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ミッションは一つ、旅路は人それぞれ

こんにちは、Uraraです。

暑い夏の午後に
バタフライピーのアイスティーは
涼しげで幸せでございます🌿✨

***

さて、昨日の記事なのですが

1日経たないうちに
我がブログ閲覧数のトップに踊り出まして
ちょいと驚いております😳


なんか・・・


地球は終わらない気がしてきました❗(←単純)


でもこんなにたくさんの方に
読んでいただいたということは


自らの霊性(スピリチュアリティ)に気づき
それを高めていくこと

というのは

この過渡期を生きる私たち人間共通の
ミッションなのかもしれない

と、感ぜざるをえませんでした。

ちなみに

「霊性を高める」ための道というのは何も
昨日お話したチベット仏教や東洋哲学に
限った話ではありません。

西洋占星術やタロットといった
西洋に古くから伝わる知恵も
ベースにあるのは「魂の成長」。


人間という「物質」として生まれ

それによる混乱を経て

自らの本質である「霊性(精神性)」に気づき

そこに戻っていく、

という旅路を辿っているのは

洋の東西を問わず
また今も昔も、人間共通の宿命なのでしょう。

それに、

本質に戻る道というのは
こうした哲学や宗教、学問だけでもありません。

***

20代の頃、

私がチベットへの修行を断念したのは
そこまで世捨て人になる勇気や覚悟を
持てなかったから、というのは確かなのですが

高い山に登って、澄んだ空気の中で
たとえ何かを悟ったとしても

市中に帰ってきたときに
その悟りを活かせるだろうか?
という気持ちもあったからなのです。

周りが聖者だらけ、
という環境なら通用することも

山から降りて日本に帰ってきて
いろんな人がいる普通の日常生活では
どれだけ通用するのだろうか?

なんて。

今の私が当時の私に話しかけられるとしたら

「つべこべ言わず、さっさと飛べ!」

と言いたい気持ちもありますが😅

「目の前に起きてくることに
 ただただ没頭するだけでも
 真実の断片は見えてくるかもね」

とも言うかもしれません。

結果、

私は「看護」という道を見つけ

(その昔、看護というのは
 仏教では「慈悲の実践」という
 修行の一つでした。
 キリスト教では修道院で修道女によって
 行われていた行為です)

そこへ邁進することにしました。

私は「看護」というルートを通って
霊性を高める旅に出たわけです。
(まだまだ旅の途上ですけれど)

***

皆さまは
どんな旅路を辿っておられるのでしょうか。

きっと目的地は同じところかと思いますので

ゴールで笑顔でお会いできたら嬉しいですし
途中、旅路をともにする方がいらしたら
もっと嬉しいな、とも思います💓

つらつらとした散文を失礼しました。

それではまた♡

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