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初めて大正ものを書いた作家の『帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい』コメンタリー&資料(中編)

第二幕、二人は浅草のカフエーで再会

第一次世界大戦については、当時の兵士の日記を少し読んで、散文的な描写にとどめました。花墨との別離の後、二十歳になった悧月は戦争に行き、そこで陰陽師としての力を揺り起こされます。

そしていよいよ、物語のメインの舞台、大正9(1920)年。国際連盟発足、日本は常任理事国に。
「家々には二つ以上の明かりが灯るようになり」というのが、前編で紹介した二又ソケットの登場ですね。バスには初の女性車掌が! ちなみにタクシーは明治の終わりに営業開始しているので、ボンボンの悧月なら使うかなと思って登場させています。

1920年の帝都について、全体像をざっくり把握するのにとても良い本があります。
TRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)の一つ・クトゥルフ神話TRPGを、1920~1930年代日本を舞台にして遊ぶための資料として、『クトゥルフと帝国』という本に当時の社会情勢がまとめられているんです。

こちらに収録されている資料には一次資料の名前がきっちり書いてあるので、元をたどってさらに詳しく調べることができて、本当に助かりました。さらに、このゲームのファンの方々が自分でも資料を集めたり公開したりされていて、その中に何と、震災前の浅草の地図が! 個人利用のみということなので、印刷して手元に置いて参考にさせて頂いています。

そんな浅草で、悧月は遊麓ゆうれい出版の雑誌『謡海ようかい』の編集さんと会いました。もちろん遊森の名前を改造して、怪奇小説を扱ってる会社・雑誌っぽくしたものです(笑)
二人は和洋食堂でカツレツを食べました。大正の三大洋食といえば、ライスカレー・コロッケ・トンカツ。
その編集さんから、悧月は英大使の妻子が惨殺された事件について教えられます。
日本とイギリスは1902年に日英同盟締結、1921年末に四か国条約で破棄されているので、1920年のこの時には普通に行き来できるはず、たぶん! と判断して設定を決めています。
花墨がイギリスに渡って戻ってくるのも、同盟を結んでいる間の出来事にしました(それ以外の時期でも一般人が行き来できたのかがわからんかったので安全策)。

ある日、悧月は『カメリア』というカフエーへ。椿のモチーフが好きなのでつけた名前です。
場所はだいたい伝法院の近く、というのは、1911年に銀座にできた『カフェー・パウリスタ』の浅草支店がそのあたりだったので、同じあたりに設定しました。銀座の方は文化人が愛した有名店ですね。浅草の方はどうだったんだろう?
そして当時のカフェーの中には、芸能人などの有名人が副業でやっていたものも結構あったそうで、鞠子さんの旦那さん(俳優)もそんな感じで『カメリア』を始めた、という裏設定です。女給が過剰なサービスをする店はというと、震災後に増えたらしいですね。
当時の女給は和服+白エプロンが基本っぽかったけど、もうバスの車掌さんや百貨店の店員さんが洋服で登場している時期なので、遊森の趣味で黒ワンピ女給にしました。
これがたまたま正解で、もし和服にしてたら後でドレスを着る時に下着をどうするかで困ってたかも?

再会した二人は、花墨の仕事が上がった後で話をすることに。花墨は椿柄の銘仙に着替えています。普段着だった平織りの絹織物、いろんな柄があって本当に可愛い。もう少し後に一大ブームが来て、多様な商品が出ます。下の本にも銘仙標本の写真が載っています。

花墨は女給になる前、曲馬団(サーカス団)に所属してイギリスに行っていました。最初は、戦争の間ずっと浅草の見世物小屋で働いていたことにしようかなと思ったけど、イギリス行って英語話せるようになって帰って来た女給ってドラマチックでしょう? 花墨を主体的に動かすためにも、この物語では英語が話せた方がいいなと。
曲馬団まわりは本編内で割と説明調で書いてしまったので、ここでは割愛。

ここで、花墨というキャラクターを作るのに参考にした、二人の女性をご紹介します。
◎伊藤初代
川端康成の元・婚約者。子どもの頃、芸者置屋で子守の仕事をしていました。当時は親が忙しい中、子どもが弟妹をおぶって学校に行ったり、子守奉公に出たりしていたらしいですよね。彼女はそこで芸者たちと特殊な人脈を築き、元吉原娼妓の経営するカフェ(というかミルクホール?)に引き取られて女給になりました。改めて調べて知ったけど、この方も小学校中退なのね……。とにかく、「私娼たちの子どもの子守をしていたため、事件調査でその時の人脈を頼ることができた」という設定はここから来ています。
◎木田(伊藤)梅子
伊藤博文の妻。かつて下関・亀山八幡宮のお茶屋さんで働いていましたが、そこへ刺客に追われた伊藤博文が逃げ込んできてかくまった、という運命の出会いをしています。翌年、芸者として売られましたが、それを知った伊藤博文が身請けして妻に! なんという胸キュン実話だ! まあ博文は女好きで有名ですけど!
梅子は西洋文化を猛勉強し、博文の欧化政策推進を支えました。
花墨が悧月をかくまったのと、英語を学んだのは、梅子さんからイメージしました。

梅子さんのエピソードは、近代日本の美味しいものを調べていて、たまたまこの本で読みました。面白い逸話がたくさん、おススメです!

「合祀政策」については本文内で触れたのでいいとして……これもめちゃくちゃ創作の余地が生まれる史実ですよねー。

第三幕、巣鴨監獄のあれこれと薬師寺家

今では都心部に刑務所ってあまり聞きませんが、この頃は結構あったそうで……というか、巣鴨監獄のあった池袋は、この頃まだ東京市ではなく郡部だったんですね。
施設名にも変遷があって、物語舞台の1920年は「巣鴨監獄」と呼ばれた終盤の時期みたいです。1922年に司法省によって名称が「刑務所」に改められたため「巣鴨刑務所」に、そして震災で被害を受けた後に府中に移転、跡地に東京拘置所ができて、一時はGHQに接収されて「巣鴨プリズン」と呼ばれてた……という感じなのかな。ちょっと詳しいことは私はわからないのですが。現在のサンシャインシティです。
確か以下の本を参考にさせて頂いたと(メモし忘れた)。巣鴨刑務所とその周辺の地図がばっちり載っていて助かりました。表門から入って右側が病監・医務所、さらに進むと囚人監、奥に服役場……とかね。面会室で面会する場面の再現写真もついてた気がする。

本編でも触れましたが、この頃には不平等条約が改正されていて、外国人を日本の監獄に収監していました。
悧白のコネで元大使と面会できた花墨は、彼の味方であることを表明してヒントをもらいました。

監獄を出た二人は、悧月が居候している薬師寺武雄・誠子夫妻の家へ。武雄おじさんは大学の歴史学の講師、という設定です。文京区本郷といえば東大が有名ですよね。学者や学生、作家が集まった場所です。
薬師寺家は、外観は洋風、内部は和洋折衷。明治後期の準富裕層のお宅っぽい感じです。
詳しくは、創作界隈の味方『建築知識』2023年3月号で! p67の「新伊丹住宅地」見取り図を参考にしています。


それではまた次回! というか、次は後編なんだけど終わるのかな(笑)


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