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2025/02/04 高円寺で何者にもならない

たまに、高円寺に行きたくなる。
高円寺というのは東京の地名で、新宿駅から何駅か離れた場所にある。都心の雑踏から少し離れて、商店街があって、雑多な人々が行き交って、様々な文化があって……、という感じ。
わたしは地方から何駅か乗って、そこからバスで高円寺に行くのだけど、足を踏み入れるたびに、高円寺はサブカルチャーの場所だと強く実感する。
なんとも言えない空気感、そこでバンドマン風の男性が広場でギターをかき鳴らしていたり、少し歩いてみるとカレーやアジア系のエスニックな料理屋が並んでいる。そこを、コンビニで買ったペットボトルの飲み物をちびちび飲みながら歩く。

高円寺に初めて足を踏み入れたきっかけは何だっただろう。
おそらく、作家関係のイベントだったような気がする。もともと点滅社という出版会社の屋良さんに少し縁があり、その会社がやっているそぞろ書房にちょくちょく足を運んでいた。

そのときの記録はここに書いた。
今はほとんどそぞろ書房に足を運んでいない。あれから、屋良さんのツイッターのアカウントはブロックした。何らかのトラブルがあったわけじゃない。考え方の相違もある。


初めて高円寺に足を踏み入れて、あれからいろんなことがあった。
カクヨムの短歌コンテストの最終候補に残った。歌舞伎町文学賞の一次選考に残った。
歌舞伎町文学賞の一次選考の報せがあった時も、高円寺にいた。その時蟹ブックスで年末の企画をやっていて、まったく知らない人たちとだらだら酒を飲みながらだらだらしていたら、そのニュースが来て、酔っぱらってひたすら万歳をしていたら、そこにいる人が祝福してくれて、嬉しかった。
その人たちとアカウントのやりとりをしたこともあったけど、少しトラブルがあって、自分が深く傷ついたことがある。自分もあまり正しいと言い切れない。あれから自分の中で苦々しい気持ちだけ残っている。

いろんなことがある。

短歌や小説が上手い……、と言っていいかはわからない。だけど、上手くなっていった方だとは思う。
あれだけの量をそれなりの期間にこなしていたら、多少は上手くなるのだろう。それは、自分の能力とも言えず、たまたまのタイミングにたまたま継続できたからにすぎない。自分は運が良かった。
創作活動が上手くなったからといって、そんなに幸せになれるわけじゃないんだな。
最近、そう思うことがある。自分は、贅沢なことを言ってるのかもしれない。傲慢なのかもしれない。


高円寺は自分の好きな古着屋や音楽ショップ、本屋があるけれど、結局いつもモスバーガーに行く。
理由は、それなりに空いていて料金があまり高くないからで、コーヒーをぼんやり飲みながら、次は創作活動で何をしようか、と思考をメモにまとめる。たまにその場で短歌や小説をつくる。たまに作れると面白い。もちろん、作れない時もある。
自分の想像性と二人三脚でやってきた。
それでいて、今の自分をあまり誇れない。
創作活動をやってきて、ここまで傷つきたくなかったのが本心だ。


その日はモスバーガーじゃなくて、少し近くて若干料金が高いサンマルクカフェにいた。期間限定のカフェオレを頼む。和菓子モチーフということで奥に餅が沈んでいたので、ずずっと飲む。
憧れの世界は遠い。
自分はなんのために創作活動をやっているんだろう。

わからないならわかるまでやってみたいと思った。

出た結論に、「浅慮だな」とひねくれながら、ノートが書けなかったので大人しくサンマルクカフェを出た。
これから高円寺でどうしよう。
冬の日は冷えるから、少し離れた銭湯『小杉湯』に行って、体を温めるのもいいかもしれない。