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FFXIV Original Novel: Paint It, Black #7


前:

まとめ読み:



16.


 ██████████████████████
 ███部隊インパヴィダス██████████████████████████████████グリュシュカ市内
 市庁舎████████████████████████塔███████
 ████████████████ナイン██████████スリィ██████████████
 ███████五十四年霊五月二十四日


「部隊を二つに分けましょう」
 最初にスリィが提案した。
 ナインは理解した。あの帯状の光――『聖剣』による魔法攻撃が帝国軍を狙ったものである以上、全員が一箇所に固まるのは悪手に思えたからだ。そこでナインの部隊に七人、スリィの部隊に八人を付けることにした。それぞれ通信兵を編成し、相互に連絡可能にして同時に前に進むことを決めた。
 加えて、進行ルートを急いで決めた。『聖剣』がどこから見て何を基準にして攻撃しているかは、まだわからない。地図を見て建物の陰、あるいは天井のある場所を進むということにした。
 残念だが、六六六号は置いていかざるを得なかった。魔導兵器は目立つ上に、市街地では小回りが利かない。
 双方の進行ルートが決まったところで、インパヴィダスはすぐに行動を開始した。
 彼らは前進した。これまでの疲労を忘れて前に進む。グリュシュカ最北端に位置する政庁から、中央の『聖剣』に向かって。
 ナインの部隊は大きな商用の建物に入った。一階部分がテラスになっており、何十ヤルムも先に出口が見えた。
「わかってたが遠いな。馬車でも乗りてえ気分だ」
「帝都の列車が恋しいねぇ」
「はっ! もう何年もガレマルドにゃ行ってねえくせによ」
 囚人たちが軽口を叩いた。
 商用建物を抜けると通りに出た。
 どこに潜んでいたのか、敵の兵士と遭遇。また妖異による屍かと身構えたか、どうも普通の兵士らしい。動きも表情も非常に人間的で、それはそれで厄介なものだったが、あの時と同様屍の群れに襲われるよりは幾分マシに感じた。
 それぞれ敵にとどめを刺して、ナインたちは雑貨店と思われる建物に入った。スリィたちと分かれてから三十分ほどが経過している。現状の位置を把握するためにも定期通信を行う必要があった。
 雑貨店の中には人気があった。店舗の部分は静かだったが、侵入前にほんの一瞬、二階に上がる階段から覗く視線と目が合った。入ってきたのが帝国軍とわかるやいなや、すぐに隠れてしまったが、ナインたちは危害を加える気などなかった。
 しかし一般人に奇襲など加えられてもたまらないので、二人の囚人に階段を見張るように指示を出した。
《定期通信。ナイン、無事?》
「大事ない。そっちも大丈夫そうだな」
《民兵に襲われたくらいよ。進行ルートに変更はなし。このまま進みましょう》
「一つ気になることがあるんだけどよ。敵はどうして『あれ』を最初から使わなかった?」
 中心に座した『聖剣』。あのような魔法攻撃が可能なら、帝国軍に向けて最初から使用すればよかったのだ。それだけでこの反乱は成功し、戦争に勝利でき、独立を勝ち得ていただろう。なのに、どうしてこうも追い込まれた状況で使用する?

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「エーテルの充填に時間がかかんのか?」
《それも一つの条件だと思う。だけど、最も大きな理由はきっと――これが最後の手段だからよ》
 最後の手段?
 ナインが訊ねるとスリィは答えた。
《進行中に一瞬だけ見えたわ。塔の周囲のエーテルが変質して砂状の物体に変わっていってる。おそらく光線の放射をするにあたって環境エーテルを使いすぎて、周囲の形状まで変えてしまうみたいなの》
「『永久焦土』と同じってことか」
 そうよ、とスリィは肯定した。
 東方、オサード小大陸の西端には純白の荒野が広がっている。そこはかつて相次いで『神降ろし』が行われた結果、極度に環境エーテルが枯渇し、全てが砂と化した。白い砂漠とも言える焦土地帯となっているのだ。ガレマール帝国において初代皇帝であるソル・ゾス・ガルヴァスは東州遠征中に永久焦土(ザ・バーン)を見、星の命を蝕む蛮神討滅を国是に掲げたという。
 このまま魔法攻撃を実行し続ければ大地はもちろん、その場に存在する人間のエーテルまで吸い上げてしまうだろう。この雑貨店のように、市内にとどまっている人間も多いはずだ。
 つまり、『聖剣』の魔法攻撃はまさしく『国の命』を吸い上げて放つ最終兵器というわけだ。
「選択肢としちゃ最悪だな」彼女は屍の兵士のことを思い出した。方向性は一貫している。面白くねえ冗談だが。
《ええ、必ず止めなくちゃ》
 二人は通信を終えようとした。その瞬間であった。
 轟音。とても近い場所で建物が崩れ落ちるような轟音と衝撃がインパヴィダスを襲った。まるで地震にでもあったかのような振動だった。
「何だ!?」通信を打ち切ったナインが叫ぶ。「何が起きた!」
「魔法攻撃だ!」
「『聖剣』が光ってやがる!」
 外を見張っていた囚人が叫んだ。ナインは口を開く。
「出るな!」
 反射的に外に出ようとしていた隊員たちが、まるで電撃に打たれたように止まった。
「俺たちを燻り出すための牽制射だ。絶対に外に出るんじゃねえ」
 こちらの正確な位置はまだ掴めていないはずだ。
 でなければここにいる人間は一撃で灰に変えられている。交戦情報や遠くからの目視でおおよその位置は把握しているから、それを燻り出すために攻撃を加えたに違いない。
 やがて振動は止まり、静かになった。
「そう何度も撃てるものじゃねえらしい」
「人間の目に限界があるのが救いですな。精度自体もよくありゃせん。人間を焼くのに向いた兵器ではないんでしょう」
 セブンティワンが言う。額には汗が流れていた。冒険者として多くの危険に立ち会い、多くの戦闘に参加してきた彼でも肝が冷えるようだった。
「都市をまるごと焼くのには向いてるようだがな」
「火に巻かれるだけでも十分厄介だぜぇ?」
 通りは魔法の影響で炎が燃え広がっていた。こうなると今いる雑貨店には長居できない。彼らは静かに外へ出た。
 再び屋根のある場所を選んで移動を開始する。店の住居部分には人間がいた。彼らを巻き込むわけにはいかないが、逆に彼らによって位置が伝わる恐れもあった。どちらにせよ移動が必要だ。
 土色の建物の間を進む。空から見通される大きな通りを避けて、小路を選んだ。
 しかしそういった場所には必ず民兵や正規兵が潜んでおり、インパヴィダスはその度に戦闘を重ねることになった。
 数度目の戦闘の時だった。
 目撃情報を頼りにして『聖剣』が光刃を放ってきた。光が命中した建物が倒壊、ナインのすぐそばを掠める。光の持つ熱量に肌が強い刺激を受けた。倒壊した建物の断面は膨大な熱量によって赤く溶けていた。
 同時に軍人が剣を振り下ろしてくる。ナインは攻撃を直剣で受け流し、力を利用して体をひねる。右足で蹴りを食らわせた。大柄なローエンガルデは体勢を崩して後退、その先には光の柱があった。
「あっ……!?」
 彼が断末魔をあげるのは許されなかった。光に飲まれた大男はほんの一瞬で燃え上がり、灰に変わってしまった。
 最悪だな、とナインが呟く。充填に入ったのか光の柱は一旦消えた。今までの間隔から察するに、十五分から三十分はかかるはずだ。
 翠の瞳が視界の端で動くものを捉える。
 死体が起き上がろうとしていた。
「――警戒! ゾンビだ!」
 囚人の間に緊張が走った。
 付近に屍を操る妖異がいる。ナインは周りを見渡し――それを見つけた。四階ほどの建物の屋上に人と判定するには少しばかり大きな影。そいつはイカのような頭を持つ、人型の妖異だった。
 妖異十二階位中、第五階位。上級騎士級の妖異、マインドフレアだ。魔道士のようなローブを着て杖を持ち、死体に向かって魔法を詠唱している。下位の妖異やゴーレムを操る妖異だが、人の死体を操るように何らかの強化を受けているのだろう。
「姐御、俺らはこのまま進みます!」
「行け!」
 ナインと囚人は互いの意思を確認した。
 彼女は走る。インパヴィダスの囚人たちは死体を片付けながら塔に向かって前進を始めた。
 ナインは路地に捨てられたゴミ箱を足場にして跳ぶ。そして二階の半ばで崩れて傾いた、廃墟のバルコニーを経由して更に上へ跳躍した。

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 一気に建物群の屋上に出る。そこは同じ高さの建物が並び、土色の屋根がまるで広場のような空間を作り出していた。屋上には鉢植えや洗濯物を吊るすロープが並んでいる。平時であれば交流の場でもあっただろう。
 マインドフレアは自分を追ってくるナインに気がついた。手元の杖にエーテルを集中させて魔法を紡ぐ。
 彼女は屋根を駆けた。
 火炎魔法が杖の宝珠で渦巻き、ナインに向かって放たれる。
「おせえ!」
 言うが早いか、ヴィエラの握った槍は、人型妖異の右腕を切り落としていた。触手の垂れ下がった隙間から妖異が叫び声をあげる。己の痛みには慣れていないらしい。
 その隙を見逃すほどナインは甘くない。再び体を翻し、勢いを付けた刃を一閃。マインドフレアの背後から槍が迫り、首に命中。勢いのまま駆け抜ける。
 首が体から離れ、妖異は地に倒れた。水気を多分に含んだ音とともに首が落下。瞳孔のない目はナインを見つめていた。
 そこに穂先を振り下ろし、脳を完全に破壊。
「死んでろ触手野郎」
 血と脳漿を振り払って残心する。
 彼女は南の方角を見た。『聖剣』はいまだに健在。こちらの姿も既に視認されているはずだ。充填が完了する前に彼女は下に降りた。
 囚人たちと合流する。屍術を操る妖異を排除したため、死体は追ってきていない。聞くと糸が切れたように倒れたという。
 ただし、召喚されたのがあの一体とは限らない。今後も同じような妖異に出会わないことを祈るだけだ。
 インパヴィダスの囚人たちはその後、二度の魔法攻撃を受けた。接近したことで光の精度は高くなり、柱に飲まれてトゥエルブとサーティが死んだ。彼らの体は灰となって消え、腕章を回収することは叶わなかった。
 二人の死を悼んでいる時間もなく、囚人たちはただ必死に街を駆けた。敵兵の数自体は大したことがない。敵兵の顔には焦りが浮かんでいた。『聖剣』の防衛は彼らに下された命令だったのだろうが、こうして街を焼く光景を見ては心に動揺の一つでも浮かぶものだろう。それでも彼らはインパヴィダスに向かってきた。少なくない犠牲を払ってきたのだ。ここで止まるわけにはいかないのだ。
 それに同情する気持ちがないではなかったが、彼らの首を落としながらナインは進んだ。
 そして仲間の命という犠牲を払いながら、ようやく『聖剣』の元まで辿り着いたのである。
 『聖剣』は周囲を大きな円形の広場に囲まれていた。広場の中心に塔が座し、大きな公園のようになっている。広場の入り口付近に、建物の陰に隠れた黒衣の一団を見つけた。
「スリィ!」
「ああ、よく無事で……」
 彼女の方が先に到着していたらしい。表情に安堵を滲ませながら、ガレアンの少女は走り寄ってきた。
 これで再び隊は合流した。ナインの部隊はトゥエルブとサーティの二人を失っていたが、スリィの部隊も同様に三人の兵を欠いていた。おそらく道中で失ったのだろう。作戦開始時には二十人以上いた隊員も、今は半数まで減っていた。
 ナインは陰から『聖剣』を覗き込む。塔の座した広場には数十人の兵士が詰めている。だが彼らは『聖剣』の付近には近寄ろうとしていない。塔の根元にあたる部分、その地面は真っ白な砂が広がっていた。あれが環境エーテルを吸い上げた影響なのだろう。周囲の兵士たちはそこに近寄ろうとしなかった。
 塔は――巨大だ。
 見上げるのも馬鹿らしいほどの構造物が空に向かって生えている。天辺を見るためには首を大きく曲げねばならぬほどだ。そして塔は白く、これほど巨大だというのに近くで見ても汚れは見当たらない。ナインのような不信心者でも思わず畏敬の念を抱きそうなほど、神性を宿したもののように思えた。
「状況は?」
「あなたたちが到着する前に『聖剣』を偵察したわ。最初に想定した魔法攻撃阻止手段は二つ。第一に塔を制御している人間を殺害すること。おそらく頂上に制御室のようなものがあって、そこから『聖剣の核』を用いて魔法攻撃を放っている。でも、これは採用できない」
「なぜだ」
「上階まで登る手段がことごとく破壊されているからよ。帝国軍の追撃を防ぐために階段も魔法昇降装置も徹底的に破壊されてる。だから下から追いかけるのは不可能。では上から攻めるのは?」
「……魔法攻撃で迎撃されるわけか」
 全員の脳裏に、初撃で墜落させられる飛空戦艦の姿が思い浮かんだ。
「対地攻撃も対空攻撃もできる兵器なんて反則だわ」
 スリィは金の髪をかきあげて言った。溜息も出る。
「二つ目は?」
「『聖剣』ごと破壊する。現実、これしかないわ」
「けどよ――俺たちには魔導兵器もない。どこかから補給するにしたって足が遅ければすぐにやられちまうだろ」
 市内にはまだ兵士がいる。そんな中で無事な魔導兵器を見つけてくるのは至難の業だ。
「そう。だからこうするしかない」
 スリィは物資の中から長方形の物体を取り出した。見慣れた粘着爆弾だ。
 つまり、彼女はこう言いたいのだ。
「歩兵で突撃して爆薬を仕掛け、塔を崩落させる。そういうことだな?」
「ええ、それしかない。幸いにして反乱軍が自ら階段や昇降装置を破壊した結果、塔にも脆弱な部分が生まれているわ。そこを上手く突けば、手持ちの爆薬でも塔を崩壊させることはできるはず」
 正直な感想を言うと絶望的だった。ここにいる人間よりも敵の数が多い。手持ちの爆薬全てをきっちりと仕掛け、離脱して爆破する。
 言葉にすると簡単だが、敵兵士の妨害を考えると失敗確率の方がずっと大きい。
 分の悪い賭けだ。
「最悪だな」
「ええ、最悪よ。いつもそうだったでしょ?」
「その通りだ」
 二人は笑った。
 周りの囚人たちも一緒に笑った。
「おら、お前ら全員爆薬を持て。誰かが死んだらちゃんと拾えよ。これから地獄に行くぞ」
「もう最初っから地獄だよ、ここは」
「より深い地獄ってこったろ?」
「だったらどこまで潜れるか競争しようや」
 彼らは笑った。
 笑うことしかできなかった。



「準備はいいか?」
 ナインが訊くと全員が頷いた。
 これまで空は全くの晴天であったが、西の空から雲が流れてきたらしく、天候にも翳りが見えた。
 雲によって陽光は遮られ、市内には影が落ちた。
 晴天よりはずっといい。ナインはそう思った。
 暗い方が発見は遅れる。それに、懲罰部隊に晴れは似合わない。
 自分がすっかり日の下を歩くより影を歩む方が落ち着くようになっていることに気づき、彼女は内心苦笑した。
 ナインは左手を振って指示を出す。口は開かない。少しの変化でも緊張の中にある敵兵は気づいてしまうものだ。囚人たちは手振りを見て建物の影から影へと移動する。
 幸運なことに広場付近まで警戒されずに接近することができた。土産物屋と思しき建物の陰から広場を窺う。これまでの目撃情報から、『聖剣』に向かっている部隊があること自体は把握されているはずだ。彼らは定期的に広場の外へと視線を差し向ける。全く警戒されていないのなら隠密行動によって作戦を遂行することもできただろうが、これ以上の油断は望むべくもない。
 建物の上に歩哨が立っているのが見える。懲罰部隊は上手く隠れて彼らの視線を躱しているが、広場に出ていけば監視兵から矢を射掛けられるのは避けられそうにない。
 ――だからスリィたちがいる。
 歩哨のシルエットが唐突に消えた。建物を登り、屋上に辿り着いたスリィたち少数の兵士が彼を襲ったのだろう。未成年で小柄なスリィ、ララフェルの囚人たちが手に持った短剣で一人ずつ片付けていく。地上の兵士は広場に集中していて気づかないようだ。やがて全員の影が消え、スリィがこちらに向けて小さく手振りでサインを送ったのが見えた。

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 ここまでは上手く進んでいる。
 ナインは左手の指先を天に向けた。
 突撃準備の合図を見た囚人たちは、再び武器を握り直す。こちら側を見張っていた兵士が、塔の方に顔を向けた。
 今だ。
 彼女は左手を振り下ろした。
 突撃!
 路地から広場まで、十ヤルムほどの距離がある。彼らはなるべく音を立てないようにしながら、しかし全力で足を動かして駆けた。
「てっ、敵!?」
「敵襲ーッ!」
 こちらの存在に気がついたグリュシュカ兵が声をあげる。
 だがもう遅い。ナインの槍が兵士の胸に突き刺さる。囚人たちも各々の得物で兵士たちに襲いかかった。
 最も外側の兵士たちは何とか突破した。騒ぎを聞きつけた他の兵士たちがこちらに駆け寄ってくる。
 塔までの距離は三十ヤルムと言ったところか。敵兵士がこちらの侵攻を食い止めようとすることも考慮すると、決して近いとは言えない距離だ。
 ナインたちの背後から、歩哨の掃討に向かった数人の兵士とスリィが降りてくる。長銃の銃床を肩に当て、引き金を引きながら前進する。薬莢が排出され、弾丸が敵に向かって殺到する。
 左翼の囚人が兵士に体当たりを食らわせる。体勢が崩れた隙に、槍を持った別の囚人がとどめを刺した。
 ナインに向かって一人のグリュシュカ兵が剣を振るう。横薙ぎの一撃を逆手に構えた短剣で受ける。兵士の顔には驚きの色が滲んだ。たった一本の短剣を退けることができなかったからだ。ナインは既に彼の方を見ておらず、あくまで『聖剣』の方を見つめていた。そしてそのまま右腕の槍で兵士の首を飛ばす。首の断面から生命の象徴たる赤色が吹き出し、倒れた。
 インパヴィダスは進む。それぞれの武器を振るいながら、彼らは進む。
 たとえ途中で倒れる仲間がいたとしても、彼らは後ろを顧みなかった。
 ただ兵士が腰に装着した爆薬を拾って前へ進む。
 前へ、前へ。
 それはまるで懲罰部隊の在り方そのものだった。
 後退は許されない。
 進まなければ死ぬ。
 たとえ進んだ先で死ぬのだとしても。
 たとえ進んだ先に何があるとしても。
 たとえ進んだ先が地獄であろうとも。
 彼らは死への行進を止めはしない。
 ただひたすら前へ。
 仲間が死のうとも前へ。
 剣に切り裂かれようとも前へ。
 槍に突かれようとも前へ。
 火炎魔法に焼かれようとも前へ。
 敵の血にまみれながら、囚人たちは足を止めなかった。
 インパヴィダスとはガレアン族の言葉で『恐れなし』を意味する。
 彼らは恐れなし(フィアレス)だった。
 『恐れは常に後ろにある』。
 それが、彼らの共通認識だった。
 だから振り返らない。
 前に進み続けるのみだ。
 いつしかグリュシュカ兵は、目の前の兵士たちに恐れを抱くようになっていた。
 目の前の存在が同じ人間なのだと思えない。まるで地獄からやってきた死者の群れのようにさえ思えたのだ。
「取り付きましたス!」
 囚人の一人が声をあげた。
 三十ヤルムほどあった距離は必死に進むうちにゼロヤルムになっていた。
 敵を相手にしていない囚人が、決められた場所に爆薬を設置していく。
 唐突に、赤毛の囚人が敵の矢を受けて倒れた。
「フィフティーンがやられた!」
「増援が接近!」
「俺が行く!」
 ナインが叫んだ。爆薬を仲間に投げ渡し、剣を構えて疾走する。右手側の路地からグリュシュカ兵の増援が現れていた。広場の死体を避けながらヴィエラの長い脚が動く。死体の中には見知った顔も混じっている。
 敵数は六。いずれも近接武器を構えた兵士。
 大丈夫だ、俺ならやれる。
 自分たちに向かって弾丸のように向かってくる女がいることにグリュシュカ兵は驚きの顔を浮かべた。灰色の閃光の如く迫るナインを見、返り血に染まった姿に震えた。
 ナインの槍が突き出される。雷光のような一撃に先頭の兵士は反応できず、貫かれた。
 他の兵士が反応する。だが遅い。
 既に槍は引き抜かれ、右へと薙ぎ払われる。大斧を持っていた兵士の胸が裂かれる。返り血を浴びながら槍を回転斬りへと移行。遠心力を活かして、左の兵士の腹を裂いた。彼が振り下ろさんとしていた剣が地面に落ちる金属音が虚しく響いた。
 ナインは内心数えている。あと三人。
 槍が突き出される。これも遅い、既に彼女は跳躍している。そして槍の半ばを思い切り踏みつける。穂先が地面に接地して足場が固定され、彼女はもう一度跳躍した。空中に躍り出た彼女は綺麗に縦回転しながら槍使いの背後に回る。そして空中から急襲の一撃がお見舞いされた。
 後ろ首から血が吹き出る。ナインは槍術士の得物を両手に掴んだ。
 それまで手に握っていた槍は、投擲されている。二人の内、一人の兵士に長い槍が突き刺さる。
 奪った槍が翻る。切れ味は悪くなく、最後の一人が反撃に転じるよりも先に腹を刺し貫いた。
「い、嫌だ……死にたくない」
 その男は呻く。ナインは意に介さず、槍を振るい、彼の首を刎ねた。
「帝国軍!」
 路地から再び一つの影が現れる。アウラ・ゼラの男だ。彼は両手剣を抱えていた。
 風貌は他のグリュシュカ兵と変わりなく、砂地向けの民族衣装を着ているが、帽子には赤い羽根が一本刺さっている。これは他では見たことがないが、将校か何かの印だろう。黒い鱗に彩られた顔には憤怒の表情が張り付いていた。
 こいつはできるやつだ、とナインの直感が告げる。
 爆薬の設置作業は進んでいる。仕掛けている最中の兵士を守るようにして囚人たちは展開しており、犠牲者の数を無視すれば順調と言えた。
 グリュシュカ将校の前にナインが立ちはだかる。
「俺の相手をしていきな」
「血にまみれた野獣め! なぜ我らの自由を奪おうとする!」
 返り血で真っ赤に染まったナインは首を傾げた。
 なぜ?
 考えたこともなかったな。
 そうだな、強いて言うなら――。
「そうしなけりゃ死ぬだけだからな」
「……所詮は獣、言葉も通じぬか」男が幅広の両手剣を肩に担ぎ、姿勢を低くする。「であれば狩るのみ!」
「やってみろ!」
 アウラの将校とナインは同時に地を駆けた。男は肩から一気に両手剣を振り下ろす。ナインは奪った槍を持ったまま、下から突き上げる。
 重たい金属音が広場に響き渡った。二つの刃は見事に交差し、お互いの進行を食い止めた。
 将校は顔を歪めた。両手剣の重量は十分以上、しかも振り下ろす方が一般的には有利なはずだ。目の前の女は己の両手剣を完全に止めた。
 しかも震えもしない。相手は油断ならぬ敵だ、と彼は認識を改めた。
 二人の視線が交錯する。このままでは動きがないと見て、両者同時に互いの刃を弾くように武器を引いた。
 次の瞬間、将校は更に距離を詰めていた。次は回転を加えた大振りな一撃だ。一見隙は大きく見えるが――ナインは槍を縦に構えて防御した。柄の部分が振動して手に震えを伝える。
 相手の隙を突いて一撃を加えることは難しくなかった。だがこれを防がなければ胴体が寸断されていただろう。両手剣のくせに速い。太刀筋からは確かな経験と技量が窺えた。
 おもしれえ。
 ナインの顔は喜色に満ちていた。
 彼女は槍の穂先を地面に刺して防御を安定させる。それと同時に腕に力を込めた。
 ナインの体が槍を中心にして回転する。
 曲芸のように腕の力だけで槍を軸にしているのだ。そして将校の頭に蹴りが放たれる。軍用ブーツの爪先が顎に命中、彼女は勢いを乗せて蹴り抜けた。
「ぐっ……!?」
 想像以上に重たい一撃に将校の視界が揺れる。それはそうだ、懲罰部隊の前衛の多くは、ブーツに鉄の塊を仕込んでいる。これはスリィと組み手をやっている時に彼女から提案されたものだった。たとえ手にした武器が折れようと、生き残るための武器を持っていよう、と。
 ナインは蹴りの勢いままに回転を続行し、足を地面に付けた。両手剣の左側から右側に移動した形だ。そして槍を引き抜き、驚くべき速度で前へと突き出した。
 しかしアウラも本能的に両手剣を引き、幅広の刃を盾のように構えていた。必殺の突きは刃に衝突して阻まれる。
 体勢を立て直さんと将校は後ろへ引く。重たい一撃を食らって視界が揺れ続けている。脳震盪を起こしているせいで正確な距離を測ることが難しい。
「らァッ!」
 見逃すほどナインは優しくない。彼女は笑みを浮かべながら槍を突き出す。
 一撃、二撃、三撃。その突きは両手剣が防ぐが、攻撃に偏重した武器にとって防御は本来の形ではなく、将校は次第に追い込まれていった。
 だが、彼女の突きも隙の大きい攻撃だ。将校は揺れる視界の中でもヴィエラの攻撃を掻い潜る瞬間を窺っていた。
 そして、その時は訪れた。
 ナインの一際強い攻撃に合わせて、将校も強く弾くように押し出す。両者の強力な攻撃により、双方ともに大きく弾かれて後退。将校は再び肩に両手剣を担ぎ、前方に向かって地上を疾走する。
 槍の穂先を前方に向けてナインも走り出しているが、敵に比べて一歩遅れている。
 再び将校の重たい一撃が振り下ろされる。槍術士であるナインの槍も突き出された。
 互いの刃がぶつかる衝撃で空気が震える。
 出遅れた分だけナインの槍が僅かに押し負けた。それだけで彼女の槍は大きく外に弾かれ、穂先が将校から逸れてしまう。
 アウラの男は両手剣をすぐさま自分の手元に戻す。そして力を溜めて前へと押し出した。
 両手剣の大質量による突きが繰り出されたのである。
 取った!
 男は己の勝利を確信していた。
 目の前の帝国女はほんの一瞬の間に、再び槍の穂先をこちらに向けてはいるが、攻撃に入るまで時間が足りない。
 対してこちらは既に攻撃を繰り出している。
 巨大な鉄の塊は切っ先から彼女の肉体を食い破り、胴を貫くことができる。
 一人でも多くの帝国兵を殺すこと。
 それが己に課された使命だった。
 故郷をガレマールの圧政から解き放つこと。
 それが己の望みだった。
 そのためには己の命など惜しくも何ともない。
 これまでも、これからも、命をかけて敵を殲滅する。その一歩となるのだ。
 妻子の顔が目に浮かぶ。
 家族の元に俺は帰るのだ、敵を殺して。
 ――フ、と眼前の女が笑った。
 何がおかしい?
 いや、なぜ、笑っていられる?
 両手剣の切っ先は彼女の体に到達しようとしているのに、なぜ。
 ナインは笑った。
 自分の思った通りに敵が動いたからだ。
 敵が俺の胴体を狙うのは承知済み。
 自分が晒した隙に打ち込んでくるのは当然。
 ゆえに、体を捻り、剣を躱すのは難しいことでも何でもなかった。
 アウラの顔が驚愕に歪む。
 ナインが体を一回転させるように捻ると、彼女の位置は先程よりも左にずれた。頭は敵に向いたまま、蛇のようにぬるりと剣を躱す。刃が彼女の胸から腹に沿うように、ぎりぎりのところを抜けていく。ナインは剣の向きを変更できないよう、右拳で両手剣の腹を強く叩いた。剣の方向が逸れる。
 いつの間にか、彼女は槍から手を放していた。
 だが放り投げたわけではない。ナインの槍は驚くべきことに、彼女の傍らにあった。すぐ柄を握れるように右側面に手放しておいたのである。
 そして、一回転を終えたナインは再び槍を握る。穂先に近い部分を、短く、短く。まるで暗器のように握った。
 石畳を強く蹴る。
 加速したナインの体は弾丸となって男の胸へと向かっていく。
 将校は慌てて大剣から手を放そうとする。こうなれば己の得物は重りでしかないことを理解している。どう動けば最善なのか、彼は理解していた。瞬時に状況を把握し、実行できる。それも彼の持つ実力を窺わせた。
 彼は確かに最善手を取ったが、しかし、遅すぎた。
 穂先が彼の胸に突き刺さり、将校の心臓を捉えた。
 間に合わなければ無意味だ。
 友人の抱擁のように二人の距離は近く、翠の瞳が将校を見上げる。黒い目が苦痛に歪む。
 将校の口からは赤い血が勢いよく漏れ、返り血まみれのナインに新しい赤が足されていく。
「て、帝国軍……呪われてあれ……」
「はいよ」
 最後の言葉は聞き慣れた呪詛だった。ナインは槍を振るい、力を失って腕をだらんと下げた死体を地面に投げ捨てた。
「隊長、あとはあんたの爆薬で終わりだ!」
 デューンフォークのフォーティが、長銃を片手に走ってきた。爆薬を差し出すように求めてこちらにやってきたのだ。作戦成功前だからか、髭面には緊張の色が浮かんでいる。
「ああ」彼女は腰のベルトにしまっていた粘着爆弾を取り出し、彼に渡そうとする。「爺さんもご苦労だったな」
「まだ五十だ、爺にゃ遠い……」
 言い終えようとした瞬間だった。
「あ?」
 ララフェルの頭に矢が突き刺さり、体が横薙ぎに飛んでいく。
「フォーティ!」
 手にした長銃が投げ出され、空中を舞う。倒れゆく男の瞳から急速に力が失われていくのが見えた。
「また増援!」
「射手、撃て!」
 仲間が叫んでいるのが聞こえた。
 ――フォーティは俺と同じ時期に収監された囚人だ。他人との交流を嫌い、彼の過去に何があったのか、どんな罪状で懲罰部隊へとやってきたのか、一度も話したことはない。ただ長銃の扱いに長け、戦場での経験が豊富であることだけはわかっていた。懲罰部隊を生存させるために訓練を開始した時、ナインとスリィの二人に従ってくれたうちの一人がフォーティだ。
 彼がいなければ、ここまで戦えなかったであろう。
「ナインっ!」
 少女の言葉で現実に引き戻される。
 感傷に浸っている暇はない。
 ナインは地を駆け、爆薬の設置箇所へと向かった。仲間が長銃や弓で増援に対処している。今こそ作戦を終わらせる時だ。
 彼女は急いで『聖剣』を支える脚の一つに粘着爆弾を設置した。最後の一つ。タイマーを作動させると、周囲の爆薬も一斉に時を刻み始める。
「総員退避!」
 彼女が号令を出すと、囚人たちは後退を始めた。増援は遠隔武器が主体でこちらに辿り着くにはまだまだ時間がかかる。インパヴィダスにとっては絶好の機会だった。
 そして路地へと後退が完了した頃に。
 『聖剣』の根元は輝きに包まれた。
 轟音が響き渡る。爆薬が上手く作動してくれたのだ。
 火薬による爆発が『聖剣』の根元を支える脚の一つ一つを破砕していく。真っ白な大理石のような構造物は、単なる真っ白な欠片へと変貌していく。細かな欠片へと変わることで、足元を救われた巨人は徐々に平衡感覚を失い、倒れていく。
 恐ろしいほどの地響きを立てながら。
 巨大な塔は、やがていずれかの方向に向けて倒れると思われた。
 だが驚くべきことに、そうはならなかった。
 足元の白い砂が輝く。少なくともナインの目にはそう見えた。
 次の瞬間、脚の折れた塔は地面へと飲み込まれていったのだ。
「何だ……?」
 崩れているのではない。足元から地面へとずるずると飲み込まれているのだ。
 これだけの巨大な質量が地へと消えていく異様な光景を、その場にいる全員は見守るしかなかった。
 まるで役目を終えた『聖剣』が、あるべき場所へと帰っていくかのような姿であった。
 ――やがて塔は跡形もなく消え、塔があったはずの広場にはグリュシュカ兵とインパヴィダスの囚人、それぞれの死体だけが残っていた。
「地脈へと帰っていったんでありやしょうか」
 セブンティワンが額の汗を拭いながら言った。グリュシュカの『聖剣』が本当に神がグリュシュカに与えたもうた剣であったのなら――剣が破壊され、『聖剣』を信奉する民の滅亡が決まったこの瞬間、消えゆくのも自然なことのように思えた。
 空を覆っていた雲はいつの間にか黒く厚くなっており、ぽつりぽつりと雨を落とし始めた。それはやがて大雨になることを予感させた。
 ナインは周囲を見る。
 八人。
 この作戦で残った囚人の数だった。




17.


 瞼が開く。
 眼球が動く。
 目玉が捉えた視界は霞んでいる。
 風邪をひいて眠った後の目覚めによく似ていた。
 何度か瞼を上下させていると、だんだん視界が正常に戻ってくる。
 天井があった。
 岩の天井だ。鼻に届くのは湿った匂い。
 己の左側からは光が差し込んでいる。
「……どこだ、ここ」
 ナインは呟いた。

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 上体を起こすと、胸が痛む。巻かれた包帯に目を落とすが、赤色の血は滲んでいなかった。あれからまた包帯を変えてもらったらしい。
 そこに傷がある感じはしない。
 恐る恐る手で触れてみるが、奥の方ににぶい痛みが残っているだけで傷は塞がっているようだった。
 周囲を確認する。
 天井は岩、壁も岩、地面だけが湿った土。左からは太陽光。
 己が着ていた濃緑色の革コートも近くに折り畳まれている。
 どうやら小さな洞窟で眠っていたらしい。
 すぐそばには焚き火をした形跡があり、僅かに残った炭が灰の中から突き出している。焚き火の周りには自分たちの荷物が置いてある。
 ロクロがここに運んできたのだろうか。
 しかし彼女の姿は洞穴の中にはない。
 ナインは立ち上がった。疲労感は残っているが、昨夜のような脱力感はない。体調はかなり正常に近づいているらしい。
 彼女は外へ出た。傾きかけた太陽が暗闇に慣れた網膜を焼き、目を細める。
 小さく波の打つ音がする。
 十数歩歩くと、木の向こうに小さな湖が広がっていた。森の中でそこだけ空が広く、どこか秘境めいた雰囲気がある。
 彼女の浅黒い肌を、湖面から流れてきた風が優しく撫でた。
 手近な木に体重を預けて見ていると、少し離れた場所に人影があるのを見つけた。
 湖の中に誰かがいる。女だ。
 彼女はナインの姿を認めて、こちらに近づいてきた。
 ――ロクロだった。
 水浴びをしていた彼女は一糸まとわぬ姿でこちらへ向かってくる。
 白磁の肌を、アウラ・ゼラの特徴である黒い鱗が彩る。腰は驚くほど細く、尻は女性らしい曲線を描いていた。水に濡れた彼女はたわわに実った双丘も、美しい脚の間も全く隠すことなく堂々とこちらへ歩いてくる。水面から出てきた裸身を水の雫が滴り落ち、彼女の美しい曲線を強調した。
 その姿は湖の精か何かのように思え、ナインはじっと見つめてしまった。陽光が彼女の体をてらてらと輝かせている。

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「やあ、起きたかい」
 薄桃色の唇が艶かしく動き、ナインに話しかけた。
 彼女の裸身を凝視していたことに気づき、ナインはハッと目を逸らした。
 己の頬が熱を持っていることに気づきながら、彼女は言った。
「……あのな、人に見られていることに気づいたら、少しは隠せ」
「隠す必要が?」
「あるに決まってんだろ!」
 水から上がったロクロが木にかけていた布を手に取る。
 彼女は長い睫毛を揺らし、腋や胸の水分を丹念に拭き取っていく。その姿があまりにも扇情的に思えて、ナインは再び目を逸らした。
 動揺を気取られたくなくて、質問をする。
「俺はどのくらい眠ってたんだ?」
「半日ほどだよ」
 道理で太陽が傾いているはずだ。
 何日間も意識を失うことがなかったということを、喜ぶべきなのかもしれない。
 ロクロは下着を身に付け、服を着込んでいく。
 しかし半日程度の経過だと言うのなら、不思議な点がある。
「俺の傷は? どうして塞がってる?」
「眠っている間に治癒魔法で回復を促進しておいた。それと帝国製の治療促進剤。僕は優れた治癒師ではないけれど、どうやらきみは元から傷の治りが早いらしい。前衛向きだよ」
 回復魔法の心得があったのか。こいつは本当に色々なことができるな、と感心する。
 ……いや、待てよ。俺の治療を行ったということなら、俺の裸も見られているのではないか? 実際のところ衣服は脱がされていた。
 同性相手とはいえ事実を確かめるのも何だか気恥ずかしい。ナインは結局、黙っていることにした。
 しかし自分がまだ礼を述べていないことに気がつき、彼女はロクロに言うべき言葉を探し、地面をきょろきょろと見回した。
「その……なんだ、助かった。ありがと、な」
「いいよ。僕も無茶をさせすぎたし」
 服を着た彼女は地面から何かを拾い上げた。複数の小魚が木の枝で頭を貫かれ、繋ぎ止められている。
「いくらか魚を獲った。食事でもしながらきみの話を聞こう」
 二人は洞穴まで戻ることにした。
 乾いた木の枝をロクロが集めており、数分かけて火を熾す。
 小さな炎は燃え上がり、やがて大きな火となった。
 ナインは兵士から奪った携行糧食と焼き魚で腹を満たした。長く眠っていたせいもあって、食欲は旺盛だった。

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 そうして食事を終えたところで、ロクロが訊いた。
「例のアーティファクトについて訊いても?」
 一応言葉は訊ねる形を作っていたものの、そこには有無を言わさない力強さがあった。ナインはごまかせないと感じた。もとよりごまかすつもりなどなかったのだけれど。
「どこから話せばいいのかわかんねえけどよ」
 聞いてくれるか、とナインは言った。
 ロクロは首肯した。
 自分の出自、ダルマスカ・レジスタンスの話、帝国軍との戦い、懲罰部隊の話――彼女は言葉を紡ぎ始めた。
 ちょうど眠っている間に夢を見た。
 それは昔の記憶だ。
 だからナインはそれらを思い出すのにさほど苦労しなかった。
 何年経っても忘れられないことはある。
 忘れたいと思ったことは、一度もないが。
「――じゃあ、『聖剣』はその時確かに破壊されたんだね」
 ナインの話を聞いたロクロが言った。
「ああ、それは間違いねえ。俺たちは確かに塔を破壊した。終わりこそ奇妙だったけどよ、『聖剣』は誰の手にも触れられねえ場所へ行ったはずだ」
 だからこそアウレリアが『聖剣』の核を所持していることが不可解なのだ。
「地脈に流されていったってことだったね。でもそれは」ロクロは顎に手を当てた。長い睫毛が伏せられる。「多分回収可能だ」
「……はぁ?」
 地脈とは大地に流れるエーテルの流れのことを言う。三大州においてよく見られる『エーテライト』という設備は地脈の結節点に設置され、転送魔法における道標となるのは一般人にもよく知られていることだ。
 逆に言えば、エーテライトなしでは地脈を利用することなど不可能という意味でもある。転送魔法への適性の有無によって向き不向きが決定されるという点も重視されるが、軍隊の進軍において、未だに『物理的な』手段が採用されることが多いのは、単純にそれだけ地脈の利用が危険だからだ。転送中にエーテライトが破壊されたことで、何百もの兵士が地脈へと消える結果となった事件も歴史に記録されている。地脈はエーテルの海であり、人類にとっては未知の領域なのだ。
 ゆえに、ナインは無理だと言った、のだが……。
「知り合いに地脈を彷徨った挙げ句生還した人間がいてね。いやそういう人物が存在するという事実だけ抑えていればいいんだ。とにかく地脈の中に消えていった物体でも、見つけて取り出す方法はある、ということだ」
「にわかには信じがてえが」
「だけど実際にアウレリア・ゴー・タキトゥスは『聖剣』と同じ魔法攻撃を使ったろう?」
 確かに。
 周囲のエーテルを吸い上げて強力な魔法攻撃――光の柱を発射した。
 あれは確かに、かつてグリュシュカで目にしたものと全く同じだった。彼女は実際にグリュシュカで光の柱による攻撃に晒された経験者なのだから、胸を張って同じものだと言える。
 であれば信じる他ない。何をどうやったのかは皆目見当もつかないが、帝国の諜報員は『聖剣』の欠片を回収に成功したのだ。そしてアーティファクトは帝国に持ち帰られようとしている。
 グリュシュカの反乱で戦った自分がこの事件に巻き込まれた偶然のことを思うと、数奇な運命としか言いようがない。しかし、だからこそ自分が決着を付けなければならないだろう。
「わかった、信じよう」
「それはどうも」
「雑談ついでに訊いてもいいか?」
「僕に答えられることなら」
「お前、どうしてそんなに強いんだ?」
 ロクロは首を傾げた。
「……強いからでは?」
「そういうことじゃねえんだよ!」要領を得ない解答にナインは呆れ返った。「ほら、その、なんだ。最初にやり合った時に俺、ボコられたじゃねえか。エオルゼアの冒険者ってのはお前みたいにすげえやつばっかりなのか?」
「きみも似たような仕事してるだろ」
「俺は冒険者じゃなくて傭兵だし、他のやつと組んだことはねえ。西州に来てからも日が浅いし――さっき話したように俺だってそれなりの地獄は経験してきたつもりだ。けどよ、あの時のお前には敵う気がしなかった」
 ナインは灰色の髪束に手を突っ込み、頭を掻いた。
 しかしロクロはこともなげに言う。
「きみが弱いからでは?」
「……現状の戦績では、お前に負け越してるのは認めよう。助けてもらった義理もある」ナインは不承不承言った。「けど俺は弱くねえ、単純にお前がつえーんだ。強いだけじゃねえ、どんな突拍子もない思いつきでもお前が『やる』と言ったら実行する。どんなに難しいことでも絶対に成し遂げるという覚悟が決まっている。その芯の強さはどこから来たんだ?」
 ロクロはしばし考え込んだ。ナインの言葉を一つ一つ咀嚼している節があり、彼女はしばし見守ることにした。
 しばらく考え込んだアウラの女は、ようやく口を開いた。
「わからないな」
 結局出た答えが答えになっていなかった。
「何か……何かあるだろっ……こう、誰か有名な武道家に師事したとかよぉ」
「師事」
 ふぅむと顎に手を当てて考え込んでいる。
 しかし。
「いや、わからないな」
「わかんねえ、かぁ」
 何らかの秘密を抱えており隠しているのかと疑いもしたが、どうもそういう雰囲気ではない。純粋に単純に本当にわからないらしい。
 であればこれ以上訊いたところで何か実りがあるわけでもなし。ナインは強さの理由を聞き出すことを諦めることにした。
 こいつは最初から単純に強かった。そういう生き物なのだ、と。
 ふと、ナインの口から欠伸が漏れた。あれだけ眠ったのに俺はまだ睡眠を欲しているのか、と自分の体に呆れ返る。
 洞穴の外は既に闇に包まれ、焚き火の僅かな灯りだけが周りを照らしている。
「眠ってもいいよ」いつの間にか頭から毛布に包まったロクロが言った。「追跡を確実なものにするために、僕らにはもう少し休息が必要だ」
「つっても不寝番は……」
「大丈夫。何かあったら僕が必ず起きるから」
 ナインは閉口した。どんな自信だ。
 だがまあ、こいつはこういうやつだ。彼女が『起きる』と言うのなら、実際に彼女は『起きる』のだ。その点においては全面的に彼女を信頼していいのだ。ナインにもだんだんわかってきた。
 自分も毛布を取り出して包まることにした。そのまま地面に転がると、眠りがゆっくりと近づいてくるのがわかった。
 意識に靄がかかり、眠りの領域が広がっていく。
 数秒後には彼女は完全な眠りに落ちていた。


続く。


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宴屋六郎
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