をからっぽにすることは難しい。
「音」だけに集中することも。
鳥の声、太陽の光の温かさ、窓を閉める音、人の動く音
わたしたちはたくさんのものことに囲まれている。
それらをちょっと俯瞰して見つめる。
思考の川に飛び込むのではなく、深く味わってみる。
そして、わたしはまた旅にでる。
今回は、ニュージーランドのワーキングホリデーで出会ったフランスの友達を訪ねる旅へ。
行きたかったモネの睡蓮の展示がされているオーランジュリー美術館にも行ってきた。
人生でやりたかったことリストひとつ、チェック。
1年前に日本を離れてからというもの、わたしはどんどん自分が人生でやりたかったことを叶えることができている気がする。
それはもちろんいろんな人のサポートとご縁とタイミングが重なっているからこそなのだけれど、叶えたいと思うことって叶うんだなと自分の人生をもって実感できていることがなによりうれしい。
自分の人生を通して実験して、それらがほかのだれかのなにかになれたら、と思う。
問いをもらう日々。
フォルケホイスコーレのすてきなところのひとつだとおもうのは、先生だけではなく、生徒たちが自分の問いや学びを持ち寄って授業がつくられ、進んでいくこと。
毎回の授業でそれぞれの関心から調べたり考えたことをプレゼンするところからはじまるrevolutionの授業。
問いはすぐに答えがでるものばかりではないけれど、いつも考えるきっかけをくれる。
それらの問いに自分のあたりまえやこれまでの見え方が変わることも、気づくこともある。
アパルトヘイトを体験した方からお話を聞く機会があった。
これは決して「過去」のことではない。
今も形や場所を変えて起きていること。
帰ってきたくなる場所。
IPC同期の子が通っていたという学校に便乗旅させてもらった。
日本のオルタナティブスクールのありかた、そこに関わるオトナたちの想い。
ひととひととしてのここちよい距離感と関わり方が、時を経ても大切な場所としてこころに残り続ける。帰って来れる場所、根っこになっていく。
美しい自然環境の中でのびのびとその子らしさをそれぞれに輝かせて遊び、学ぶこどもたちの姿、学ぶことはたくさんあった。
オトナたちと人と人として関われる安心感が常にある環境で育っているからであろうあっというまに心を開いてくれたこどもたちとたくさんおしゃべりして、遊んで。
また、日本でも会おうねと約束した。
一緒に行かせてもらえてよかった。機会をありがとう。
エディンバラ街歩き中にみつけたマーケットがとても素敵だった。
楽しくも、みんなで今、世界や国やまちで起きていることについて考える機会がいろんな形で展示、紹介されている。
関心をもつ機会が、それらをみんなで考えたり話す機会が開かれている。
それってとてもすてきなことだとわたしは思う。
修学旅行のようなスウェーデンキャンプ。
6ヶ月とは長いようで短い。
早いもので「終わり」「最後」ということばがいろいろなところできこえてくるようになった。
このキャンプが終われば、お別れまでのカウントダウンがより現実的になってくる。
その現実に目をむけたくないきもちを抱えながら、楽しみにしていたスウェーデンキャンプがはじまった。
まずは、みんなで荷物を抱え、歩いてフェリーに乗る。
ごはんはおうちごとに。
たくさん旅をして、かけぬけた5ヶ月目。
さて、最後のひと月がやってきます。
6ヶ月目につづく。
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