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日々の雑感⑤-ある芸能ニュースを見て感じたこと(後編)-

 不破遙香(芸名「フワちゃん」)の安井かのん(芸名「やす子」)のツイッター返信投稿についての記事を、3回に渡って書いています。前編では、ツイッターの返信投稿の内容の是非、中編では後編では不破の普段からの姿勢を容認することの問題点について述べました。後編では、不破の問題行動を発達障害と結びつけることに対する批判的考察を述べたいと思います。


非常識を発達障害と結びつける差別、偏見

不破は発達障害なのか?

 不破遙香(芸名「フワちゃん」)の安井かのん(芸名「かの子」)の「生きているだけで優勝」とのツイッターでの投稿に対し、「お前は偉くないので死んでください、予選敗退です」と返信した公衆道徳に欠ける行為について、一部の報道などで発達障害ではないか、との主張があった。(※1)だが、発達障害は脳に関する障害である。発達障害の症状は人によって様々であり、その可否については、精神科ないし心療内科での診断が必要だ(※2)。 だから、精神科ないし心療内科の医師でもない西村博之が、不破の公衆道徳のなさを発達障害と結びつけることは極めて問題がある。

 デイリー新潮は、ADHDの専門外来の医師にインタビュー内容を基にした記事になっている。インタビューを受けた医師は「ADHDの可能性がある」として発達障害と断言することを避けているほか、発達障害は様々な疾患であるとして、様々な形で症状が表れるため、外見上奇抜さ、公衆道徳のなさだけが特徴ということではないことについても言及をしており、医師自身は安易に発達障害とみなすことを避けている様子がうかがえる(※3)。

 ただ、記事全体の流れが、不破の公衆道徳がないことを障害と結びつける危険性をはらんでいることには変わりなく、発達障害を持つ人が公衆道徳がないかのような誤解を与えかねない構成になっている。こうした動きについて、精神科医の香山リカは、タレント、犯罪を犯した者に安易に発達障害とみなす動きは、ちょっとした特徴をとらえて発達障害を疑い、レッテルを貼っているのではないかとの指摘があることを私たちは認識すべきだ。(※4)

 精神科医の斎藤環は、誰の脳でも発達の問題を多かれ少なかれ抱えており、完全な定型発達(※5)は存在しないというスタンスに基づき、発達障害について、問題が日常生活に支障をきたす程度によって診断、治療を考えるべきであるとしている。その上で、発達障害の事例化は、その個人と、人間関係を含む周囲の環境との相互作用によって決まるとしている。(※6)また、発達障害の診断と告知については次のことが必要であると述べる。

・診断と評価に十分な時間をかける。最低で3か月。望ましくは6か月
・診察室での横断的印象のみで診断しない。生育歴や複数の場面での観察を含む縦断的な視点に基づいて診断がなされるべきである。
・器質因の精査と治療に対する反応を重視する(治療的診断ないし診断的治療)。
・診断と告知の責任は全面的に医師が負う。つまり、診断をした医師が治療も担当するべきである。責任を持ってフォローアップできない立場の者は、断定的な診断をすべきではない。
・告知に際しては断定的な表現は避け、可能性は〇%、といった確率的表現を用いることが望ましい。可能性が高い場合でも「治らない」といった悲観的な表現は避ける。成人事例であっても「定義上『治る』という表現は用いないことになっているが、改善や発達の可能性、つまり”良くなる可能性”は十分にある」といった説明が望ましい。

斎藤前掲「オープンダイアローグにおける発達障害者との関わり」 P68
(注) 原文では数字は漢数字

以上のことからは、可能性という言葉も含め、発達障害と安易に診断、ないし素人が炯々に口にすることは専門的見地からすると問題であることをうかがい知ることができる。

 発達障害の当事者の中には、不破の公衆道徳のない行動を発達障害と結びつけられることが、発達障害に対する差別、偏見が増幅することにつながると、恐怖心と警戒心を抱く人もいるのではないか。しかし、残念なことではあるが、西村やデイリー新潮の姿勢を見ると、いまだに私たちの社会は障がい者に対する差別、偏見に満ち溢れているのであると言わざるを得ない。

障害があると疑われることの持つ意味

 ここで私の小学生時代の体験を話したい。私は小学生の時に親に担任から児童相談所に行くようにと言われたとして、児童相談所に何回か通った経験がある。児童相談所の職員は私に不安を抱かせないように、表面的に笑顔をつくり、またどんなことをしたいかと私に気遣った一方、いろいろな質問をしたり、どれだけの知識があるのかのテストをするなどを行った。私はそのとき、自分はどんな風に見られているのだろうか、どうなってしまうのかという漠然とした恐怖心を感じた。児童相談所の職員に愛想のよさがあっても、質問やテストをされたことで裏に何かあるのではと、猜疑心を抱かずにはいられなかったからだ。

 後年、大人になった際に、なぜ自分が児童相談所に行くことになったのかを親に訊ねると、親は当時の担任の教師が私を自閉症の可能性があるから、児童相談所に行くように伝えたのだという。おそらく、当時の担任は、私が休み時間に外で遊ぶことを嫌い、一人でいることが多かったことから、他の子どもとの協調性がないとして、何らかの障害があるのではと判断したのだろう。

 最終的には、私は自閉症ではないとされた。だが、当時の担任が私の普段の言動を見て自閉症と疑ったことは、社会秩序にとって都合が悪い、またはある種の価値観と異なる者を、精神障害、発達障害とレッテルを貼ることで社会から「排除」ないし「同調圧力」によって解決しようという動きが、現に存在することを改めて感じさせられるものである。ファシズムとは必ずしも政治的な動きとして表れるとは限らない一例と言える。

 「障害」が社会にとって不都合であるがゆえに障害とするのではなく、「障害」を障害と感じさせず、すべての人にとって障害のない、生きやすい社会のあり方とは何か。そのことが「障害」を考える際に問われるべきことであろう。

次回記事投降日時変更のお知らせとお願い

 夏季休暇の旅行のため、次回の記事としての投稿は、9月28日土曜日15時から18時の間とさせていただきます。旅行中のスナップショットが撮れたらこちらに掲載できればと思っています。よろしくお願いします。

 旅行中は自民党総裁選、立憲民主党代表選がありますが、これらの政局、よりも私が一番気にしているのは、袴田事件再審判決が9月26日にあることです。ここでの無罪確定を決定づけるべく、各機関への無罪を求める要請をお願いします。特に「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会」のHP内にある検察への控訴断念のはがきについてはぜひご協力のほどお願いします。

支援のお願い | 袴田事件弁護団ホームページ (hakamada-jiken.com)

ホームページ - 無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会 (hakamada-sukukai.jp)

2024年9月20日追記

 先の記述で旅行予定と書きましたが、体調不良のため旅行を中止となりました。そのため、旅行用のスナップ写真はなしとなりました。なお療養のため、note記事自体のアップは来週9月27日土曜日としたうえで、通常の7時から11時の間とさせていただきます。よろしくお願いします。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) ひろゆき「発達障害という事で」フワちゃん騒動への私見に波紋…精神科医は「レッテルを貼るのはよくない」と指摘 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌] (smart-flash.jp)

やす子に「犯罪級」の暴言で大炎上 フワちゃんの数々の問題行動についてADHD専門外来医師の見解を聞いてみた | デイリー新潮 (dailyshincho.jp)

(※2) 大人になって気づく発達障害 ひとりで悩まず専門相談窓口に相談を! | 政府広報オンライン (gov-online.go.jp)

発達障害って、なんだろう? | 政府広報オンライン (gov-online.go.jp)

(※3) (※1) デイリー新潮記事前掲

(※4) 香山リカ 「「発達障害」と言いたがる人たち」 P120~P121 SBI新書

(※5) 発達障害を持たない人を指す言葉。発達障害に対峙する用語として用いられる。

ちょっと知りたい! 定型発達(185号) | COMHBO地域精神保健福祉機構

(※6) 斎藤環「オープンダイアローグにおける発達障害者との関わり」 P68,渡辺慶一郎編著「発達障害と青年期のひきこもり」 金子書房 

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宴は終わったが
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