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初めて大正ものを書いた作家の『帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい』コメンタリー&資料(後編)

第四幕でやってきました鹿鳴館(華族会館)

やっぱり明治大正ものを書くなら、鹿鳴館でダンスでしょ! ……と思ったら、遊森が想定している1920年には『鹿鳴館』という名前では呼ばれておらず、払い下げられて『華族会館』になっておりました(詳しくは本文)。
それはともかく、もう建物は存在せず取材できないので、文献に当たるしかない。
それで読んだのが、『復元鹿鳴館・ニコライ堂・第一国立銀行』です。

江戸東京博物館(東京・両国)に鹿鳴館の模型を作るにあたって集められた資料が、ギュッと詰まった本です。模型そのものも見たかったけど、残念ながら現在、江戸東京博物館は改修工事のため長期休館中……(2022年4月1日~2025年度中)。
他にもこの時代の色々を知りたかったので、国立歴史民俗博物館(千葉・佐倉市)に行った時、第5展示室(近代)を見なくちゃ! と思ったら、何と第5だけリニューアル工事中(2026年3月再オープン予定)。ついてない(涙)
ただ、どちらにも公式YouTubeチャンネルがありまして、結構な数の動画が上がっています。日本の歴史について調べたいことがある人は、もしかしたら求める資料と出会えるかも。
江戸東京博物館の方では、浅草十二階の模型を舐めるように見せてもらえます(笑)

さて、花墨と悧月を冒険させるには、ぜひとも鹿鳴館(華族会館)の建物の図面がほしい。本に図面は載っているんですが推定図で、設計者ジョサイア・コンドルが書いた図面は行方不明とのことでした。
楽隊がバルコニーで演奏しているとか、「吸烟室」という表記とか、別館があることなどは、本の推定図に従っています。でも、あれこれ想像の翼を広げても全然いいんじゃないかな~
晩餐会の献立表なんかも載ってました。ダンスの曲順は、実際に何かのパーティーで行われたものを別の資料からメモしたと思います(記憶があいまい)。ダンス動画はYouTubeで見ました。

『日本紳士録』と『人事興信録』は、実際にあったものです。昔は個人情報ガバガバですよね。
花墨はこの本を、帝国図書館で閲覧しています。現在の国際子ども図書館(東京・上野)がそこで、建物の一部がそのまま残っていたり復元されたりしていて、もちろん入れます。当時の看板(表札)なんかもあったなぁ。
雰囲気が最高なので、ぜひ。公式サイトから3Dビューでも見られます!

当時は完全閉架式だったので、見たい本を申請して出してもらう(書庫から水圧式エレベーターで運ばれてくる)のと、男性と女性で閲覧室が別になってたのと、有料だったというところなどが、現在とは違うなぁという感じ。

花墨と悧月は金庫を開け、ショールをゲットして外に出ます。
そこで、憑捜の班長に出世していた剣柊士郎と再会。「剣」という苗字がかっこいいからつけてみたものの、物語の終盤で悧月が「剣! サーベルを寄越せ!」とか言って、どっちなんだよ状態になった(笑)
明治16(1883)年から第二次世界大戦後まで、制服警官は基本的にサーベルを所持していたので、憑捜もそれに合わせました。その後は木製警棒、アルミ製特殊警棒と変化していきます。
一般人が銃を持てた説もどこかで見かけたけど、まあ詳しくないのでやめておきます。

第五幕はハイカラな百貨店

日本最古の百貨店ともいわれる三越百貨店は、元々は呉服店でしたが、明治38(1905)年「デパートメントストア宣言」というのを発表しました。アメリカの店みたいにいろんな商品を並べる形態に変えるよ! という宣言ですね。
物語中の高鳥屋が呉服店から百貨店になるのは、その翌年という設定にしています。私、何となく百貨店が建ち始めたのは銀座というイメージを持ってたんですが、大きな百貨店って当時は日本橋に集中してたみたいで。架空の百貨店・高鳥屋も日本橋にしました。
エレベーターにはエレベーターガール、エスカレーターもあり、食堂でパフエー、屋上には遊園地。ときめきますねー。
花墨たちはあんまりゆっくりできなかったんですけれど、イラストレーター・マツオヒロミさんの『百貨店ワルツ』みたいな空間をイメージしながら書いていました。

悧月は、百貨店から薬師寺家へ電話を入れています。
公衆電話が街頭に設置された最初が、明治33(1900)年だし、その二年後には東京の電話加入者数が8万人(資料・NTT)とのことだったので、まあ薬師寺家に電話があって連絡とれても不自然じゃないだろ! と。

次はその薬師寺家で、誠子さんの手料理だーニコッ
家庭で作られたフランス料理の資料として、私、たまたまとってあったものがありまして。横須賀駅からすぐのヴェルニー公園というところに行った時、そこの資料館の「西洋料理ことはじめ」という展示で昭和初期の一般家庭の献立表があったんです。写真とったんですが、読めますかね? 参考にしました。

小林孝子『日本女子大学家政科 卒業論文 考現学より見たる一家庭』の献立表(日本女子大学蔵)

もういっちょ、明治三十年代の家庭に西洋料理が広まり出した頃の小説、村井弦斎『食道楽』。刊行されるやベストセラーになったというこの本も参考にさせてもらっています。

悧月の実家が横須賀なので、もし続きを書く機会があったら、今度は花墨と一緒に横浜・横須賀を訪れてほしい。悧月に力が目覚めたので、なんか、呼び出されそうだなと思ってます(笑)
誠子さんの食事は千代見姫の襲撃があったので、残念ながらデセールは食べられず……
千代見は陰陽師の匂い(式神)に引き付けられてそのことしか考えられなくなっているため、星見に気づかず、悧月に解呪されて去っていきます。

最終章は織物工場から始まって高鳥御殿へ

この物語は全編を通して、当時の女性の暮らしを出したいなというのがあり、「女工」もその一つでした。女工っていうと、学校で習った『女工哀史』が思い浮かぶわけですが、実はあんなにひどくなかったらしいという話も結構出てくるんですよね。場所によって、後は明治と大正とで違うのかもしれませんが……
参考までに、埼玉県入間市の旧石川組製糸西洋館の解説を貼っておきます。

「娯楽」のところとか、定休日に映画や演芸があったり、花見や運動会もあったりで、かなり楽しそう。
でも高鳥織物工場は、高鳥一族があんな一族なので、まあまず女性を大事になんてしないだろうと思われ……工場法違反をしています。ああ、ヤツなら元私娼たちを集めて安く働かせるとかもやってそうだな。私娼撲滅政策の後だから、流れ的にもおかしくないし(今ごろ思いつく)
物語のその後は違反が正されたので、トシさんももう少し楽になったと思います。

第六幕(3)の冒頭で、皇居のことを「宮城きゅうじょう」と書きましたが、皇居って呼び名が何度か変わってるってご存知でした? 私は今回たまたま調べるまで知らなかったです(笑) 数ヶ月だけ「東京城」と呼ばれたこともあったとかなかったとか……?
とにかく、物語当時は「宮城」。「皇居」と呼ばれるようになる昭和23(1948)年までは「宮城」でございます。

高鳥御殿での出来事は本編を読んでいただくとして……
最後に、消防車について。国産の消防車が登場したのは昭和14(1939)年なので、物語の時代には輸入車です。そんなに台数もなく珍しいだろうから、野次馬も集まるだろうなと思って、そう書きました。消防車もレトロモダンで素敵なので、参考ページのリンクを張っておきます。

最後に。実は改稿しました

初稿をnoteさんに上げた『帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい』ですが、note創作大賞に間に合わせようとバッタバタで書いたため、だいぶ荒っぽくて。今月、少し落ち着いて改稿し、カクヨムさんの方へ上げました。
タイトルも付け直しまして、
『女給と作家の大正メイズ(迷図)』
になりました。maze(迷路)に迷図という漢字を当てたの誰なんだろう、うまいですよね。
星見周りの設定がガラリと変わっています。ラストも違います。良かったらぜひ読み比べてみて下さい。

大正モダンの調べ物、とても楽しかったです!
それではまた、どこかで一緒に物語を楽しみましょう!

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