日朝首脳会談20年 ①-日本人拉致事件を巡る社会主義者、進歩派への批判的考察-
日朝首脳会談から20年を迎えるにあたって、日朝関係を巡る問題について考察をしたいと思っております。北朝鮮拉致問題について日本の社会主義者、進歩派はなぜきちんと総括することができなかったのか、在日朝鮮人にとって北朝鮮とはどんな国なのかなどを中心に皆さんと考えたいと思います。1回目の今回は日本の社会主義者、進歩派の北朝鮮による日本人拉致事件の見解への批判的考察についてです。
はじめに
今から20年前の2002年9月17日、日本と北朝鮮の首脳会談が初めて北朝鮮の首都平壌で開催された。世論はこの会談によって北朝鮮による日本人拉致事件が解決され、北朝鮮に拉致された人々は無事に日本に帰ってくるのではないかという想いを抱いていた。しかし、北朝鮮は日本政府が主張した拉致被害者13人のうち地村保志、地村富貴惠、蓮池薫、蓮池祐木子の4人の生存者以外の8人は死亡していたと発表し、残りの1人は北朝鮮への入国は確認していないと回答した。(※1)結果、核開発疑惑(現時点では核保有)、ミサイルの日本海へ発射によって不安感が増大した日本の世論はより一層北朝鮮への反発と憎悪に満ちた反応を示すようになり、経済制裁の強化による北朝鮮の国際的孤立を強く求めていくようになった。
なぜ、社会主義者、進歩派は北朝鮮拉致事件に直面できなかったのか
日朝首脳会談について、社会主義者や社会主義に対して好意的だった進歩勢力はどのように評価したのだろうか。日朝首脳会談直後の2002年10月7日の「在日の子どもたちへの迫害を許さない!緊急集会」(以下「緊急集会」)での、日本サイドの発言内容は、拉致は許されないが、日本が過去に朝鮮、朝鮮人に行った戦時下での強制動員(いわゆる「強制連行」)、従軍慰安婦、関東大震災時の虐殺が免責されるものでもなく、それらへの責任を果たしていないことをメディアが報じないことはおかしいというものだったという。その上で、拉致事件を想定できなかったことや事実認識が誤っていたという意見を述べたとのことであった。(※2)
このような状況について、以前noteでも取り上げた太田昌国は日本の社会主義運動の間では、北朝鮮における個人崇拝、独裁制の問題、人権、民主化についての問題点がほとんど取り上げられなかったとして、次のことを指摘する。
おそらく、北朝鮮の支配体制の問題をめぐって、日本の運動圏と「進歩的」ジャーナリズムにおいては、歴史が繰り返されたのである。たとえ擬制であろうと「社会主義」圏に対する批判は差し控える、どんなマイナスも見て見ぬふりをするという歴史が。そこに、植民地支配をめぐる謝罪・賠償・総括を終えていない日本社会にあることの後ろめたさが心理的な働きをしていたことは明らかだろう。だが、運動圏のその脆弱さと、「拉致」問題をめぐって、「産経」「正論」「諸君!」レベルの言論が社会全体を席捲するという現在の情況を招いたことが無縁であるとは思えないのだ。(※3)
和田春樹「「日本人拉致疑惑」を検証する」(上)・(下)についての問題
確かに、社会主義者や社会主義を信奉していなくても、中国、北朝鮮、ベトナムといった非ヨーロッパの社会主義国に好意的な進歩派は北朝鮮の拉致問題について否定的ないし消極的な対応であった。北川弘和は「拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件」と主張した(※4)ほか、和田春樹は辛光洙事件以外は拉致を断定できる証拠はないと主張した(※5)。
もちろん北川が北朝鮮の拉致を否定したのに対し、和田は拉致を断定できないとして拉致そのものを全面的に否定していないといった違いはある。和田は辛光洙事件以外については、拉致があったとする安明進(アンミョンジン)証言の不確実性などから拉致は疑惑でしかない段階であり、拉致を北朝鮮に主張できないため、行方不明者として北朝鮮と交渉をするという提案をしている。ただ、辛光洙事件を認めながらそれ以外は疑惑でしかないという姿勢は、辛光洙事件以外の疑惑についても拉致事件の事例があれば現時点では証拠がないが、他の疑惑についても真相をできる限り追及しようという姿勢に欠けていることも事実だ。こうした和田の姿勢は拉致被害者および家族が和田は拉致の問題に非協力的とみなされても仕方がないものと言える。
また、和田は拉致の解決を日朝国交回復のためにも必要として次のように述べている。
この問題の解決を考えることは北朝鮮に肉親を拉致されていると信じている家族の心情を思えば、それ自体として焦眉の急であり、かつまた日朝交渉の促進、日朝国交樹立のためにも解決を求めるべき重要な課題である。(※6)
拉致の問題を解決することなしに日朝交渉はあり得ないという当時の世論の動きがこのような表現になったのかもしれない。しかし、拉致の確たる証拠がない現状では行方不明者として主張するしかないという和田の姿勢と併せると和田は拉致の問題を日朝国交交渉の障害として考えているのではないかという不信感を拉致被害者家族に抱かせた可能性があるし、現に拉致が事実であることが判明した現状では拉致被害者家族以外でも同様に考えるだろう。そうした感性に対して和田が鈍感であった感は否めない。
和田論文に対する反論は和田が批判の対象とした「現代コリア」の佐藤勝巳、当時のABCテレビディレクター石高健次からはあったものの、岩波文化人からの反論、批判は特に見られなかった。太田が紹介した集会における拉致事件を想定できなかった、事実認識が誤っていたという「総括」の背景にはこうした進歩的知識人の風潮を反映したものであることをうかがい知ることができる。その意味では太田が指摘したことは予想以上に深刻である。
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いかがだったでしょうか。次回のnote記事は日朝首脳会談20年目の日である9月17日になりますが、今回ご紹介した太田昌国さんの「「拉致」異論 日朝関係をどう考えるか」の緊急集会での在日朝鮮人からの拉致事件に対するご意見をご紹介したいと思います。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
(※1)
(※2) 太田昌国 「「拉致」異論 日朝関係をどう考えるか」 P154~P155
(※3) 太田「前掲」 P156
(※4) 北川弘和 「食糧援助拒否する日本政府」 「1997年7月号月刊社会民主」アーカイブ
(※5)
和田春樹 「『日本人拉致疑惑』検証する」(上)・(下)「世界」2001年1月号、2月号
(※6) 和田「前掲」(上) P56 「世界」2001年1月号