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窓越しの世界・総集編 2018年9月の世界
9/1【伝えるということ】
ナビ通りに進むと、道を間違えることがある。
直進という表現が意味する方角の捉え方の違いから、僕はルートを外れてしまった。
伝えるということは、伝えたいことを取り巻くものの方が重要だったりする。
9/2【気を引き締めて】
すべてを終えて家路につくとき、リビングに灯る明かりのことを考えると、心が温かくなる。
大分のお土産でもらったラーメンで晩酌をする。
他には何もないけれど、それだけで嬉しい。
こんな日々が、いつのまにかやってきて、当たり前になっている。
いつまでも続きますように、とか、思う必要のないくらい自然だから、
ちょっと気を引き締めて、大切にしよう。
9/3【一番の薬】
楽器を持った人が多い街だ。中年層が目につくのは歳のせいだろうか。
この窓際から外を眺めた幾つかの季節を思い浮かべた後に、この頃のことを思う。
意外と悪くない。それはようやく自分の進むべき方角が定まったことに他ならず、
僕はそのことに安心しているのだと思う。
理想を求めて作りつづけたguzuri。
そこから離れることが、僕にとって一番の薬なのだ。
9/4【すこし楽になった】
風が少し弱くなる。
待っていましたと言わんばかりに蝉が鳴き始め、風が強くなるとまた鳴き止むを繰り返している。
雲が東から西に流れるのを見ていると、逆らうことのできない大きな力の存在を感じる。
空の見えるデスクから考えていたのは、宇宙とか、目に見えない世界のこと。
僕らの存在が弱々しく儚く思えて、何かを成し遂げても、なんの意味も持たない気がして、「なんだ、こんなものか。」と、生きることが少し楽になった。
9/5【清々しい】
誰かからやるべきことを与えられるのは、楽でもあり、苦しくもある。
僕は僕自身にすべきことを与えた。
楽でもあり、苦しくもあるけれど、どこにも逃げ道がなくて、清々しい。
9/6【サンキュー、トト】
玄関を開けると、留守番のトトが駆け寄ってくる。
トトは教えてくれる。
求めてはいけない。
ただ、示していればいい。
そんな自分自信を想像してみる。
トト、ありがとう。
9/7【悲壮感】
野菜の無人販売所には、安くて新鮮な野菜が並んでいる。
形は不揃いでも味は良く、今日も誰かのあてにされている。
形の揃った求められる野菜たちの選抜から漏れた実力派たち。
それでも売れ残っている野菜たちに、自分を重ねてしまう。
悲壮感たっぷり。
9/8【今更】
話を聞かれると、とっちらかった気持ちをまとめるいい機会になる。
後日、それが文字になって戻ってきた時に、それがどんな風に伝わっていたのかがわかる。
この頃、伝えることに対していかに不勉強だったかを実感している。
作風と、作風を伝える手段は別なのだ。
知っていたし、分かっていたつもり。
今更、、である。
9/9【これからもよろしく】
駅を離れるほどに、街灯が少なくなっていく。
涼しいような、蒸し暑いような、秋の始まりと夏の終わりの夜。
タクシーに乗るつもりだったけれど、歩いた。
歩きながら、考えていた。
ずいぶん前に決別したはずの自分をみつけて、
僕はそいつと話し合った。
まだ居たんだね、
ずっと居たよ。
これからもよろしく。
9/10【今夜中には】
雨音がはじまると、この場所の静けさが浮き彫りになる。
エアコンを止めると更に際立つのが、ローカットをした時の音響効果みたい。
おぼつかない指で、慣れないコード進行を追いかけていると、
上達する喜びと、不出来な響きへの落胆とがなんとも不協和音。
トトが眠りにつけそうな音色ぐらいには、今夜中には。
9/11【あの頃の僕へ】
慣れないコード進行を、がむしゃらに追い続けて二日。
ブロンズの酸化した緑色が指先を覆って少し光っている。
硬くなった皮が何層もボロボロになっているのを見て、泥だらけのユニフォームみたいだなと思った。
グローブにボールが飛び込む感覚をつかむまで、エラーの数を積むしかない。
エラーの数が多いほど、強くなれる。
野球少年だったあの頃の僕に言ってあげたい。
9/12【故郷を離れた理由】
故郷を離れた理由、離れたかった理由。
この頃になって、確信みたいなものが頭をちらつく。
あの頃の僕は、たくさんの事に勝手に傷つき、そこから逃げ出したかった。
もしくは、そんなものなどハナから無かったのだと、そういうことにしてしまいたかった。
そんなカミングアウトが、心のどこからか湧いてくる。
なぜ今、そう思うのだろうか。
そんなことはもう、どうでも良いことのはずなのに。
9/13【七転び八起き】
失敗ばかりしている。
いつかはうまくいくと信じて、失敗をなんとか挽回しようして、また失敗する。
七転び八起き。
一つでも多く起きることができればいい。
転んでばかりいると、転び方にも慣れてくる。
むしろ上手な転び方をすることが重要だと思い当たるも、あまり転ぶのに慣れすぎてしまうのもどうだろう。
結局は、いつまでも転ぶ。
問題は、いつまで起き上がり続けられるか。
9/14【伝えたければ】
長い時間をかけて知った感覚がある。
長時間をかけたから知れたその感覚は、きっと僕だけのものだろう。
きっと誰にも伝えることはできないけど、
伝えたいなと、思ってしまう。
そして、やっぱりやめておこうと今日も胸に留めている。
9/15【時の行き方】
玄関を開けると暗い玄関にトトが待ち構えている。
喉をかき鳴らしたような声で、甘えているようにも怒っているようにも聞こえる。
予定よりも長い留守をしてしまいすっかり夜になってしまった。
集中している時の時間の流れというのは、質量の重いものがストンと落ちる時のように早い。
景色を眺めている時のように、軽い羽がひらひらと落ちるような感覚もあるというのに。
トトはどうだろう。
どんな時の行き方をしているのだろうか。
知ることはできない。
9/16【ギターを弾きながら】
昼間の蝉よりも夜の虫たちの方が賑やかになり始めた。
さっきまで人が集っていた温度が確かに残るguzuriを見渡す。
呑みに出かけようと思っていたけれど、今夜はここで呑むことにした。
久しぶりに人を迎える状態に整えられたguzuriに、今夜は僕も迎えてもらっている気がした。
ギターを弾きながら、夜は静かに流れた。
9/17【よく笑う子の本当】
僕にしか言えない父のこと。
僕以外に言われるときっと腹がたつので、全部話した。
結局子供の頃のことを思い出したりする羽目にもなるわけで。
当時の自分を分析する機会にもなる。
僕は慢性的では無かっただろうけれど、きっといじめられていた。
3月生まれで成長も遅かったし、
チビとか、たらこ唇とか、潔癖症とかを散々からかわれた。
子供の頃の成長の遅れというのは、弱肉強食の世界と似ていて残酷だし、
勉強も全然できなかった。
大人たちも僕の家族の陰口を叩いていたし、
自分の惨めさを、信じたく無かった。
だから、無かったことにしようとしたし、
人を憎むことは弱い自分を肯定することだと、本能でそれを押し殺して、
周りを常に許していた。
僕はよく笑う子だと言われていた。
幸い運動神経はそこそこで、運動会の徒競走では1番を取れたりした。
今も昔も、スポーツ選手というのは世間から敬われていたので、
きっと野球が上手くなれば、テニスが強くなって成績をあげれば守られる気がしたし、周りの目が変わるって知っていたから頑張れた。
案の定、実績を積むにつれて僕への風当たりは快適なものに変わっていった。
そして、僕を不快な気持ちにさせた者たちを、見返すという感情ではなく、そんなものにかまってはいられないという具合に排除したかった。
音楽を続けている理由の一つに、そういう気持ちもあるんだな、と、そう気がつくと、なんとなく、ずっと知っていた曖昧な気持ちに説明がつく。
もちろん、そんな感情だけで続けられるものではないし、スポーツも、音楽も楽しいからやっていた。
でも、楽しいを続けるために隣り合わせの苦しさを乗り越えさせてくれていた原動力が
確かにそこにあるんだなと認めざるを得なくて、バツが悪い。
本当に素晴らしいと感じる音楽やスポーツの醍醐味とは、全く関係のないところが尚更に。
やれやれ。
父と子のドキュメンタリー撮影はつづく。
9/18【立ち向かう】
久しぶりにじっくりと経理をするが、毎度のことながら頭が痛い。
この世の中に生きる限り、どんなに目を背けたって、目に映るものすべてに経済というモンスターが関わっている。
風にもたれる美しい草花も例外ではない。僕の歌だって同じだ。
僕は僕の方法で立ち向かう。
9/19【そうでなければ】
楽しむことはできるが、共感することができない場合、僕は嘘をついているということになるのか?
また、後者の感情を抱く必要はあるのだろうか?
なんて邪魔な感情だろうか。
僕はそんな邪魔な感情に出会うと、いたたまれなくなる。
それでも夜道は涼しく快適で、駅の改札を出た後の自分の足取りの軽さに驚いた。
季節は確実に動いている。
きっと共感はできなくても共存したり共有することで、通じ合うことは確かにできる。
そうでなければ。
9/20【普遍を歌いたい理由】
電車に揺られていると、この社会の一員だってことを実感する。
同じレールの上を、同じスピードで進む鉄の塊の中で少しの間だけ運命を共にする人々。
乗り換えの人波に紛れる感覚を僕はそんなに嫌いではなく、すこしだけ心地よくも感じる。
混み合っているファミレスが妙に落ち着いたり原稿を書くのに捗ったりする、その感じと似ている。
僕が普遍を歌いたい理由とも似ている気がする。
決定的な言葉は見つからないのだけれど。
9/21【放出と蓄積】
人前で表現をしているときは、放出。
内に篭って創作をしているときは、蓄積。
細かく言えば、表現にも放出と蓄積があるし、創作にも同じことが言える。
とにかく常に、溜めては吐き出しを繰り返す。
話は変わって、今は秋刀魚の季節。今夜は今日2匹目の塩焼き。
海は秋刀魚を放出している。
次の時期の魚を育てながら。
9/22【僕はまだ知らない】
初めて歩く坂道。帰り道は登り坂。
登りでスピードは落ちるはずなのに、往路よりも早く感じる。
もしかしたら人生は、どこかで折り返していて、
それからの僕たちの持つ時間は、帰り道のように足早なのかもしれない。
大きく足を踏み出すと、ぐいぐい進んだ。
通り過ぎる人の顔も、商店街の街並みもよく見えなくなった。
独歩になって思う。
相手の為ってなんなのだろう。
相手を’’思う’’ことなのか。
相手の’’希望を叶える’’ことなのか。
前者と後者がいつの間にかあべこべになってしまう。
そんなとき、どうすればいいのか。
僕はまだ知らない。
今日はお祝いで、秋刀魚のコンフィ。
9/23【テレパシー】
きっと今、こんな気分なんじゃないかな?
きっと今、あんな顔かな?
ちょっとしたテレパシーのようなものを感じると、嬉しくて可笑しくて、ほっとする。
9/24【知りたいのなら別】
濡れたアスファルトを見て、僕たちはこことは違う場所に居たのだと実感する。
久しぶりにくぐった赤い暖簾の向こうのおやじは、黒いTシャツに白いエプロン姿で相変わらず。
天棚に置かれたテレビを見上げて、ここではない世界のことを知る。
でも、ここではない世界のことを知る必要は、本当は何もないのでは?
知りたいのなら別だけれど。
9/25【単純になるための複雑】
眠くならない夜。
夕食はまだ冷凍庫にあった富士宮やきそば。
焼酎を水で割って2、3杯は飲んだかな。4月に頂いた一升瓶も随分と軽くなった。
考えることは少ない方がいいけれど、
単純になるための複雑さというものも不可欠。
9/26【立つ鳥跡を濁さず】
昨日からの雨は、まるで何かを洗い流すかのように降り続いている。
銀行回りをしながら、久しぶりに入間の街をぐるっとした。
この町に、僕を引き止めるものは何もないような気がしたし、
同じくらい、引き離せるばすもない望郷感に似た感覚もある。
10月から今年一杯、可能な限りguzuriを開けると決めた。
立つ鳥跡を濁さず。
9/27【それを見つけてくれる人】
スタジオに入ると、6年前と同じ顔ぶれ。
PLAYボタンが押されるのは、審判がプレイの掛け声をかける時と似ている。
RECが走り始めると、6年間の蓄積が身に沁みる。
多分あの頃の僕では、うまく歌えなかった難しい曲。
でも、すこしだけあの頃のように歌ってみると、OKの手が上がった。
いつの時代も、確実に良いところがあって、
それを見つけてくれる人たちと巡り会えたのは、とても幸せなことだと思った。
9/28【その中の一人】
夕方の道路の混雑は察しがついていた。
みんなが家路につく時間帯の街を見ていると、心がジンとする。
朝家を出て、夜家に帰る。
たったそれだけのことを、たくさんの人が共有している。
子供のころから、大人になっても尚、そのサイクルの中で生きている。
僕もその中の一人。
9/29【嵐の前の祭】
なかなかやって来ない台風24号。
今夜から始まった祭りも、大事を取ってテントを畳んだままの店が多い。
午後になって降り始めた雨で泥と水たまりの参道をひと歩き。
いつもならごった返しているはずの焼き鳥屋に腰を下ろしてみるけれど、雰囲気がでない。
風が強くなったり、弱くなったり。雨も同じ。
かなり大型の台風との噂。
9/30【その繰り返しと】
僕はもしかしたら、ずっとこのままなのかな。
ステージを後にする背中を見てそう思った。
どんなに上達しようが、どんなに名声を得ようが、ギターと歌だけでステージに上がる。
そして、その日なりの何かと向き合ったり、折り合いをつけて、ステージを降りる。
その繰り返しと、ずっと向き合っていくのだろう。
東京の街は、嵐の前の異様な雰囲気。