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FFXIV Original Novel: Paint It, Black #9


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まとめ読み:



20.


「――ナイン」
 声が自分を呼んでいる。意識が上へと登ることで、夢から睡眠へと変わり、幻影ではなく暗闇を意識することになる。
 瞼の裏の暗闇だ。
 頑固にくっついて離れない瞼を不断の努力で開くと周囲の様子が目に入る。その大半はぼやけているが。
「おはよう、ナイン」
「ああ……」
 歪んだ視界の中で美しいアウラの女が微笑んだ。洞穴は薄明るくなっているが、外は白い靄がかかっている。山から霧が降りてきているようだった。鼻先が冷えているのを感じる。鳥たちが高い声でさざめいている。
 昔の夢を見た。
 決していい夢ではないが、悪い夢と断定するのも難しい。
「朝食を食べなよ」ロクロは袋に入った糧食を口にしていた。「さすがにもう焼き魚はないけどね」
 ナインは自分の荷物――元敵兵の荷物――から銀袋を取り出した。帝国軍の携帯用戦闘糧食だ。本来は鍋で似たり、炒めたりして食べるのが推奨されているが、最悪の場合はそのままでも食える。
 食えるが、決して美味ではない。保存用に調整された鶏肉のような何かを口に含み、もちゃもちゃと咀嚼する。まあ懲罰部隊に支給されてた最悪の糧食よりはいいかという感想に落ち着き、彼女は食事を続けた。水袋から水分を補給し、一息ついた。
「行けそう?」
「……大丈夫だ」
 ナインは立ち上がって自分の体を確かめてみた。
 ロクロの治療と休息によって、怪我はほとんど癒え、体力が戻ってきた。睡眠もたっぷり取って、活力は十分だ。彼女は再び感謝の言葉を紡ごうとしたが、今更になって羞恥心が湧いてきて、上手く口が動かなかった。
 ――昨日は考えなかったけど、もしかしなくても俺の胸、見られたんじゃねえか?
 ナインの考えをよそに、二人は洞穴が外に出て、歩き始めた。
 まだ霧は濃い。数ヤルム先の様子は窺えないが、ロクロは方位磁石を頼りに歩いている。周囲に獣の気配はなく追っ手の姿も見かけない。しばらくは霧が姿を隠してくれるだろう。
「『聖剣』の核を使って何をすると思う?」
 道中、ロクロが訊ねた。
「さあな、単なる兵士だった俺にはわかんねえ。単純に武器として使うんじゃねえのか?」
「それにしては相手が必死すぎると思わないか?」
 確かに。
 単眼の機械兵を送ってアウレリアを回収するほど真剣に奪取を阻止しようとしてきた理由がわからない。対空攻撃が可能なら、輸送艇そのものを一挙に落としてしまう手も実行できたはずだ。
「だけどよ、『聖剣』は確かに強力な兵器だぜ? いくつか条件はあるが、帝国ご自慢の飛空戦艦すら墜落させる力がある」
 山道は斜面に変わってきた。湿った柔らかい土を踏みしめながら前へ進む。霧は徐々に晴れつつある。二人は木の幹に手をかけて支えとしながら歩いていく。
「帝国軍の趣味に合わないんじゃないか。彼らはそういう『魔法的なもの』は避ける傾向にある。特に環境エーテルを利用するものに関しては蛮神に通ずるものがあるよね」
「それも確かに、だな」
 反乱後のグリュシュカがどうなったかは知らない。知らされていないのだ。
 だが砂と化した場所が元に戻ったとは思えない。おそらく一度枯渇した環境エーテルを元に戻すことは簡単ではないだろう。彼女は専門家ではないので、本当にそうなのかはわからないが。
「そもそも帝国軍は対空攻撃には困らない。ガレマール帝国ほど飛空艇の技術が発達した国はいまだなく、物資輸送が関の山で軍事転用など望むべくもない。単純な高火力兵器としてはリスクが高すぎるし、地上攻撃なら飛空戦艦からの爆撃で事足りる。なおさら彼らが『聖剣』を欲しがる意図が見えない」
「……オモチャにして遊ぶのかもな」
 疑問に対する明瞭な答えを持ち合わせておらず、ナインは静かになった。考えても出てこないのだから仕方ない。ロクロは自分で考えられるタイプの人間なのだから、あとは彼女自身の思考に任せるべきだと感じていた。
 二人は静かに歩み続けた。
 山道はやがて下り坂に変わった。
 山脈の中でも標高が低い部分を登りきったらしい。舗装されていない山道は、登りよりも下りの方が厳しいということをヴィエラは知っていた。彼女は気合を入れ直す。
「待て」
 アウラの女が白髪を揺らす。二人は静かにしゃがみこんだ。
「どうした?」
「もう少し待てばわかる」
 山に満ちていた霧が風に流されていく。
 獣道以下の山道のずーっと先に――建造物が見えた。
 黒い鋼鉄の建物。一マルムほども離れているというのに、その敷地は広く感じられる。威圧的な黒い塀に囲まれた敷地内に魔導兵器が並んでいるのが見えた。
 帝国軍の拠点だ。
「あれがアッキピオか?」
「おそらくね」
 補給基地の先には海が広がり、船が並んでいた。飛空艇の発着場さえ備えている。陸に食い込む湾の一部を埋め立てて作られた拠点のようだ。
 二人は用心して前へ進んだ。すぐに木々に隠れることができるように、遮蔽物を意識して近づいていく。まっすぐ進むのに比べて二倍近く時間がかかるが、ここまでの道のりを台無しにするわけにはいかない。
 その間も飛空艇の発着場には輸送艇らしきものがやってきては魔導兵器を含む物資や兵員を降ろし、去っていく。かと思えば逆に輸送艇へ物資を積み込んで発つものもある。
 ここはおそらく中継地点なのだ。作業車両がせわしなく動いている姿を見ながらナインは理解した。
「紛れ込めると思うか?」
「行けるだろう。僕に帝国式の敬礼を教えてくれないか」
「いいぜ、一発で属州徴用に合格できるようにしてやる。帝国軍なりきりセットもあるわけだしな」
 二人は今、帝国軍の兵士とほとんど同じ装備を身につけている。細部をじっと見つめられれば変装であると露見するだろうが、遠目には見分けがつかないはずだ、というのが元帝国軍であるナインの見立てだった。
 属州から徴発した兵士を、それぞれ故郷から遠く離れた地へと送り込むのが帝国流の反乱抑制策だったが、イルサバードから離れるほどに属州出身の兵士だらけになり、人種は様々になっていく。二人が突くべき弱点はそこだった。僻地の拠点であるなら、アウラやヴィエラの帝国兵がいたところで怪しまれないはずだ。
 慎重に山を降りた二人は、基地と外界を隔てる壁に肉迫していた。溢れた物資は壁の外にも置かれ、時折作業用車両がやってきては基地内部へと搬入されていく。二人は物資の陰に身を潜めた。
 ついてるぞ、ロクロが小さく呟いた。同感だった。

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 やがて作業車両が二人の近くへとやってくる。アームで物資の詰まった箱の底部に爪を引っ掛けて、搬送作業を始める。車両が壁の方へと向き直ったのを見て二人は立ち上がった。車両の後ろを静かに尾行して壁の中へと侵入した。
 出入り口に立っている兵士は遠目に二人のことを見ていたが、物資搬送の補助をしていた人間だと思ったようで、声まではかけなかった。
 緊張はその瞬間がピークであり、ナインは自分の動悸が高なっていたことをこの時知った。
 アッキピオの敷地内は外で見たよりも多くの物資が集められていた。鋼鉄製のコンテナの扉が開かれ、箱が取り出されたり、逆にしまわれたりしている。
 物資の並んだ森林がごとき場所を抜けて、二人は歩いていく。会話はない。意識は周辺への注意に割かれていた。
「――そこの二人組!」
 物資搬送作業を行っている集団の近くを通った時、百人隊長の鎧と兜を身にまとった兵士がこちらに声をかけてきた。
「ハッ」
 ナインは即座に帝国式敬礼の形を取った。右拳を握り左胸の少し上に掲げる。左手はピンと地面に伸ばす。ほんの一瞬だけ遅れてロクロも敬礼を行った。
「二番倉庫に向かう予定はあるか」
「その予定であります」
「責任者の技師に早くこちらに来るように伝えてくれないか。搬入目録がぐちゃぐちゃで意味がわからん」
「了解しました」
 何が一番で何が二番で、そもそもどこが倉庫なのかもわからないが、ナインははきはきと答えた。
 その場を辞するのが許されて二人は再び足を運び始める。
 周囲に人がいなくなったのを見計らってロクロが口を開く。
「さすがの演技力だ、ナイン」
「演技っつうか昔取った杵柄っつうか」
「エオルゼア都市軍事同盟軍の元で諜報員になれるんじゃないか」
「顔が割れてるから無理だろ」
 懲罰部隊の脱走兵、囚人番号九番。
 あの事件の後どういう扱いになったかは知らないが、愉快なことにはなっていまい。
 その後障害が立ちはだかることはなく、二人は施設の入り口に辿り着いた。倉庫は搬入用の扉を大きく開いており、侵入するのは容易だった。
 相変わらず帝国製の建造物は陰鬱だ、とナインは思う。
 黒い床、黒い壁、黒い天井。空間が大きく広いだけでインテリアは代わり映えしない。彼女は軍用施設しか入ったことがないが、もしや民家もこうなのか? いや、さすがにそんなはずはないだろうけれど……。
 ナインは過去の記憶を頼りにあるものを探していた。
 鉄製の階段を登ったところでそれを見つけた。
「あったぞ、魔導ターミナル」
「よしきた」
 黒い鋼鉄に青白い発光ライン。帝国が機械の制御やデータの保存、管理に用いる機械だ。軍の施設では何度も目にしていたが、自分で操作したことはない。秀才かつ魔導院に籍を置いていたかつての友人ならば、操作方法を知っていたかもしれないが。
 ロクロは周囲を窺う。この施設は人が少ないのか、こちらを見つめる人間はいない。彼女は懐から例の『四角形』を取り出した。アラグの遺物だ。
 ターミナルに接続された遺物が光を走査させた。硝子のモニター上の表示が更新される。

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「――搬入リストにアーティファクトらしきものはない」
「ここにない?」
「あるいは隠しているか、だ。検索ワード変更。『アウレリア』」
 モニターが光って内容が再び更新される。
「見つけたぞ。位置情報を複製しろ」
「どこだ?」
 ロクロが遺物を取り外した。四角形はその身から光を放ち、見取り図を空中に表示した。
 便利なもんだ。
 ナインは宙に浮かんだ見取り図を眺めて眉根を寄せた。
「――実験棟?」
「カステッルム・アッキピオ(物資受領所)の名前にしちゃ物騒だと思わないか?」
 兵士や技術者に目撃されるのを警戒してロクロは遺物を懐にしまった。ナインも頭の中に見取り図を叩き込んでいた。
 二人は実験棟までの通路を歩いていく。途中で数人の兵士とすれ違ったが、特に怪しむ様子はない。百人隊長に声をかけられたあたりでも感じていたが、変装は上手くいったようだ。
 施設から施設へは細長い通路が設けられていた。黒い壁には硝子の窓が嵌められており、外が見える、とはいえやはり軍の施設ということもあって風景が凝っているわけではない。ただ物資を整理している姿が見えるだけだ。
 ただし実験棟に続く通路は違った。
 硝子窓は一切なく、青白い光を放つ照明だけが静かに道を照らしているだけだった。歩いた距離のことを思えば、実験棟はアッキピオの最奥に位置する施設だった。通路の先には兵士が二人立っている。他の施設とは明らかに扱いが違う。
 黒と赤の鎧を来た兵士がこちらを見つめる。近づいてくる二人を警戒しているようだった。
「所属と名前は?」
 まだ近づいていないというのに、腰の剣に手をかけている。実験棟を訪れる人間は限られているか、予定が歩哨に伝えられているかのどちらかなのだろう。
 ナインとロクロはそれでも歩みを止めようとしない。
「と、止まれ!」
 威嚇に対しても歩みを止めない二人に何かを感じ取ったのか、歩哨の声が上擦った。
 ついに剣を抜こうかと兵士が力を込めたその時。
 向かって右側の兵士が倒れた。隣に立っていた同僚は驚き、視線が引きつけられてしまう。首には短剣が突き刺さっていた。ロクロの白く細長い手と指から放たれたものだった。同僚の死をようやく悟り、彼は剣を抜き放つ。
 だが遅い。
 目の前にヴィエラの女が立っている。彼が認識できたのはそれだけだった。
 長い脚を振り子のように回転させて、ナインは兵士の顎を蹴り抜いた。そして彼の腕を掴み、剣を手放させる。その剣はすぐさま喉へと向かい、鎧に包まれていない肌を深く切り裂いた。
 彼は声も挙げられなかった。
 ナインが死体の懐を探る。目的のものを見つけて取り出した。魔導認証鍵だ。厚みを持ったカードのようなそれを扉の装置に掲げると、解錠されて自動的に扉が開いた。
 中は再び短い通路になっている。滅菌用の区画のようで、霧状の消毒液が天井から噴射された。一瞬警戒したが、特に害はないようだ。二人が更に奥へと進むと、人間を検知した扉がまたも勝手に扉を開けた。
 黒い床に黒い壁。デザインは相変わらず変わらないが、通路はまっすぐ伸びている。左右に小部屋が並んでおり、強化硝子と思われる巨大な窓が嵌め込まれ、内部が見えるように作られている。小部屋には白い机や何に使うのかもわからぬ機器が並んでおり、それぞれ研究室か実験室のように思われた。
 目撃されはしないかと警戒したが、中に人間はいない。次の左右に並んだ小部屋も、さらにもう一つ先の部屋も同じだ。実験用の器具を動かした形跡はあるものの、兵士も研究者も存在しなかった。
「気味わりぃ」
 小さく呟く。ロクロも頷いて通路を進んでいく。その歩みは慎重だ。
 小部屋を覗く硝子の向こうに蠢くものがあることに気づいた。ナインはじっとそれを見つめてみる。飼育箱に飼われたネズミのようだ。ケースは二つに区切られており、片方のネズミは忙しなく走り回っているものの、反対側はぐったりとして動かない。研究用の生物だろうが、何となく気持ちが悪くて目を離した。先へ進んだ方がいいだろう。
 だが次の部屋に差し掛かった時のことだ。二人の視線は釘付けになった。
 強化ガラスの向こうに人間がいた。
 いいや、違う。
 人間ではいない。
 『あった』と表現すべきだろう。
 彼らは既に生命活動を終えていたのだから。
「――死体だ」
 ロクロが呟いた。
 硝子の向こうにはミッドランダー、ルガディン、ララフェル……様々な人種の、男女の死体が横たわっていた。その小部屋の扉は他と違い何重にも施錠されており、透明な牢獄のような様相を呈していた。死体はいずれも衣服をまとっていない。だからロクロは断定できたのだ。胸のあたりを見ても呼吸をしているようには見えないからだ。
 次の小部屋も同様だ。ヴィエラ、アウラ、ロスガル……見たことのない獣人族もいる。
 彼らの顔は皆、苦しみに満ちている。喉のあたりを掻きむしったようで、血を流している者も見られた。硝子窓には脂で手形がついている。外に助けを求めた形跡だろう。
 ここで何らかの人体実験が行われていたのは間違いない。

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「中に入ったらまずいんだろうな」
「ああ、やめた方がいいと思う」
 二人は小部屋から目を背け、先へ進んだ。突き当たりは再び扉になっている。これまでの小部屋の傾向から言うとあまりいい予感はしなかったが、ここまでアウレリアの姿はない。進むしかないだろう。
 ここの扉も自動検知のようで、勝手に開いた。先には大きな空間が広がっている。まるで講堂のような形をしている。遠くに壁が見えるが、遠すぎて距離感が掴めない。
 巨大な実験場なのだろうか。
 観察していると、空間の中央に人間が立っているのが見えた。二人はすぐに近くの備品を並べた棚に隠れた。隙間から様子を窺ってみると、こちらの姿が見られた様子はない。
 ロクロはこちらに向かって頷いた。ここからでは何が行われているか判然としないため、前に進もうというのだろう。視線を交わして二人は移動を開始した。棚の陰から陰へ。
 移動の最中に、魔導兵器がいくつか並んでいるのが見えた。二足歩行型の魔導兵器が多いようだ。壁際には移動可能と思われるクレーンのアームがいくつも並んでいる。
 そうして中央の方を観察していると、急に光が漏れ出した。
 真っ白な強い光――『聖剣』の魔法攻撃と同じものだ。ナインは咄嗟に棚の陰に戻ったが、こちらに向けて放たれたものではなかったようだ。
 再び目を向けると、接近したことで中央に立っていた人物の姿がはっきり見えた。一人は赤毛の女、アウレリア・ゴー・タキトゥス。もう一人は白衣を来た男で、顔は遮光ガスマスクに覆われていて見えない。技術者か、研究者だろうか。
 耳を澄ますと彼らの会話が聞こえてきた。
「成程。『聖剣』とやらの持つ力は理解した。確かに強力な兵器となりうることはわかるよ。試作機の追加兵装として利用できるだろうというきみの意見も理解はする」
 マスクの向こうから聞こえる声は、くぐもっている。ただマスクを通した声からも神経質そうな雰囲気が滲み出ていた。
「問題は、二つある。まず一つ目から説明しようか。単純に、私の作品に『これ』は必要ではないということだね」
 会話の内容は理解できない。
 だが彼らの背後に存在するものに気がついた。おそらく魔導兵器と思われるが、今まで見たものとは違っている。原型としては魔導リーパーなのだが、ナインの知っているそれよりも一回りほど大きく、形は角ばっている。そして背中に巨大な装置を背負っていた。
「追加兵装はあってもなくても変わらないね。単なる私の閃きを書き留めたメモに対して、きみが動いただけに過ぎないよ。だから必要か不要かで言うと、不要ということになるね」
「おそれながら! 本国へプレゼンを行うなら完璧な形にして然るべきかと!」
「つまらないことを言うね。彼らに有用性を認めさせるなら、私の作品だけで十分だよ。どうやらアウレリアくんは私を信用できないと見える」
「そんなことは」
「味方であるはずの輸送艇を一機撃墜し、貴重な『超人』を送り込んでまで手に入れる価値があったと。きみはそう言いたいんだね? 輸送艇に乗せていた兵員や物資全てよりも価値があったと、そう言いたいんだろう?」
「……その判断をなさったのは、あなたかと」
 アウレリアは俯いていた。
「あはははは! 半分は正解だけど半分は間違いだねぇ!」男は腹を抱えて笑った。「輸送艇を撃墜するように命令を出したのは確かだ。だけど、きみとアーティファクトに価値を見出したわけではないんだよ」
「で、ではなぜ……」
「ええ? わからない? 本気で? そんなんじゃ本国に返り咲けないよ、アウレリアくん。帝都は権謀術数渦巻く魔圏なんだからさぁ。今のきみのままじゃ、帰郷してもすぐ殺されちゃうよ」
 白衣の男はやれやれといった雰囲気で頭を振っている。
 彼は手袋に包まれた右手で水晶の塊を握っていた。間違いない、あれが『聖剣』の核だ。周囲にはエーテルを溜め込んだクリスタルが安置されており、いくつかはエーテルを吸い上げられて灰のように崩れている。
「邪魔な鼠がいるのなら、巣ごと焼き払ってしまった方が何かと楽だろう?」
 彼の言い放った言葉にアウレリアは固まったようだった。
「で、では、『超人』はなぜ私を助けたのです!? あなたのご命令で!」
「きみが『助けて』って言ったんじゃないか。最初は無視しようと思ったんだけどね、専用回線でぴいぴい泣き喚くものだから、うるさくて仕方がなかったんだ。だから助けてあげなさいって言ったんだよ。私としては本意じゃなかったんだけど」
 ガスマスクの男は俯いた。どうやら深く溜息を吐いている様子だ。
「それでようやく問題の二つ目の話ができるんだけどね。全く話の腰を折るんじゃないよ、アウレリアくん。二つ目の方が重要なんだから」
 手袋に包まれた右手が人差し指を立てる。
 そして――こちらを指差した。
 ロクロとナイン、二人の方へ。
「きみは、いらぬ鼠を連れてきてしまった」
 瞬間。
 膨れ上がる殺意を感知する。
 中央の男が?
 アウレリアが?
 違う、そのどちらでもない。
 殺気を辿る――上だ!
「…………!」
 全身を包む黒鎧に兜、中央に象嵌された赤い単眼が静かにこちらを見つめている。彼女はワイヤー付きの杭で天井に張り付き、こちらを見つめていたのだ。おそらく二人が入ってきた時から、ずっと。
 例の機械兵が天井から落ちてくる。右手に握ったガンブレードを突き出して。
 ナインは背中の槍を抜き、敵の攻撃を受け止める。
 体重と落下速度が乗った一撃は重たい。
 だが。
「っだらぁぁぁぁあああああっ!」
 ナインは全身の筋肉を全力で稼働させ、頭上からの刺突を横に逸らした。体勢を崩した単眼の体に追撃の蹴りを放つが、単眼女も空中で姿勢を制御して回避した。
 そして二回ほど地を蹴って距離を取る。
 ロクロの矢が彼女に向けて飛来する。ガンブレードの刃が恐るべき速度で翻り、矢を弾き落とした。

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「客人だ。調整を兼ねて相手をしてあげなさい」
「任務受領」
「コルウス、あなたはこちらへ!」
 白衣の男を避難させようとアウレリアが叫ぶ。
「ああ、はいはい。わかっているよ」
 コルウスと呼ばれた男はガスマスクを外しながらゆっくりと歩いていく。ガレアン人らしく額に『第三の目』があるが、年齢は判然としない。四十がらみにも見えるが、青年のようにも見える。黒髪を後ろに撫で付けた神経質そうな印象だけが残るのだ。
「ナイン!」
「わかってる!」
 こちらの存在が露見した以上、増援が来る。
 ここはカステッルム・アッキピオ。帝国軍の基地だ。ここに駐留する兵士の数は、輸送艇の比ではない。
 だから目指すは短期決戦による勝利か、撤退、なのだが。
「そんなに早く終わらせてくれるタイプじゃねえよなぁ、お前はよォ!」
 単眼女が金属の床を蹴る。ほんの一瞬の踏み込みながら、急速に距離が縮まり、ナインの目の前に現れ、ガンブレードの刃が迫る。
 だがナインもほとんど同時に後退している。踏み込みの衝撃を後方に流しながら、槍を横にして防御。勢いが減じたところでしっかりと足を固めて踏みとどまる。黒い仮面に象嵌された瞳がナインを見つめている。当然ながらそこに感情は存在しない。
 ナインは溜め込んだ息を吐きながら刃を押し返す。加減はなしだ。全ての動作を全力で行わなければ押し負けると知っている。しばらくの間鍔迫り合いが続き、埒が明かぬと判断したのか、単眼女が引いた。十歩ほど開いた距離の先でガンブレードを構え直している。
 やはりこいつは厄介だ。まるで俺の攻撃を全て知っているかのように動きやがる。
 しかも太刀筋は最初にやり合った時より鋭いときた。こんな帝国式剣技の遣い手は今まで見たこともない。
 だがどこか。
 どこか心の奥底で、彼女の記憶を揺さぶるものがある。
 ――いいや、相手がガンブレード使いで帝国式剣技使いだからだ。そんな人間とは何度も戦ってきた。懲罰部隊の中で試合形式で訓練をやったこともある。
 背景では白衣の男を退避させたアウレリアが単眼女と同じくガンブレードを構え、ロクロに襲いかかっていた。彼女が持っているのは幅広の刃――士官用に拵えられたものだ。彼女の斬撃をロクロはひょいと避け、そのついでだと言わんばかりに弦を引いて矢を放つ。

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「どうして私の邪魔をする!」アウレリアが叫ぶ。「穢らわしい蛮族の鼠め!」
 ロクロは距離を取りながらさらに矢を放った。その弾速は非常に速く、狙いは正確である。アウレリアは防御と回避に専念せざるを得なかった。
「何も邪魔なんかしないさ。ただ、きみを殺すというだけだ」
 アウラの女は美しく笑った。
「お前たちを殺して私は故郷へ帰る!」
 ――ナインは斧槍を構えて走る。強く床を蹴って飛び上がり、空中で穂先を向けて突撃する。
 単眼は長い足を深く曲げ、しかしすぐに伸ばして跳躍する。落下のスピードを活かそうとするナインへのカウンターだ。
「おもしれえ!」
 両者は空中で衝突。斧槍の刃とガンブレードの刃が交錯し、互いの衝撃で別の方向へと飛んだ。ナインの足が地についた瞬間、そこを蹴る。目の前には単眼。同様に着地と同時に疾駆してナインへと襲いかかっている。
 二つの凶器が斬り結ばれ、再び火花が散る。
 単眼女が柄の引き金を引く。青燐機関が駆動、刀身に科学の青い光が灯る。
 帝国式剣技が来る!
 ナインは敵の刃を右に流しながら跳躍、腰から下を捻り、回し蹴りを放つ。単眼女の脇腹に命中し、彼女を吹き飛ばす。だが単眼は空中で剣を振るい、青い炎が宙に描かれた。
 青燐の炎は斜めに結ばれ、実体を持つ影となってナインに飛来する。
 彼女は槍を振るい、炎をかき消そうと抗う。斧槍に付与された魔法耐性に期待したが、やはり青燐とは相性が悪い。五割ほども減衰させられず、蒼炎が彼女を襲った。
 直撃はまずいと判断してナインはコートを翻す。槍ほどではないが、こちらにも耐性が付与されている。濃緑色のコートが炎から彼女を守る。こちらで二割減衰といったところだろうか。背中が強い熱に焼かれる感覚がある。確認はしたくないが、致命傷でないことを喜ぶべきだ。
 着地した単眼が再び接近。横薙ぎの斬撃がナインを襲う。
 ――速い!
 彼女は振り返り、握った得物で何とかそれを受け流す。火花が二人の顔を照らす。刹那、ナインは単眼女の手に向けて右足を繰り出し、命中させた。打撃を受けて構えがブレる。
 ヴィエラの体は受け流した勢いのままに回転を続ける。やがて背中を単眼に向けて見せる形に到達する。
 単眼は打撃から回復、ガンブレードを引き、柄を握った右手を背中より後ろへ移動。切っ先の照準をナインの背中へと向けた。左手は柔らかに刃に当てられ、狙いを正確にする。そしてすぐさま正面へと突き出した。全ての動作は素早く、一瞬のうちに終了した。常人では動きを捉えることも難しいだろう。
 刃はナインの背中めがけて突き出された。
 彼女は――背中を大きく反らした。顎を思い切り上げ、大きく、大きく反る。喉と胸が平行になるほどに。その動きは意図したものではなく、ほとんど本能的なものだった。こうすれば相手の攻撃を回避することができる。なぜか彼女はそれを知っている気がしたのだ。
 刃が喉元を通過する。ぎりぎりのところで彼女は回避に成功した。
 そしてナインは両手に持った槍を突き出す。背中を弓なりにした姿勢のまま斧槍が繰り出される。
 単眼女は渾身の力を込め、ガンブレードを突き出したままだ。すぐに回避には動けず、刃を戻すのも間に合わない。
 穂先は彼女の思惑通り、単眼女の頭に向けて突き進み――そして命中した。
 手応えあり。
 追撃のために反らした体を回転させて正しい姿勢に戻す。そして斧槍を横に振るったが、単眼女は背後へ退いていた。
 彼女は右手をだらんと下ろし、左手で顔を押さえている。
 俺はこうなるのをどこかで知っていた気がする。この技は西州で覚えたものだが――しかし、しかし。
 突きの瞬間に隙ができることを、俺は知っていたような気がするのだ。
 単眼女が左手を外した。
 仮面の一部が破損し、素顔の半分が露わになった。
 ひとつ結びに束ねられた、絹糸のような黄金の髪がばらばらになって揺れるのを彼女は見た。
 そして――青い瞳も。
 俺はその瞳を知っている。
 髪の柔らかさも知っている。
 髪と同じ色の睫毛も。
 雪のように白い肌も。
 可憐な桃色の唇も。
 その唇が、どんな音色で俺の名を呼ぶのかも、知っているのだ。

「――スリィ?」






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続く。



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宴屋六郎
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