産業革命による数多の書く道具がもたらす新しい思考様式の是非_「思考のエンジン第1章レジュメ」
前書き
この記事はブロガー・作家の倉下忠憲さんが主宰している環読プロジェクトという、1年ほどの時間をかけて1つの本を何人かの方々と読み通す、とても面白い企画の1章毎のまとめの記事です。
参加者は同じ本を一緒のタイミングで読むのもそうですが、Scrapbox(現:Helpfeel Cosense)というメモ・ノート共有サービスにて読書メモを共有しています。参加者同士がお互いのメモを見て、誰がどこの部分に疑問を持ったかなどが共有され、読み方の違いなどを楽しめるので非常に楽しいです。
また来年にも環読プロジェクトについてお知らせなどが有るかと思いますので、気になる方は倉下さんをフォローしてみて下さい。
このレジュメは毎回様式が変わっていきます。編集性の訓練としてそういう風にやっていきたいという思いがあります。あしからず。
1章のまとめ
かなり何度もレジュメを書き直していて、どうにも完成しないので、一旦うーんと短くまとめてみます。
1章は次の3節で構成されています。
ニーチェとハイデッガー
エズラ・パウンドとタイプライター
作家の仕事部屋
この3節に通底するテーマは、「19世紀の産業革命によって可能となった、数多の書く道具による新しい思考様式の是非について」です。
この時代に登場した書く道具の中で特に中心となるのは、タイプライターです。
ニーチェは1881年にタイプライターを購入し、テクノロジーと喜んで戯れましたが、一方でハイデッガーはタイプライターは言葉を破壊すると主張し、以下の言葉を残します。
ニーチェの他にもタイプライターを喜んで受け入れる者はいました、その一人が詩人のエズラ・パウンドでした。
エズラ・パウンドはヘミングウェイなどを世に出す貢献などに挙げられる編集者としての活躍や、代表作「キャントウズ」を始めとした詩でも知られるモダニズムの巨人です。
そんなパウンドは詩の視覚的効果について細心の注意を持っていました。そんな中、タイプライターによる印字の精確性やスピーディに書ける事をとても気に入り、機械による書くことに魅せられていきます。
詩を機械で仕上げる事について、手紙で次の様に語っています。
書くことに機械やシステムを導入するか否かについては、「作家の仕事部屋」という本も参考になると、著者の奥出直人さんは云います。
3節目「作家の仕事部屋」では、タイプライターを使って第1稿を書き、推敲や清書までタイプライターを使う作家たちと、第1稿では手書きだがその後のプロセスをタイプライターによって行う作家たちのその作業内容について整理して書かれています。
今後の章でもかなり論考の鍵となる、タイプライター的思考について、著者は次の様にまとめます。
書くことが(手書きの)難儀さから開放され、書き直しも非常に楽となるタイプライターによる書く作業。文章を全体から眺めて、統制し、細部を仕上げるという事が可能となった新しい書くことはどこに向かうのでしょうか。
2章以降、タイプライター的思考を超える世界について考察する論考が始まっていきます。
あとがき
2月から始まっていた環読プロジェクトですが、2月に読み終えた1章のレジュメがやっと完成しました。体調不良もあったのですが、完成に漕ぎ着けなかった決定的な理由は、やはり読んで理解する事が難しかったからだと思われます。
今後の章で顕著ですが、ここから知らない哲学用語や、一読して理解できない引用文などが沢山出てきます。レジュメを書くのに四苦八苦した1章ですら、読んで理解する難度はまだ易しかったと思う次第です。
レジュメを書く過程で何度も書き直して、結局完成させられたものは平凡だなぁと自分で思うのですが、それでもその中で得た経験値は次章以降のレジュメで活きてくるのではと感じています。
体調が良くなってきましたので、ゆっくりとまた環読プロジェクトに参加していきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?