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2020年6月の東京で水心子正秀に親しんだ 新々刀による新刀研究 審神者視点
2020年5月25日に東京都の緊急事態宣言が解除され、6月2日発令の「東京アラート」も11日に解除されました。東京住まいの審神者のみなさんから博物館再開の喜びの声があがるたびにうらやましく思っておりました。空いてそうな平日の12日、万全の対策をして刀剣訪問してきました東京! 結果、当初その予定はなかったのに、水心子正秀に心を奪われて帰ってきました。
1.本館1階13室(刀剣)@東京国立博物館
2.「日本刀の見方 パートⅢ刃文」@刀剣博物館
の2本立て。どちらもずっと楽しみにしてたんだ!
■1.本館1階13室(刀剣)@東京国立博物館
「フッハッハハハ! これが! 俺の! 自宅だ!」
(「刀剣乱舞-ONLINE- Pocket」御伴)
東京国立博物館(トーハク)の本館1階13室はもともと2019年11月5日から展示環境改善のため閉室しており、2020年3月9日に開室予定でした。ところが新型コロナウイルス感染防止のためトーハク自体が2月27日から臨時休館となってしまい、開室は6月2日になりました。満を持して約7ヶ月ぶりの開室となった新生13室は10日から国宝「太刀 古備前包平(名物 大包平)」(平安時代・12世紀)と国宝「短刀 粟田口吉光(名物 厚藤四郎)」(鎌倉時代・13世紀)の展示も始まりさらにパワーアップ!
トーハクからは「再開にあたりご来館のお客様へのお願い」という非常に重要なお知らせが出ています。
・キャリーバッグは持ち込めないこと
・壁を触ってはいけないこと
・来館日時の記録のお願い
などなど密集防止以外の対策も記載があるためこれから訪問したい人は熟読必須です。
■13室のなかの水心子正秀
刀 水心子正秀 銘 川部儀八郎藤原正秀(花押)
寛政十年二月廿九日
私はトーハクで刀剣を鑑賞するときはまず先に本体を見て刀工をある程度予想してからキャプションを確認するようにしてるんですが、この刀は井上真改にエア入札したところ否でした。正解は大阪新刀の作風を狙った水心子正秀の初期作です。初期といっても寛政十年(1798)の年紀銘があるので、寛延三年(1750)生まれの水心子正秀は作刀当時もう48歳なんですけどね。
6月10日~9月6日まで13室で展示予定の15口のうち最も新しい刀剣で、文化財の指定も特に受けていません。「ふーん、詰んだ肌に締まった刃文じゃねーの」くらいの感想でした。その日、刀剣博物館で再び「水心子正秀」に出会うまでは。
■2.「日本刀の見方 パートⅢ刃文」@刀剣博物館
「いーですなあ。(非展示の)働かない時間。最高ですわ」
(「刀剣乱舞-ONLINE- Pocket」御伴)
刀剣博物館も新型コロナウイルス感染防止のため3月2日から臨時休館していましたが、6月2日から展示再開となりました。「日本刀の見方 パートⅢ刃文」は当初2月22日~5月17日の会期予定でしたが、3月18日に6月21日まで延長すると発表がありました。
「日本刀の見方 パートⅠ姿」
「日本刀の見方 パートⅡ地鉄」
の両方を2019年に鑑賞しおおいに楽しんだため、今年パートⅢの鑑賞が叶って本当にうれしいです! 延長を決断してくださってありがとう、刀剣博物館さん。
展示再開にあたり「ご来館者様へのお願いと当館の感染防止対策」があるため必読です。トーハクとの違いは
・事前予約が必要ではないこと
・体温測定が非接触温度計によること
・手すりに手を触れないよう指定があること
など。
■「日本刀の見方 パートⅢ刃文」のなかの水心子正秀
刀 銘 津田越前守助広
寛文七年八月日
※この刀は水心子正秀ではありません。
「日本刀の見方 パートⅢ刃文」には残念ながら水心子正秀の本体は展示されていないんです。でも、「展示」されています。どういうことかと言うと……
えっよく見えない?
彼こそが水心子正秀さんです。
【新刀剣男士 打刀「水心子正秀(すいしんしまさひで)」】(2/4)
— 刀剣乱舞-本丸通信-【公式】 (@tkrb_ht) November 20, 2019
「刀剣男士の誇りはここに」(cv.阿部敦) #刀剣乱舞 #とうらぶ #新刀剣男士 pic.twitter.com/KUm4b3QcQS
いやーそっくり!
「日本刀の見方 パートⅢ刃文」は
(1)刃文を見る(基礎編)
(2)刃文を見る(応用編)
(3)刃文を作る
(4)刃文を考える
(5)刃文を科学する
(6)刃文を記録する
という構成になっていて、そのうち本体の展示は(1)(2)の「刃文を見る」のみなのですが、(4)「刃文を考える」には水心子正秀による刃文に関する考察記録が展示されているんです。
展示書籍は
・『刀剣実用論』(全二冊)
・『古今製作刀剣辨疑』(全三冊)
の2つ。国立国会図書館デジタルコレクションの『水心子正秀全集 (刀剣叢書 ; 第1編)』で全部読めます。これらに胸を打たれました……!
■『刀剣実用論』
文化七年(1810)に世に出た弟子との問答形式で水心子正秀(当時60歳)が所論を述べている書籍。
「焼刃(刃文)の模様は時代の治乱により変わるように思われる。」
まさに「日本刀の見方 パートⅢ刃文」を総括するような内容です。注目はキャプションでは省略されている正秀の所論(コマ番号58)。
「子細は太閤秀吉公朝鮮征伐の時洛陽堀川の国広肥前国忠吉等朝鮮国に渡海し釜山浦の湊において造り候由の銘あり候、刀は大出来なる物これなく候得ども帰国の後、御治世に成候時の作には大出来なる物これあり」
堀川国広や肥前忠吉など乱世も治世も経験している新刀初期の刀工に注目し、乱世の作には大出来のものはないが治世の作には大出来のものがあると述べています。展示されているページの次のページでは、乱世に武用第一で作られた刀は折れにくく、治世にただ華やかであると賞美してもてはやされた刀は折れやすいと述べられているんですが、水心子正秀はちゃんと堀川国広や肥前忠広はどちらも経験していることに着目してるんですね。
これめっちゃエモくないですか……。刀剣男士の堀川国広くんや肥前忠吉くんはたぶん幕末当時にガンガン人を斬ってるじゃないですか。ということは折れにくい本体だったと思うんですよ。つまりどちらも新刀初期の乱世の作だったのでは……!? という目で水心子正秀くんがふたりを見ていたらかわいいですね。
■『古今製作刀剣辨疑』
文化十三年(1816)の書籍。やはり弟子との問答形式で水心子正秀(当時66歳)が所論を述べています。
「又問 足下の作にても大出来なるは折易しと云ながら助広真改の如き大出来なるものを造るのは何ぞや。」
華やかな大出来の刃文は折れやすいんじゃ! と主張している水心子正秀ですが、トーハク13室の本体のように実際には華やかな大出来の刃文を焼いています。これどういうこと? って当時もお弟子さんにつっこまれてたんですね(笑)。
「答云 古刀新刀ともに大出来なる作を銘鑑にも誉てある故是を賞美する者至て多し、依て予に限らず、鍛冶は皆折れ易き事を知れども、是を造り予も又人々の求に応じ流行に任せて造りたれども、風(ふ)と心附て見る時は甚だ不本意なる事故近来誓って是を造らず。」
華やかな大出来の刃文を権威が誉めて流行しているから作っている、という回答ですね。でももう作らないよって最後に付け足しているあたりがやっぱりかわいい。 やはりキャプションには載っていませんがページの左半分に注目すべき記載があります。
「予が志す処は(中略)直刃乱刃ともに刃幅中分」
ほうほう。
「又問 直刃乱刃ともに刃幅中分とは如何ほどなるを指さるる哉。」
さすが聞きたいところを聞いてくれる。
「答云 刀の幅一寸ならば刃幅二分程なるを中分と云也」
つまり刀身の幅の5分の1くらいの高さの刃文が理想ということですね。ここでトーハク13室の刀・水心子正秀と「日本刀の見方 パートⅢ刃文」の刀・津田助広を比べてみましょう!
上:水心子正秀
下:津田助広
……さては刃文が高くなりすぎないよう微妙に抵抗しているな……!?
■まとめ
新々刀の祖である水心子正秀は新刀初期の堀川国広&肥前忠吉の時代ごとの作刀の変化をよく研究しており、また、持てはやされた寛文新刀の津田助広&井上真改は折れやすい刀だと評価しつつも自分も似た刀を不本意ながら(もしかしたらささやかな抵抗とともに)作っていました。理想がありつつも現実に阻まれる姿には現代に生きるわれわれにも通じるところがあり、親近感がわきました。
こんなに愛らしい姿で顕現するのも納得です。
■関連リンク
『江戸の日本刀―新刀、新々刀の歴史的背景』伊藤三平氏著
・15章 水心子正秀と新々刀 ─復古刀の提唱─
・16章 花開く水心子正秀の弟子たち
・17章 水心子正秀は江戸の産業ルネサンスを担った一人
2016年12月25日出版という新しさがうれしい。