スピリチュアルな痛みについて③
こんにちは、Uraraです。
さて、スピリチュアルペインシリーズ
3日目となりました。
とりあえずこのシリーズは今夜で完結?に
したいと思います。
昨日は村田理論を半ば否定するかのような発言をいたしましたが😶、今日はその真意をお伝えしていきますね(念のため申し添えておきますが、決して否定しているわけではありません😅)。
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村田理論によって、様々なスピリチュアルペインの大元を辿っていくと、人間というのは「時間」「関係」「自律」という3つの柱があり、それらが崩れることでスピリチュアルペインが生じることが見えてきました。
再掲ですが、それらに横たわる大前提というのは、こういうことかなと思うのです👇
時間存在:過去から未来に向かう時間軸に沿って生きている、という前提。
関係存在:他者の存在があってこそ、自分の立ち位置が見つかるという前提。
自律存在:自分自身の身体は、自分でコントロールできる、という前提。
それでいて、Uraraがスピリチュアルペインに苦しむ患者さんと向き合うときの心の立脚点というのは、
「あなたは時間存在でも関係存在でも自律存在でもありません」
だともお伝えしました。
一体それはどういうことか?
私が採用している人間存在の大前提が
「私達の本質、本当の姿というのは、
『気づいている意識』であり
『観察者』であり
『空(くう)』である」
という次元のものだからです。
そもそも人間という存在が「時間」「関係」「自律」によって支えられている、と錯覚してしまうのは、「エゴ」の仕業によるものです(別にエゴが悪いわけではないですよ)。
そのエゴの次元を抜けて「空」の次元に立ってみると、
もはや「時間」は存在しないし
「自分」も存在しないことになるし
(なので、もちろん「他人」も存在しない)
ということは自他の境がなくなるので
「自分で自分の世話をする」ことと
「他人が自分の世話をする」こととは
そもそも何が違うのか?ということにもなるし
(自分=他人になるので)
そうすると
死ぬって何ぞや?ということにもなります。
「空の視点」からすれば「あなたは時間存在でも関係存在でも自律存在でもありません」ということになるので、
「あれ、何が苦痛なんだったっけ?」
…と、なるわけです。
崩れる柱そのものが、ないわけですからね。
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いや〜ちょっとぶっ飛びすぎてて意味わかりません…という方のお声が聞こえてきそうですが🙈💦
もちろん、こんな私の立脚点を、間違っても患者さんに伝えるなんてことはいたしませんのでご安心ください😅
ただ、自分がこういう視点を持っていることで、患者さんの苦しみを、同じ次元で苦しみとして受け取るのではなく、少し視座を上げて眺めることができるので、【静かな気持ちで傾聴できる】のです。
そう、私が患者さんに行えることは【傾聴】です。
「よくぞそんなお辛い心境を打ち明けてくださいました。ありがとうございます。」という気持ちで(本当に心からそう思います)、紡いでくれる言葉や表出してくれる感情(それは涙だったり叫びだったり怒りだったり)、もしくは、沈黙であっても、ともにする空間に全身全霊を込めます。
エゴの叫びにも聞こえる、スピリチュアルペイン。
スピリチュアルケアというのは、本当に神聖なお勤めだと感じます。
もし、身の回りにこのようなスピリチュアルペインを感じている方がいたら、どうかどうか、【傾聴】してあげてください🙏(否定したり、元気づけたり、諭したりする必要はありません。一緒に涙を流すだけでも、いいのです)
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というわけで、三夜連続となりました本シリーズは、一旦ここで終わりにいたします。
もし、「これってどういうこと?」「こういう場合はどう考えるの?」といったご質問がありましたら、コメント欄やインスタのメッセージなどにお寄せください。
Uraraならこう考える、というようなことをブログの中でお答えさせていただけたらと思います🤗
それではここまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。
それではまた♡
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