ミッションは一つ、旅路は人それぞれ
こんにちは、Uraraです。
暑い夏の午後に
バタフライピーのアイスティーは
涼しげで幸せでございます🌿✨
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さて、昨日の記事なのですが
1日経たないうちに
我がブログ閲覧数のトップに踊り出まして
ちょいと驚いております😳
なんか・・・
地球は終わらない気がしてきました❗(←単純)
でもこんなにたくさんの方に
読んでいただいたということは
自らの霊性(スピリチュアリティ)に気づき
それを高めていくこと
というのは
この過渡期を生きる私たち人間共通の
ミッションなのかもしれない
と、感ぜざるをえませんでした。
ちなみに
「霊性を高める」ための道というのは何も
昨日お話したチベット仏教や東洋哲学に
限った話ではありません。
西洋占星術やタロットといった
西洋に古くから伝わる知恵も
ベースにあるのは「魂の成長」。
人間という「物質」として生まれ
それによる混乱を経て
自らの本質である「霊性(精神性)」に気づき
そこに戻っていく、
という旅路を辿っているのは
洋の東西を問わず
また今も昔も、人間共通の宿命なのでしょう。
それに、
本質に戻る道というのは
こうした哲学や宗教、学問だけでもありません。
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20代の頃、
私がチベットへの修行を断念したのは
そこまで世捨て人になる勇気や覚悟を
持てなかったから、というのは確かなのですが
高い山に登って、澄んだ空気の中で
たとえ何かを悟ったとしても
市中に帰ってきたときに
その悟りを活かせるだろうか?
という気持ちもあったからなのです。
周りが聖者だらけ、
という環境なら通用することも
山から降りて日本に帰ってきて
いろんな人がいる普通の日常生活では
どれだけ通用するのだろうか?
なんて。
今の私が当時の私に話しかけられるとしたら
「つべこべ言わず、さっさと飛べ!」
と言いたい気持ちもありますが😅
「目の前に起きてくることに
ただただ没頭するだけでも
真実の断片は見えてくるかもね」
とも言うかもしれません。
結果、
私は「看護」という道を見つけ
(その昔、看護というのは
仏教では「慈悲の実践」という
修行の一つでした。
キリスト教では修道院で修道女によって
行われていた行為です)
そこへ邁進することにしました。
私は「看護」というルートを通って
霊性を高める旅に出たわけです。
(まだまだ旅の途上ですけれど)
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皆さまは
どんな旅路を辿っておられるのでしょうか。
きっと目的地は同じところかと思いますので
ゴールで笑顔でお会いできたら嬉しいですし
途中、旅路をともにする方がいらしたら
もっと嬉しいな、とも思います💓
つらつらとした散文を失礼しました。
それではまた♡