ペンの暴力-事件記事に実名報道は必要か ③-田島泰彦の事件記事姿勢への批判的考察(前編)-
事件記事における事件関係者(狭義では犯罪事件を指す。このシリーズは特に断りがない場合狭義の意味で用いる)の実名報道の是非に関するnote記事です。今回は田島泰彦元上智大学教授の事件報道の見解に関する批判的考察になります。
推定有罪報道を肯定する憲法学者
田島の名前はメディア問題などで新聞などで出てきたため、専門はメディア論と思う方もおられるかもしれないが、田島の専門は憲法と情報メディア法である(※1)。私は憲法学者であれば人権についての普遍的価値を強調する立場から、被疑者の人間性を否定するかのような煽情的かつ感情的な報道のの問題を指摘し、その是正こそを提言するべきと考えるのだが、田島にはその視点はない。それどころか、田島は婉曲的にメディアにおける有罪推定報道を肯定していることが次の引用からわかる。
ここの箇所だけ読むと田島は権力者の地位を利用したロッキード事件、リクルート事件などの事例を主張しているように思えるが、田島の推定無罪報道の否定は権力や公人にまつわる犯罪に留まるものではない。田島は続けて以下のように述べる。
そもそも、田島は神戸児童連続殺傷事件を中心に地下鉄サリン事件、東京電力女子社員殺害事件(※4)へは言及をしているが、公権力による犯罪であるロッキード事件、リクルート事件などについては触れていない。以上から考えると田島の主張はメディアは犯罪事件の報道においても無罪推定の原則に縛られるべきではないと婉曲的に主張しているに等しい。
捜査機関が報道を後追いすることの危険
通常の犯罪事件で捜査機関が追及しない犯罪をメディアが言及するとは何を意味するのだろうか。田島は具体的な事例には言及はしていないが、田島の基準からすればロス疑惑(※5)はその典型例に当てはまるかもしれない。
ロス疑惑の当事者である三浦和義(※6)は、妻に保険金をかけて殺害したという疑惑を週刊文春に報じてられていた。それ以来、各種メディアが三浦の妻殺害に関する疑惑や、三浦のプライバシーに関することなどを次から次へと報道した。これに対し、三浦は自身のことを報道したメディアを相手に損害賠償請求を行うなどして対抗した。三浦は妻が殴打された殺害未遂事件においては有罪となったものの、妻が銃殺された殺害事件については証拠不十分によって無罪となった。ロス疑惑における報道は、読者の好奇を煽る典型的な事例であった。
だが、ロス疑惑も含め捜査機関がメディアの報道に動かされる形で捜査をすることがあるのだろうか。捜査がメディア報道を後追いしたと表現したメディアもあるが(※7)、捜査機関がメディア報道に影響されて証拠の点で不確かな可能性がある事件で逮捕、起訴することは許されるべきではない。憲法学者でもある田島はそうした冤罪を生み出す問題性を理解しているのだろうか。
松本サリン事件における河野義行さん、足利事件における菅家利和さんなどの事例はメディア報道が推定無罪の原則を軽視し、メディアの主観で事件と関係があると判断した人物を推定有罪として報道した人権侵害の典型例だ。事件を犯した可能性があるというだけで当該人物を有罪として報道することの危険性はもっと私たちの間で共有されるべきだろう。
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いかがだったでしょうか。次回は田島元教授の治安維持優先に基づく事件報道観について批判的に考察して参ります。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
(※1)
(※2) 飯室勝彦・田島泰彦・渡邊眞次編「新版 報道される側の人権」「犯罪報道における”自由と人権”」P153~P154 明石書店
(※3) 飯室勝彦・田島泰彦・渡邊眞次編「新版 報道される側の人権」「犯罪報道における”自由と人権”」P154 明石書店
(※4) 「新版 報道される側の人権」の出版の後、東京電力女子社員殺害事件の被疑者とされた人物は再審請求を行い、2012年に無罪の判決を受けた。
(※5)
(※6) 三浦和義については、本人が積極的にメディアで自身のロス疑惑について主張を展開しているため、実名のまま掲載することとした。
(※7)