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2019.7.7 自分の言葉を

今日はちょっと長いかな。
船の上で考えていたこと、少しまとめてみました。

今年も夏至を迎え折り返しです。毎年この時期になると日に日に暑くなるのに陽が短くなる矛盾を不思議に思ったりします。

これまでの生活を離れて半年、過去に自分が作ってきたものを振り返ったり、そしてこれからのことを考えています。
今日お話ししたいのは自分の音楽性とこれからの社会との繋がりについてです。
話があっちこっちへ飛びますし、回りくどい解説をこれから始めますが、結論からいうと僕は自分の歌が、社会貢献になると思ったんです。
自分の作るものをじっくりと見つめて、さらにこれからの社会を見た時に、僕の音楽が必要ではないのかな?って。

ただ、そのことは秘めておいては決して伝わることがないでしょうし、何より真面目に思っていることなのでこれまで僕の音楽を聴いてくれている人にはもちろん、まだ聴いてことのない人たちにも知っておいて欲しいなと思います。

今年から自分自身とより深く向き合う生活に舵を切ったわけですが、自分と向き合えば向き合うほどに「真理」いう言葉が一つのキーワードのように僕の頭を飛び回っています。令和という時代を迎えても何も変わりませんが、確実に世界は動いていて新しいテクノロジーが爆発寸前のように控えている様を目の当たりにすると、自己実現の為の歌に希望は持てず、この社会への無力感と絶望しか湧いてこなかったりします。しかし、不思議とこの絶望感に別の角度から光をあてると、希望という側面が見え始めたりするのです。

まずはじめに、僕のキャリアは2008年ののRocking Chair Girlというアルバムからスタートしました。アルバムの歌詞カードの最後にメッセージを添えたのですが、その言葉がまさに今の気持ちの種のようなものだという実感があり、現在も育っているのだなと思います。

そのメッセージの最後の方で僕はこう言いました。

僕の作った曲たちが、誰かの耳に届いた時に、その人の心の、大げさに言うと人生の、何かきっかけのようになってもらえたら幸せです。


そこで言う「何かのきっかけ」とは、当時僕自身曖昧でしたし、曲の中では聴き手がそれぞれに想起することが何かの役に立てばいいなという感覚で、特にその真意については広すぎてつかみどころがありませんでした。ですから当然、送り出す曲たちにもメッセージ性を求めませんでした。ただ、底なし沼のように深い何かを感じてはいました。

しかしあれから11年という歳月が流れて、そこに隠されたメッセージの存在に気がつきます。つまりメッセージ性の無いところにメッセージが隠されていたのです。

これから、なぜメッセージ性の無いところがメッセージになるのか?社会との繋がりとは一体なんなのか?を説明していきますが、その前に根本的な僕の歌について説明します。

僕の歌はよく、優しいって言われますが、それは僕が根のやさしい人間だからだと思います。その裏に、強い意志や怒り諦め絶望が渦巻いていますが、それが表現にならないのは、その想いは変わっていくからです。強い意志やこだわりなどは経験や知識によって深まり変わっていくものです。変わるであろう情熱を歌にしても、出来上がって暫くすれば違う考えの自分がいるわけで、歌い続けられない。僕は経済や政治などにも興味がありますが、何せ知れば知るほど深いものですから、むやみに抗議する気も起きないし浅はかだと思ってしまいます。それが本当に嫌だったから、どんどん変わっていく自分の中に変わらないものをかき集めて曲を作っていきました。今思えば、それこそが真理性で、今日の僕の表現のベースとなっています。

まずは僕の曲作りの根底にあるのはこの「真理性」だという事を前提にして、メッセージ性の無いメッセージのことや社会との繋がりについて話を進めたいと思います。また、真理っていうのは動かない絶対的なものなので、希望にも絶望にもなりうる、この社会では多くの場合それは絶望を意味するのではないでしょうか。

まず始めにそのメッセージ性の無いメッセージとは何なのか。言い換えると大きなテーマでしょうか。
それは「自分の言葉を持とう」です。具体的にいうと「真理性を見つめ、絶望し、発見をしていくことで自分の言葉をもつ」ということです。

あと、そもそも「メッセージ性の無いもの」とは何なのかと言えば、主に情景描写や事象を並べるだけといったものや、詩自体に主張がなかったり、内容が掴みづらかったり、というものかなと思います。

でも、その類の言葉やメロディーが成せるのは、聴き手それぞれの経験や知識で想起することができる体験です。
ただの言葉が連なってメロディーに乗った時、不思議と言葉は言葉を超えていきます。言葉自体には意思が無いのですが、その言葉が聴き手の知識や経験という翼を持つと意思が生まれ飛び立とうとするでしょう。聴き手が創作をする瞬間です。
僕が歌詞の中に忍ばせている真理性を聴き手の翼で羽ばたかすことができたならば、それは一つの言葉になるはずです。ある人にとっては映像になったりするかも知れません。

その体験を、実際の世の中で自分自身の言葉を見つけていく為のきっかけにして欲しいと思うのです。
今は沢山の事をすぐに知ることができますが、結局のところ「自分で気がついたり発見していくことでしか自分のものにならない」ということです。
つまり、知識と経験が合わさってはじめて自分の言葉を持てます。決して多くなくていい、一つでもいいと思う。自分だけの言葉です。それが重要だと思うんです。

この感覚を与えるのは、音楽や歌だけではなく、他の文学や芸術の使命のような気がします。
さらに、娯楽やアートこそ、真理や教養、人を育んだりする社会の役割を担うべきだと考えたりします。これからの時代は、人が作り出すそういうものがこれまで以上に社会に貢献しなければいけない時代だと思うのです。

では次に、なぜ自分の言葉を持つことが必要なのでしようか?そしてなぜそれを僕が伝えたいと思ったのでしょう?さらになぜこれからの社会に必要だと思ったのでしょう?

それはこれから時代が大きく動くからです。

インターネットや通信がどんどん進化し、人工知能やロボットがこれからどんどん社会に進出してきます。
人工知能はデータがデータを積み上げてそれ自体が学習し、人間の知能など及ばないでしょう。それに抵抗しようとは思いませんし、むしろ役に立つ時代だと思いますが、僕たちはその中で本当に人間らしい(何が人間らしいのかも掘ると大変ですが)人間である理由を持つことが必要で、僕はそれが、一つに自分の言葉を持つことだと思います。統計やデータではない、自分の言葉です。

多様性に富んだ社会が始まっていくと思いますが、共通認識が「真理」であればいいなと思います。

地球は丸いという絶対的なこと。
世界の通貨の基本が米ドルだという絶望に仮想通貨がのろしを上げたり。
暗闇という絶望にエジソンは電球を灯しました。

きっといつの時代も真理と絶望に向きった人が世界を築いてきました。しかしこれからはより多くの人がそれと向き合っていかなければいけないと思うんです。そんな時代に突入していく予感です。

真理という共通認識を持つことでこそ生まれる自分だけの言葉を持った仲間が増えたらいいなと思う。

今の生活を変えようとか、変わりましょうとか、そう言う事を言っているんじゃ無く、真理の上で成り立っている今を受け入れて世界を見れれば、自ずと何をすれば良いのかわかってくるはずです。

2020年には5Gという超高速通信が始まるようです。これまでとはちょっとわけの違う時代が始まります。

そんなめまぐるしい変化の時代が訪れようとしている時に、僕は自分の歌で何ができるだろうかって考えました。
自分の歌を掘って掘って、毎日、もうこれ以上は無理かもしれないって思います。これ以上うまくなるのか?正解はあるのか?と。
でも、無意味だと思うことも足を踏みだせば新しい発見があるし、少し進むんです。たまに後退していても、続けていればまた進む日が来るんです。

自分の言葉を持つことが、これから変化していく世界を生きていくためには必要だと思うから、僕はそれを持てるきっかけになりたい。
そんな歌を歌うには、揺るぎない声を探し続けて、少しでも良いもので、聴き手をエスコートしたい。
それが、僕が社会に貢献できることなのではと思っています。


ここまでの内容、理解できたでしょうか。
なかなか変な事を言い出したなと思われる方もいらっしゃるでしょうが、僕は歌を歌いながらずっと自分と社会との繋がりが曖昧で、気持ちが悪いところがありました。
今ここに自分のポジションを一つ設ける事で、これからも歌を続けていく使命のようなものを感じています。

ただ、真理は時に残酷で容赦ありません。

でも、それを見つめないと人はロボットとかAIと変わらない生き物になっていくと思います。
それを理解できない人ももちろんいて構わないと思います。
知識や経験によって人はできていますし、どうしても理解することができない愛しい人もいるわけで。

そしてこれまで通り、僕の歌は優しいと思いますし、自分のことや世の中を真理と共に綴っていくと思います。自己実現のためにひた走りますが、冒頭に述べたように、この社会の片隅で無意味に感じていた自分の表現に対する絶望にも、別の角度から光をあてると希望の文字が隠れていました。

そして、その本質を知ってもらわなければ、僕は表現をする意味がない。

でも、知らずに、ただ感じてくれる人もいると思います。
それだけでもいいし、本質を知ってより深まったり、去る人がいてもいい。

そう思います。

とりあえず、今日はこのへんで。

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