全人類、『ミヤコワスレ終末論』を聴いてくれ。
こんにちは、泡沫です。
今日は2015年の夏コミで販売された、『ミヤコワスレ終末論』というアルバムの全楽曲について、それぞれ好きなところを語り散らかしたいと思います。筆者には音楽的な知識が殆どない点にご了承ください。
先にも述べた通り、本アルバムは8年前(現時点)にコミックマーケットで発売された、コンピレーションアルバムです。(コンピレーションアルバムとは、複数のアーティストによって作られた、共通のテーマをもつ楽曲が収録されているオムニバスのこと。大体そう。)
当時はまだ若くで、Neruさん目当てでこのアルバムを購入した私ですが、大学も卒業かという今に至るまで、あらゆるスマホ・PCに保存して聴き続けています。つまり、8年間聴き続けても聴き飽きない最高のアルバムだということです。
現在は流通しておらず、おそらく中古で買うか、他人から譲り受ける以外に入手方法は存在しません。そもそも同人で少数出たきりのものなので、見つけることすら困難かもしれません。どうして…………。
なお、個別のアルバムなどに収録され、より簡単に聴ける楽曲もあるようです。クロスフェードも出ているので、雰囲気だけでも感じたいという方はこちらからご視聴ください。
なぜ8年前のアルバムの話を突然し始めたのかというと、最近ふと『ミヤコワスレ終末論』でサーチをかけたところ、αsucaさんという方の記事に行きつきました。2023年になってこのアルバムの記事が出ていること、その熱量に驚かされ、「これは書くっきゃない!」と思い立った次第です。
記事リンクはこちら。詳しい情報や動画リンクもあるので必見です。
さて、ここからは『ミヤコワスレ終末論』の良さを語るフェーズに入りたいと思います。
このアルバム最大の魅力は、なんといってもコンピとしての完成度。コンピレーションとしてのテーマはいわゆるポストアポカリプスであり、どれも終末世界のうら淋しさや儚さを含んでいるのですが、一曲一曲に強い個性があり、ひとつとして同じものがない。豪華メンバーによる粒揃いの楽曲群ですからね。
そしてそれらの楽曲がひと繋がりで纏まっており、ひとつとして欠けていいものがない! オムニバスを含め、これまでいろいろなアルバムを聴いてきましたが、『ミヤコワスレ終末論』に勝る構成力を持ったものは存在しないと断言します。そう言えるくらい、アルバムを通しで聞くことに意味があります。曲調、想像される物語、聴き手のテンションまで、全てが滑らかに、違和感なく繋がっている気持ちよさは必聴に値します。
反面、これが原因で布教しづらいというのもあります。この良さを知ってもらうため、フルで聴かせると40分。これを拘束時間とするのは、ドライブ中でもなければむしろ逆効果になり得ます。伏線回収で盛り上がるアニメを「とりあえず10話まで見て!」というのと似ていますね。
「終末世界」というテーマも良い。わたくし大好物です。漫画『HEARTGEAR』も好きですし、『DEATH STRANDING』もプレイしました。世界が終わったという寂しさや儚さは、ノスタルジーにも似た感慨があります。
そんな大好物テーマのオムニバス。各楽曲、それぞれの世界観をもっていて、まるで短編小説集を読んでいるような感覚に陥ります。没入感も凄いですね。落涙しそうになる歌もあるくらいです。
そんな『ミヤコワスレ終末論』の収録曲10曲を、ひとつずつ紹介していこうと思います。どうかお付き合いください。
(元々ファンだよって方は、コメントにご自身の解釈なりを是非ともお書きください。解釈違いブラウザバック対策でここに書いています。)
1. FPS (Neru)
アルバムを再生して、真っ先に耳に届くのがこの曲。先に述べたとおり、私はこの曲が聴きたくて買いました。同年9月に発売された「マイネームイズラヴソング」にも収録されています。
アルバム全体にとって、この曲はいわば道標のような存在です。小気味よいややアップテンポな曲調と、比喩を用いながら情景を浮かべやすい歌詞によって、リズムにノリながら「なるほど、このアルバムはこういう雰囲気なのかな」というふうにすんなり理解できます。
そしてこの曲、終末世界の中でも「今まさに終わろうとしている世界」を描いています。少女ひとりの命よりも、ライフルのほうが値打ちのある世界。明日の命の保障すらも彼らにはありません。そんな希望のない世界で生きる少年が、不条理への激情を募らせていき、ついにはこんな世の中を呪うようになる。そんなストーリーです。
しかし最後の歌詞、「ついに僕らが終わる番」という文の意味は複数考えられます。争いの元凶となる上層部に立ち向かって討たれたのか、あるいは国が滅びる最中、「ざまあみろ」と思いながら自らもまた死んでいったのか……。どうあっても、彼自身の幸福には至っていないのだろうと考えると、聴いたあとにずしりと重い気持ちになります。救いはないのか。アウトロが流れた後、ノイズが走ってこの曲は終了となります。とてもわかりやすく、聴きやすい曲でもあると思います。
2. ライフライトブルー (n-buna)
初っ端から重めだった『FPS』から一転、こちらは曲調自体は明るくポップです。しかし、歌詞をよく聴くと「病」「死」「終わり」など、ネガティブな言葉が羅列されており、これまた重苦しい気持ちになります。重くて辛い気持ちはクセになりますね。
この曲の世界では、「人魚病」と呼ばれる奇病が流行っているようです。具体的な想像はつかないのですが、人魚病に罹った人間は石のようになり、死んでいくのでしょうか。すみません、正直な話、具体的なワードはいくつも散りばめられているのですけど、私には曖昧なイメージしかありません。海があるのかないのかすらわからない。「君」が生きているのか、死んでいるのかすら明言できない。語り部がどんな気持ちなのか、そのまま心に投影することもできない。
ただ、先にも述べたように、この曲の曲調はアルバム内で1、2番目に明るいものです。そして、死や病といった生命の苦しさを最も直接的に表した曲でもあります。このえげつないギャップによって悶え苦しみます。なので、この曲を聴く際にはぜひ、困惑してください。
シンプルに明るく、前向きな気分になりたいときに聴くのもおすすめです。かなり捉え方次第な曲ともいえます。
3. Enter (MI8k)
『ライフライトブルー』から一転、こちらは重いというよりは暗い曲です。重くもあります。
とにかく、聴いた瞬間に「モノクロだ!」となるくらいに薄暗い曲です。画面にノイズが入った白黒映画っぽい感じ。曲を構築している音も、ところどころ雑音のようなものが混じっていたりして、「荒廃した世界で作った音楽」のような印象を受けます。
曲の世界観について、基本的には、誰かを探す語り部が、荒廃した世界を歩きながら、こうなってしまった顛末を顧みている、といった想像をしながら聴いています。とにかく、今となってはどうしようもないという感覚だけがあります。「誰かタイムマシンで僕らを救って」というのは、自然と「こうなる前の過去を変えて、世界を作り変えてほしい」と読み取れます。歌詞を読むと、どうしても今の彼自身を救ってくれと言っているように思えないのです。
そして震えるようなラスサビ。最後のひと言の瞬間だけ、音がぷつっと途切れる。こういう演出は珍しいわけじゃないんですが、この曲だと重みが違います。明確な終わりを感じます。あとはカメラが遠ざかって、黒い点になるまでエンドクレジットが流れているようなアウトロ。「もっとどうにか幸せになれたんじゃないの~~~???」と毎回思います。そしてそのたびに、最後に希望を抱えて逝けたのならそれでいいと思うしかない、と納得し直しています。ダウナーな気分に拍車をかけたいときにおすすめです。
4. 最期に竜は笑わない (koyori)
まるでダークな映画のようだった『Enter』を終えて、この曲は少しファンタジーな世界における終末を語っています。個人的には、東洋の神話のようだな、と思いながら聴いています(詳しくはありませんが)。『獣の奏者』に似た雰囲気を感じます。おそらく曲調によるものなんでしょうが、具体的にどの部分が……とは言えない。ギターの音がアコギっぽいのとエレキっぽいのが混ざってていいですよね、としか……。
歌詞を読み解くに、この世界は何らかの明確な「終わり」を目前にしています。そしてこの世界には、竜がいます。文言からして現代風のテクノロジーはあるにしても、やはり神話チックな雰囲気を感じられます。個人的な感想ですが、「竜」というと太い足をもった竜なイメージがあります。
終末を前に堕落する語り部。番を失い、その悲しみに暮れる竜。未来に希望を持てずにいたふたりが、ふと最後に「終わりを越えよう」と決意を新たにし、竜の背に乗って飛び立つ、そんなイメージです。地上の人間たちはただただ終わりを受け入れていますが、彼らは異なるほうへと歩き出します。
ラスサビ入りの、ギター単独にもう一本のギターが合流するところはお気に入りです。歌詞もこの曲の中ではかなり直球で、直に問いかけられている感じがします。
「駆けることがあるとすれば つまりは僕らだ」
「駆けることがあるとすれば つまりは僕らなんだ」
激しくなる楽器とリフレイン的な表現から、とにかくひたむきな熱意を感じます。
総評すると、子供向けに書かれた物語を、大人になってから読み返したような、懐かしさと悲しくも純粋な前向きさを感じられる名曲です。『獣の奏者』が好きな人はきっと気に入ると思います。
5. エキソダス (ユジー)
東洋ファンタジー風の『最期に竜は笑わない』から一転、この曲はゴシック調の幕間のような雰囲気を醸しています。
幕間、というと軽んじているようなニュアンスが出てしまいますが、この曲は本当に、この曲の世界からも隔離されたステージにいるような雰囲気なのです。歌詞に含まれる単語もどこか洒落ています。荒廃した世界の中、観客のいない小屋を建て、その中たったふたりで歌い踊っているような、不思議な感覚。きっともう、ヒトも住まない場所であるにも関わらず。そして踊っている彼ら自身、世界の在り方を無視しているような気もします。
あるいは2番のサビなどから読み取れるように、彼ら自身は世界を滅ぼす側なのかもしれません。そして実は、彼らが相手取る者たちこそ世界の在り方を歪める悪であり、彼らは悪を以て悪を制する、愉快なテロリスト……という見方もできます。それでいて、彼らの内側にある悪への反感の箇所は、曲調を変えて表現しているような感じがあります。
こうして色々書いていますが、それでは辻褄の合わないところ、意味を汲み取りにくい箇所があるのも事実です。皆さん、是非ともご自身の所感をお書き込みください。私が聞きたいので。
ただゴシックっぽい曲調はとにかく異質で、曲の終わりからも、舞台が終わったような雰囲気に包まれます。劇場の椅子に座っていたような、不思議な錯覚を覚える楽曲です。
6. バニラに愛を
『エキソダス』は曲調が異質でしたが、こちらは歌詞が異質。というより、世界観が異質な作品です。
曲調は『ライフライトブルー』と並び、このアルバムではかなり明るい寄り。落ち着いたローテンポと毛綿のように軽い歌声が特徴的で、天使が歌っているような、浮世離れした印象を受けます。
歌詞自体も、非常に抽象的だったり、大きな概念を多く取り込んでいて、人によって解釈が大きく分かれる楽曲だと思います。私は冒頭の歌詞をそのまま解釈して、「神様から生まれた語り部が、地球の崩壊を見届けている」ような楽曲だと感じました。どちらかといえば、彼女のほうが世界を破壊する側のような気持ちがしています。道化師と相対しているところなんか、西洋のファンタジーを読んでいる感じがします。不思議な服ってどういう服なんだろう。
ただし、やはり比喩表現が多いので、全く異なる解釈が多く存在する曲だと思います。おそらく私の解釈は相当ネガティブなほうですが、そう捉えてもやはりとても前向きな印象を受ける不思議な楽曲です。世界の崩壊を見届けながら、彼女はそこに美しさを見出している。サビの歌詞に使われている優しい言葉から、これを純粋な心で感じ取っているのだろうな、ということも伝わってきます。如何なる解釈の元でも、やはり彼女はただのヒトではないような気がしています。
7. アスカ (やまじ)
この曲はひと言、「音が良い」ということを共有できれば嬉しいです。
本アルバムはVOCALOIDの楽曲群ということもあり、電子的な音を用いていたり、エフェクトが強くかかる曲が多いのですが、『アスカ』はギター、ドラム、ベースといった音が、リアリティありありでしっかり届いてきます。これと疾走感のある曲調が相乗効果をもたらし、とても強い臨場感を与えてくれます。赤茶けた世界に吹く、強烈な砂嵐に立ち向かっているような、そんなイメージです。
メロディーとは裏腹に、歌詞の語り部となる人物は停滞しているように感じられます。独白として歌われるテキストには、諦観や回顧を思わせる単語が多く登場します。しかし、曲調の変化に呼応するように、その内に押し込めた希望、あるいは衝動が露わになります。それは叫びともとれるでしょう。空に向けて吠えるように歌っている情景が浮かぶ箇所もあります。先に述べた臨場感も相まって、つい気持ちが入ってしまう、とてもいい楽曲です。
8. さいごのカセットテープ (ラムネ)
この記事中で散々「この曲は独特だ」というような文言を見てきたことかと思いますが、この曲は飛びぬけて独特な曲です。
始まりは、古い音響機器から聞こえる、ノイズが混ざった人間の声。次いで流れる、電子音で構成された断続的なメロディー。タイトルのとおり、この曲はカセットテープに録音されたメッセージというストーリーで歌詞が書かれています。そのうえ、前半と後半では同じメロディーの中で、それぞれ別の人が録音した音声になっているんですね。
歌詞にも対応箇所がところどころに見受けられ、目を見張る構成力があります。街が崩れ、世界が終わった後に語られる、ふたりの視点のお話。現実逃避か本心か、前向きな言葉を残した前者。対して、崩壊する以前の生活を懐古する後者。サビに残された告白への返事が、「好きって言われて好きになった」というのもまた、目の前に居ないからこそできる返事って感じで、モヤモヤを残すいい歌詞ですね。
そして、曲のラストには後者の独白が入っています。それ以前から仲の良かった友人とのテープ越しの再会に、「ここにいたんだ」という安堵感、言葉を交わせて吹っ切れた感覚とは裏腹に、一方的に残された告白によって生まれた思いが尾を引いて、チクチクと胸が痛む。彼女がそれを引きずって生きていくのかと思うと……たまらない一曲です。
9. シクス (とあ)
10曲中の9曲目となる曲ですが、私はこの曲こそ、本アルバムの最終章であると断言します。曲としての長さは3分半に満たない短い曲ですが、物語的な重厚感はアルバムで最高位といっても過言ではありません。
ボーカルのソロから入るこの曲は、音楽自体が物語を持っているように思えます。ピアノなどのクラシックな楽器と、ギターなどの近代的な楽器、そして電子的なエフェクト、多種多様な要素から構成されている難しい楽曲ですが、全てが絶妙なバランスでハーモニーを成し、ガラス細工のような繊細さを持ちながら、ドラマチックな転換から構成されており、一曲を通して集中を切らすことを許さない楽曲です。そこに切ないボーカルの歌声が重なることで、神秘的な美しさが感じられる楽曲です。
歌詞にも各パートに役割が割り振られており、Aメロでは俯瞰的な内容であったのが、Bメロで順に橋渡しするようにして、サビでは願うような心情の吐露に変化します。各サビ前で共通する「目を閉じる」という言葉から、雫が落ちる音で静寂を生む箇所では、思わずこちらも目を瞑ってしまうほど、雰囲気作りが非常に優れた曲です。
10. 幸福の残香は悠久の中に (銀銀)
10曲から構成されるアルバムの、トリを務める楽曲。これまでの超名曲ラッシュの最後を飾るにふさわしい楽曲となっています。
『シクス』を最終章とするなら、この曲はエンディング、あるいはエピローグにあたる楽曲だと思われます。これまでの楽曲は、その世界を構成する人物や背景なんかがイメージされたと思うのですが、この曲からイメージされるのは、弾き語りのように歌うひとりと、その人に語られているもうひとり、これだけです。彼らがどこにいるのか、どんな世界なのか、それを考えるのも野暮なくらい、二人だけの世界という感じがします。
歌詞を総括すると、「このまま君と生きていけるなら そんなに悪くないかな」という歌詞そのままになります。客観的に見ると、非常に短絡的で放棄的な答えに思えるかもしれませんが、反面、強く根拠のある前向きな希望で、大いに共感できる言葉でもあります。私自身、世界が終わるとしてもこう思えていたら一番幸せだろうなあと思うタイプです。そう思えるほど大切な相手がいるということが、それ自体がこれ以上なく尊いことだと思います。しかし、このアルバムを聴き続けて8年にもなるので、むしろこの曲によって自分の思考が形成されているのでは……と思ってしまいます。そのくらい印象深く残る楽曲です。
そして最後は、泡のように儚く消えるアウトロで終わります。余韻に浸りながらも、悪い意味で後に残らないこの終わり方、まさしく締めにふさわしい楽曲です。
おわりに
最後までお読みいただき、ありがとうございます。ぶっつけで書いている箇所が多いので、拙い点はご容赦ください。
この記事を読んで、少しでも『ミヤコワスレ終末論』に興味が湧いた、という方がいらっしゃれば嬉しいです。本当に、どの曲をとっても素晴らしく、総合的にも唯一無二のアルバムなので、是非とも聴いて好きになっていただきたい。そして周りの人にも勧めて、ミヤコワスレファンがたくさん増えてほしいと思います。切実に。
「興味湧いたよー」「私も好きだよー」「私はこう思ったよー」という方は是非、その気持ちをコメント欄にお書きください。
これからも、『ミヤコワスレ終末論』をよろしくお願いします。
それでは。