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デジタル庭師、デジタルガーデンを誤解する

デジタルガーデンという考え方があります。ブログで関連した記事を何度も書いていましたが、意味を誤解していた事に気が付き、記事というかブログ全体の大規模な修正をしています。

デジタルガーデンとは、現在の改まった僕の認識だと以下の様になります。

個人的な記録とブログの中間のもの。デジタルガーデンに配置される情報は未完成で、それらを庭に手入れする様に何度見返しては修正を重ねて、情報が洗練されていく過程。情報(デジタルガーデン上の記事)はリンクで相互に繋がり、そうなる事で豊かな考えと発想の土壌となっていく。

泡沫なりのデジタルガーデンの理解(2024/02/01現在)

以前書いた別の記事では、以下の理解でした。

スマホやパソコンでとったメモやノートなどのデジタル情報を、庭の管理になぞらえて定期的に手入れ(修正や見返し)をして、いつまでも使える情報資産として育てましょう。と説く概念。

デジタルガーデンを再認識する(https://note.com/utakata_game/n/n7a11c8730bf2)

この誤解に気付いた時は正に青天の霹靂でした。寝耳に水です。まずは驚きました。何度もデジタルガーデンを理解しようと、自分なりの表現を模索していたのに、大きく意味を誤解していたとは。

この誤解には経緯があります。僕がデジタルガーデンという概念を初めて知ったのは、五藤隆介さんアトミックシンキングという本を読んだ時です。その中で語られるアトミックノートという概念と、デジタルガーデンを混同していました。

デジタルガーデン自体に、いつまでも使える情報資産を目指すという思想はくっついていません。勿論、ゴールとしてはそうなるのかもしれませんが、一旦の意味としてはそこまで言及されていません。

ゴールはともかく、未完成なまま世に公開することで、他者からのフィードバックを得たり、別の記事とリンクして成長していくもの。そういったニュアンスの方が強いです。

デジタル庭師としての自負が芽生えてきた頃合いだったので、若干傷心しています(自業自得ではあります)。大きな夢として、デジタルガーデンやデジタル庭師の概念を普及させていきたいと思っているので、意味の誤解は致命的です。

デジタルガーデンは紛れもなく良い概念で、それを色んな物事に当てはめてみるコトで、より良い知的生産やアウトプットに繋がります。

デジタル庭師として弛まず精進していきます。

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