キャスター・セメンヤ(陸上選手) ー「アスリートたちが変えるスポーツと身体の未来」よりー
はじめに
先日、「東京オリンピック汚職の陰で-平尾剛のアスリート批判-」を執筆した際に、(※1)平尾剛の論文を紹介したが、平尾の論文で今回ご紹介する「アスリートたちが変えるスポーツと身体の未来 セクシュアリティ・技術・社会」(以下「スポーツと身体の未来」)を引用していたことが気になっていた。平尾はアスリートの社会性の欠如について「スポーツと身体の未来」に掲載されている山本の文章を引用したうえで、スポーツ界が抱える構造にも問題があることを指摘していた。(※2)
平尾の以上の指摘を読んで、私自身、スポーツが苦手ということもあり、スポーツと社会をめぐる関係がどういったことかを知るための知識を身につけることが大切なのではないかという想いにかられ、「スポーツと身体の未来」を手に取ってみた。そこにはスポーツ界における差別、偏見の問題や、スポーツ界に社会が求めるイメージがもたらす問題点などが論文の形でまとめられていた。どの論文も大切な視点だと感じたのだが、その中で特に私が気になったのは女性のアスリートであるキャスター・セメンヤと大坂なおみに言及した論文であった。
そこで、今回から3回に渡ってキャスター・セメンヤと大坂なおみについて、皆さんと考えて参りたい。1回目の今回はキャスター・セメンヤがIAAFから受けた性に関する精神的、身体的なハラスメントとも言える「性別確認検査」などの問題点及びそれと闘ったセメンヤについて述べたい。
キャスター・セメンヤの例
「性別確認検査」
南アフリカの陸上選手であるキャスター・セメンヤは女性として育てられてきたにもかかわらず、IAAF(世界陸連)より性別確認検査を要求された。彼女の外観上の発達した筋肉、2009年にベルリンで開かれた世界陸上女子800メートルで自己ベストより8秒速い形で金メダルを取ったことが男性ではないかと疑われたのである。(※3)
この性に関する「疑惑」の間、セメンヤは選手の出場資格を停止された。性に関する「疑惑」が持ち上がったことについて、セメンヤ本人、家族への精神的負担は想像に難くないと井谷は指摘する。(※4)最終的にはIAAFは2010年7月に医療の専門家の意見を受け入れ、セメンヤの即時復帰を受け入れた。ただし、セメンヤがIAAFの不当な要求に争うことができたのは家族の支え、弁護士、選手に関する人権活動家、IAAFの規定を問題視する医学者などの支援があったことを井谷は指摘している。(※5)また、セメンヤがIAAFと争う以前、セメンヤと同じ境遇に置かれた選手たちはどういった末路をたどったのかについて井谷は次のように述べている。
井谷は、セメンヤへの性別確認検査について、① IAAFが性別確認検査の実施を選手のプライバシーを理由に非公開としたこと、② 本人、家族に対するインフォームドコンセントを与えていなかったことの問題を指摘する。(※7)そこにはIAAFの秘密主義的かつ組織の都合を最優先させる人権軽視の体質を感じさせる。また、井谷は、米国の水泳選手キャスリーン・レデッキーが驚異的な身体を持っていることや、セメンヤと同じ陸上選手でチェコスロバキア(当時)のヤルミラ・クロトフヴィロヴァがドーピング疑惑があったにもかかわらずスポーツ競技の組織から問題視されなかったことも指摘する。(※8)
「女性」性に固執するIAAF
セメンヤへのIAAFに対する性への暴力的な態度は世論の批判を受け、2011年にIAAFは性別確認検査を廃止した。しかし、IAAFは別の手段で性別の確認をセメンヤに求めた。
IAAFはセメンヤの血中テストステロンの含有量が男子の平均下限値以上ある高アンドロゲン症が問題であるとして、手術、注射、薬などでテストステロンの量を下げることをセメンヤに要求した。セメンヤはこの要求を拒否し、IAAFと全面的に争うこととなった。(※9)
しかし、2019年スポーツ仲裁裁判所はIAAFが規定したテストステロンの値が高い女子選手への出場制限を認めた。(※10)スポーツ選手個々の主体性、人格などを顧みないスポーツ組織の体質がそこにある。
女性への偏見を解消できないスポーツ組織
セメンヤを巡る問題は、IAAFの不当な要求とそれに抗するセメンヤとの闘いというだけに留まるものではない。そこに至るまでには多くの選手が人権と人間の尊厳を奪われ、泣き、苦しんできたという事実があることを私たちは認識するべきであろう。
IAAFがテストステロンの値と競技力に「因果関係がある」とした根拠であるバーモン論文は、バーモン及び論文関係者自身が2021年9月に「関係性が見出せる」という内容に変更した。これを受けてか、同年11月にはIOCはセックス・コントロールを規定することをしないと表明した。(※11)ただし、IOCはセックス・コントロールを規定しないものの各種スポーツ組織についてのセックス・コントロールに関する言及がないため、IOCが責任を回避した形になったという問題が残っている。(※12)
セメンヤは現在、高アンドロゲン症規定をめぐって、欧州人権裁判所で争っているとのことである。(※13)セメンヤ自身が自分のような目に遭う選手が二度と出ないようにという想いがあること、またセメンヤが不当な要求に抗するまでに多くの選手の犠牲があったことを私たちは忘れてはならないだろう。加えて、私が男性という立場という意味ではセメンヤの立場からすると加害者からの視点でしかない可能性があり、十分本質を理解していないかもしれないということを述べたい。セメンヤの問題は始まりであり、終わりではないことを認識する必要が特に男性には求められよう。
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いかがだったでしょうか。次回は田中東子さんの論文「大坂なおみ-政治的発言と勇敢さのゆくえ-」をご紹介したいと思います。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
(※1)
(※2)
(※3) 山本敦久編「スポーツと身体の未来」 井谷房子「第1章 キャスター・セメンヤ -それでも彼女について語ること-」P10
(※4) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P11
(※5) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P15
(※6) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P15
(※7) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P17~P18
(※8) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P19~P20
なお、井谷は、スポーツ社会学者マドレーヌ・ぺイプの、セメンヤが黒人であること、同性愛者で恋人がいたことがほかの女子選手が受けた扱いと異なる原因であるとの見解を引用している。
(※9) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P16
(※10)
(※11) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P25
(※12) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P25~P26
(※13) 山本編「スポーツと身体の未来」 井谷「前掲」P30
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