緊急投稿-部活至上主義は知性と個性を否定する-
(敬称略)
なぜ部活がすべてと言わんばかりの状況が継続されるのだろうか。そんな思いを抱いた人は少なくあるまい。そして部活において主流なのは運動部であり、文化部ではない。現に中澤篤史によると、運動部の加入率は、データが古いが、2001年現在で中学校73.0%、高校52.1%と圧倒的多数を占めている(※1)。その意味では部活問題は実質的には運動部問題とも言える。
運動部では、毎日の朝練、放課後練習、土日祝日の練習試合、大会といった形で授業以外の時間をほぼ部活に拘束される傾向にある(※2)。運動部の活動は厳しく、部活の顧問教諭、技能が優れている生徒からの罵声、なじり、しごき(※3)といったことが当然というケースがママあるとのことである。現に、私が今回使ったいらすとやの画像は、いらすとやで部活と検索した際に出てきたイラストの一つである。運動部ではそれくらい理不尽な状況が日常の一風景となっていることの表れであろう。
部活、とりわけ運動部を称賛する人は、部活で長時間拘束されること、しごきを教育、愛情という名の下に正当化し、またそれらに耐えることを美談として評価する。だが、それは部活動に属している生徒にとっては、部活動の時間がしごきによって人格を否定される時間となり、学校での生活に縛られ、外部との接触が少なくなることを意味する。
私が進学塾を経験したのは小学生のときの話だが、そこで初めて受けた試験が惨憺たる結果だった。小学校での勉強はそこそこできていたため、その試験結果からいかに自分が井の中の蛙であったのかをそのときはじめて思い知らされた。学校外における塾、稽古事、地域のサークル活動といった自分と異なる世界に接する機会が少なくなればなるほど、学校という狭い世界しか知らないまま過ごすことになる。それは、生徒が塾、稽古事、地域のサークル活動などで自分の知性や技術を磨く機会が奪われることを意味する。
しかし、部活動の問題点が解消される動きは見られない。それどころか部活動、とりわけ運動部への加入率は増加傾向にあり(※1)、また学校によっては生徒に部活動を強制するところも珍しくない。なぜ、学校は生徒に長時間の部活をさせようとするのであろうか。原因の一つとしては内田良が指摘する次の文章が考えられる。
非行抑止という教育的効果を訴える人たちもいる。放っておけば遊んでしまうかもしれない生徒たちを学校につなぎとめることで、非行に走る機会をなくすことができるという発想である。(内田良「ブラック部活動」(※4)
これに対し内田は非行行為を行う場所が校外から校内に変わるだけであるという点で疑問を呈しているが、私は内田とは別の視点から学校が生徒に長時間の部活を強いる理由を述べたい。私は、学校が生徒をあらゆる面で管理したいから、部活動への強制加入と、朝、放課後、土日祝日での部活動を強いる動きにつながっていると考える。その意味では典型的な管理教育の一例である。管理教育は生徒の個性を奪うとして1980年代に問題となったが、形を変えた管理教育が続いていると言えよう。
私は以上を考えると、部活動は生徒個人、個人の自発性、主体性に基づく活動によって行われるべきものであり、顧問教諭は生徒が暴走しないための助言者の役割に留まるべきであると考える。文化部では、吹奏楽部などの例外もあるが、基本的には個々の生徒の自発性に基づいて運営される傾向が強い。土日祝日の活動はもちろん朝活はなく、放課後の拘束時間も少ない上、週に2回から3回程度であり、学校外の活動に触れる機会を得られる日程である傾向がみられる。本来であれば運動部についても学校が生徒に無理をさせないようにする責任と義務がある。それができないのは、前述した管理教育上の理由の他に、大会での好成績を目指し部活動での成果を学校の実績とし、教育委員会、保護者、世間の評価を高めたいという思惑があるからとであろう。
だが、生徒を学校と部活しか知らない世間知らずのままにしていいのであろうか。部活によってチームワーク、マネジメントを学ぶと主張する部活関連のビジネス事業を行っている大亀靖治のツイートに対して、私は以下のような形で反論リツイートを行った。
このリツイートで私が改めて感じたことは、世間知らずだからこそ社会のルールを理解できない生徒が出てしまうのではないかということである。もちろん学校に対して苦情の声が寄せられるので、学校側も一応形の上では生徒に注意をする。しかし、それでは生徒は社会のルールを理解して行動を慎むのではなく、教師から注意をされるのが嫌なのでそれに従うという形でしか行動を慎めないのではないだろうか。社会のルール、自分と違う価値観、社会を本当の意味で理解するには、自身と異なる社会に接しなければ、それを自分の問題として理解をするのは難しい。学校とは違う社会を知ることを通して社会のルールを理解させる意味でも、これ以上生徒を長時間の部活動に拘束させること、まして生徒を部活に強制加入させることは直ちにやめるべきであると考える。
今回はコラム的な形で部活動に関する問題を述べたが、今後も部活動に関する問題については不定期ながらも続けていく予定であり、読者の皆さまからのご意見を拝聴したくよろしくお願い申し上げたい。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
(※1) 中澤篤史「運動部活動の戦後と現在」より
(※2) 文科系の部活でも吹奏楽部などコンクール出場での競争がある場合には、運動部同様の傾向がみられると言われる。
(※3) 個人的には罵声、なじり、しごきという名のイジメ、嫌がらせといった場合もあると考える。
(※4) 同著P220