余韻に語りかけるもの
今朝のラジオでたまたま耳にした落合恵子さんの「絵本の時間」
珈琲を入れながら落合さんの話す言葉を聴きていると「なぜ絵本に深みを感じるのだろうか?」と思うようになり、、、そのあとパッと浮かんだことを今日は少し。
【落合恵子さんは表参道にある絵本屋さん「クレヨンハウス」を作った人。もう随分前に通っていた美容室が近くだったんで、何かと立ち寄って色々な絵本を手に取った。子供用にグロッケンシュピールなんかも置いてあって、それが意外と本格的で驚いた。】
確かに絵本の世界は深いな〜と思う。
でも、何でだろう?
珈琲を入れながら5秒後くらい考えて、すぐにそれが「思考をオン」にしてくれるスイッチなんだと閃いた。つまり、自らで考える足がかりを作ってくっれるのだ。
絵本は多くを語らず、思考の入り口までをエスコートしてくれている。
なんだか歌みたいだなと思った。物語は歌詞で、絵はメロディーだ。何の変哲もない言葉がメロディーに乗ると、ブワッと思考に問いかける。その感覚だと思った。
こないだ行った「2020イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」の絵本たちには言葉がなかったけれど、これは音楽で言えばインストルメンタルなのかもしれない。絵本の表現も様々だ。
絵本に限らないことだが、素晴らしい表現に出会った時、それまでの自分では想像もできなかったような思考に羽ばたける時がある。
自分にはまだこんな世界観があったのか!?と嬉しくなったり、
逆に、眠っていた気持ちが湧いてくることもある。
そうか、
「深みを感じる」っていうのは、そういうことだ。
作品に対する評価とか表面的なことではなく、受け取った自分自身の深さを発見したり感じて「深い」と思うのだ。
優れた作品は、そうやって誰かの心の余韻に語りかける。
今朝、落合恵子さんの優しい声が僕の余韻に届いた。
それは、これまで言葉に落とし込めなかった作品作りの指針の一つだと思う。
落合さん、ありがとうございます。