国家、権力の暴力に関する雑感-太田昌国「暴力批判論」より-(前編)
国家、権力の暴力について、太田昌国さんの本「暴力批判論」より雑感を述べたいと思います。太田昌国さんはラテンアメリカの問題に詳しく、ラテンアメリカ諸国における貧富の格差及びその背後にあるアメリカの覇権主義に関する批判的な考察の論文を多く執筆している方です。今回は前編として、太田さんの思想的背景及び暴力に関する見解について考察して参ります。
はじめに
(今回は、自分が昔買った本を題材にしたnote記事を書くか。)そんなことを思ったのは、たまたま地元の図書館が書棚整理で休館していたために本を借りることができず、題材を手元にある本からしか使うことができなかったからだ。しかし、何気にイベントで購入し一度だけしか読まなかった太田昌国著「暴力批判論」を改めて読むと、自分の本に対する読み方の浅さを感じた。最初に読んだときには漠然とした内容しかつかめなかったが、時間をおいて再度読むことで違う見方、視点があったことを改めて知らされた。そんな状況でどれだけ正確に太田の著書をきちんと考察できるかと思うが、試行錯誤しながらnote記事にして参りたい。
太田昌国のスタンスについて
太田昌国のスタンスは社会主義者である。太田は当時日本社会党の勢力が強かった北海道釧路市に社会党所属の地方議員の子として生まれた。また、当時の北海道は炭鉱、学校、旧国鉄(現JR)の労働者による労働組合運動も盛んであった。こうした環境から1950年代の後半に中学生であった太田は社会主義への共感を感じるようになったという。(※1)しかし、同時に政治家特有の名誉欲、権力志向、金への汚さを知ったことにも触れており、以下のように述べる。
「名誉」や「権力」や「金」を求めて、革新政党や組合で策謀する人間もいるという事実は、人間の「原罪」的なるものを私に意識させた。(※2)
太田は以上に加え、埴谷尾高のアナーキズム的傾向の強い政治論文を読み、「政治」、「革命」に魅力を感じると同時に近づきがたいものと捉えたと述べている。(※3)政治特有の負の側面について、現状の理不尽さへの変革に正当性を置いた政党であるはずの日本社会党の現実を、間近で体験していたことも政治と距離を置きたいという想いにつながったのではないだろうか。太田は議会主義への懐疑から「反議会戦線」を名乗って活動したほか(※4)、政治家には何も興味がなかったと述べている(※5)。こうした姿勢は大田自身が体験した政治に付きまとう「醜さ」を忌避する心情と結びついているのかもしれない。
国家による暴力への対抗暴力に代わる可能性の模索
そんな太田は独裁体制にあった第三世界における支配者に対する武力闘争にある種のロマンティシズムを感じていた時期があったとしている。それは支配者層、超大国の力を背景に民衆を弾圧している社会自体においては、ゲリラなどの暴力による活動でしか対抗できないし、革命による勝利の後に試行錯誤の上に新たな道が開けるだろうとの考えがあったからだと言う。太田がその考え方が楽観的に過ぎると考え始めたのは1970年代前半の日本赤軍の内ゲバ、1975年の東アジア反日武装戦線による三菱重工ビル爆弾テロ事件からだという。そこから「暴力」が容易ならぬ問題を孕むものという構造が見えてきたと述べている。(※6)
ただその時点においても、太田は、米ソの東西冷戦構造における大国による暴力への抵抗を当然と考えていた。しかし、暴力への抵抗に代わる新たな方向性を提示できなかったところに左翼の低迷があり、右翼言論が弱点を突く形で左翼を批判、罵倒し始めたとして、どこに左翼の間違いがあったのかを考えたいと思いに至ったとの見解を示している。(※7)以上を踏まえ、国家の暴力に対してどのように立ち向かうべきかについて太田は次のように述べる。
現行の世界秩序が最終的に依存している「国家の暴力」に抵抗すべき民衆運動が活発に展開できている時代では、今はない。こんな時代には、思考は内向せざるを得ない。私(たち)(注:原文ママ)は、どこで、どんなふうに、間違ったのか。どこが不十分だったのか。「敵」の存在や攻勢にだけ刃を向けても、結局は、虚空に向かって斬りつけているだけの、むなしさを感じる。それは、言葉を換えるなら、「暴力論」においては、「民衆の対抗暴力」という問題を、「国家暴力」の存在がある以上はごく当然の現れ、とする段階に思考の水準を留めずに、その先を見据えたうえで、考えを展開するということを意味する。そこでようやく、私たちは「民衆の対抗暴力」の「可能性」と「不可能性」という問題に行き着くことになる。(※8)
この太田の主張の背景には、太田が自身の理念である社会主義を今ある社会に代わる選択肢として、きちんと人々に理解を得るだけの努力を左翼はしてこなかったのではないかという想いがある。それは、体制の暴力に対して武装闘争とは異なる方法による社会主義への支持を広める選択肢の可能性の模索であり、従来の社会主義勢力が暴力によって権力を獲得し、報復的かつ暴力的に人々を抑圧する体制を構築することへの否定でもある。その意味で太田は暴力に対する報復、復讐としての暴力の否定を言明したと言える。
ただ、私は圧倒的な力を背景にした暴力に対する対抗手段としての暴力も場合によってはあり得るとするスタンスを否定するに至った太田の思想的葛藤は、一人社会主義者だけに課せられた課題ではないと考える。今の日本社会は近隣諸国との対立や「相次ぐ」犯罪への対応に力で抑え込もうという風潮がまん延しつつある。力ではなく、対話というあり方によって利害をどのように調整をするか、理想としての相互理解ではなく、誤解に基づく最悪の事態を回避するための現実としての相互理解のあり方をどのように模索するかという課題は、私を含め社会主義を否定する立場にある者も問われているという事実から目を背けるべきではないだろう。
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いかがだったでしょうか。後半は太田さんの考える国家の暴力及び、日本における国家を巡る状況について述べて参ります。
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(※1) 太田昌国「暴力批判論」「暴力批判のための序論」P13
(※2) 太田昌国「暴力批判論」「暴力批判のための序論」P14
(※3) 太田昌国「暴力批判論」「暴力批判のための序論」P14
(※4) 太田昌国「暴力批判論」「衆議院解散をめぐって思い起こす三つの「政治の情景」」P135,P136
(※5) 太田昌国「暴力批判論」「政治家の「文章」と「表現」について」P193
(※6) 太田昌国「暴力批判論」「暴力批判のための序論」P18
(※7) 太田昌国「暴力批判論」「暴力批判のための序論」P19
(※8) 太田昌国「暴力批判論」「暴力批判のための序論」P20~P21
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