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声なきものの声

こんにちは、Uraraです。

「声なきものの声を聞く」

これは、
ある患者さんから贈られた言葉です。

今でもふと頭をよぎるほど
とても印象深かった言葉でした。

今日はこの患者さんとの思い出について
綴りたいと思います。

***

その患者さん(Mさん)は60代後半の
男性の方でした。

定年を迎えてからは家庭菜園を趣味とし
お義父様から譲り受けたという畑を
丁寧に手入れし
たくさんの野菜を育てておられました。

奥様は全く畑仕事に
興味がなかったそうですが😅、

Mさんは一人で黙々と畑に出かけ
土を耕し、苗を植え、野菜を育てては収穫し
ご近所に配っていたそうです。

入院中、

「何か心配なことなどありませんか?」

と尋ねても

「そろそろキャベツの収穫時期なんだけど…」

と、ご自身のお身体のことより
収穫を待っている野菜たちのことを
気にかけておられたほど。

そんな穏やかで優しいMさんの
お部屋担当になったときは、
畑のことや野菜の豆知識など
お話を伺うのが楽しみでした。

実はUraraは植物を育てるのが大の苦手で
サボテンを枯らした経験も…
(水をあげすぎたのか、あげなさすぎたのか)

そんな私は一体どうしたらいいのでしょう
と、Mさんに相談したところ

「声なきものの声を聞くことですね」

と優しく諭してくださったのでした。

***


声なきもの、か…。

そう言われると、
枯れていったサボテン達のことが
とても不憫に思えてきました😭

彼らはなんと叫んでいたのだろう…

それに、家にあるいくつもの植木達
(主人が育てている)

この子達は今、なんて言ってるんだろう…

水がほしいのか、いらないのか
太陽に当たりたいのか陰にいたいのか
寒いのか、暑いのか…

そんなふうに
ちょっと想像して観察して、としていたら

声は聞こえないけれど、なんとなく

「あ、こっち?」

と分かってくるような。
(…でもやっぱり分からないような)

Mさんに教えてもらったことを
主人に話したら
とても感動していました。

今でも主人の出張中に
私が植木の水やりを忘れていると

電話越しに

「コエナキモノ…」

と叱られます😑

***

「形なきものの形を見、
 声なきものの声を聞く」

とは、

『善の研究』で有名な日本の哲学者
西田幾多郎の言葉です。

自然とともにあった昔の日本人は
こうした感覚を確かに持っていたのでしょう。

現代であっても、
土や自然と触れ合う機会の多い方は
こうした微細な感覚が研ぎ澄まされて
いるんだろうなぁと思います。

禅の思想は深いので
これはまた別の機会に譲るとして

Mさんのおかげでこの言葉が
とても身近なものになりました。

***

Mさんは一度、
身体の調子が少し安定してきた頃に

「どうしてもまた畑を見たい」
「畑にある桜の木を見たい」

と言われました。

それでご家族にご協力をお願いして
外出を叶えることができました。

歩くのが難しくなっていたので
畑の土を踏むことはできなかったけれど

車の中から桜を眺めることができたとのこと。
病棟みんなで喜びました😊🌸

それから数週間後の麗らかな春の日、
ご家族に見守られて静かに旅立たれました。

***

緩和ケア病棟で出会う方々のことは
どうしても「患者さん」と呼んでしまいますし
私も「医療者」として関わることになります。

もちろん医療者としての姿勢や
関係性は大切にしていますが

病棟の特色的に「人生の終わりが近い」方も
多く来られるので

「患者」と「医療者」

という役割だけでは何か物足りない。

人生の終盤に差しかかったところで
ご縁あって出会うことのできた

「人」と「人」です。

その因果、ご縁。

そしてそこから生まれる気づきや学び。

受け取った者の使命として
それを響かせていくことも
大切にしたいと思っています。

***

それでは今日はこの辺で。
またお会いしましょう♡

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