見出し画像

じっくりと考えることの大切さー「『ちびくろサンボ』絶版を考える」に関する書評

はじめに

今回のnoteは2018年にamazonにブックレビューをした内容を、引用など一部箇所を明記の上再掲載するものです。(※1)

本文

 1988年にちびくろサンボが黒人差別を理由として絶版したことに対して、黒人差別問題を中心に差別をなくすために表現を規制することでいいのかという想いから出版された本であり、編集者自身の葛藤と苦悩の状況も本書に記されている。


 であるがゆえにちびくろサンボの絶版に留まらず、英米におけるちびくろサンボの問題、マスメディアの自主規制の問題、黒人差別の問題、図書館における保管、貸出の自由の問題など様々な分野について各界の人間が各界の立場から意見を述べた者がまとめられている。そこから言えることは差別の問題は社会の構造的な問題であり、それを表現に責任転嫁をすることが正しいのかということであろう。


黒人としてちびくろサンボを支持しているハイ・タイド・ハリス氏は本書で

「原作者が、たとえ差別意識を持った人であっても、この本(ちびくろサンボ)はそのような意味を持ったお話ではありません。(略)むしろこの本が伝えようとしている事は、黒人の男の子がトラと対決をして勝ってしまうお話で、とてもポジティブ(よい事)なのです。私はそこがとても気に入っています。この本は、決して黒人を否定的にとらえたものではありません。」(※2)(括弧内は宴追加以下同)

と述べ、その上で黒人が毎日のように殺されている問題性はちびくろサンボにはなく、また日本人には黒人のプラス面を強調したがる人がいるが、実際のアメリカにおける黒人は白人の権力に負けた敗北者であり、一番困っている人という現実から目を背けないでほしいと主張し、真の差別に向き合うことこそが大切であることを指摘している。

また、差別かどうかを判断することについては、竹田青嗣氏が

「差別されているという側が、一方的に被害者意識で差別だと思い込んでしまう場合だってありうるわけだから、やはり背中のアザと同じように両者(差別者、被差別者双方)で確認し、決定するようにしなくてはしょうがないことなんです。」(※3)

と述べ、対話による双方の共通認識の必要性を指摘している。

それに関連して、被差別者の反差別運動を差別者が批判をするべきではないという動きについて

「資格はありますよ。差別の当事者は両者ですからね。当然のことです。」(竹田青嗣氏)
「被差別者がそういうふうに言ったとたんに、それで話は終わってしまうわけでしょ。言葉がつながっていかない。そこが案外深刻な問題なんじゃないかと思っているんです。」(灘本昌久氏)(※4)

と述べ、差別の問題を被差別者の一方通行で終わらせることの問題点を指摘している。

差別者と被差別者との対話が、少なくとも本書出版時においては成り立っていなかったであろうことがわかる箇所が以下にある。

「中には、抗議にきて、われわれ(ちびくろサンボを出版していた出版社関係者)をまるで無神経な馬鹿扱いするような人たちもいますから・・・・・。ええ、そりゃあ、腹が立ちますよ。でも相手が被差別者だと思うと怒れないんですよ。彼らが起こる気持も分からないではないですからねえ。」(匿名を条件に取材に応じた出版関係者の談)(※5)

他にもいくつかあるが、単なるちびくろサンボ絶版に留まらず、差別とは何か(差別の本質を理解することも含む)、表現することの大切さ、重みとは何か、差別者と被差別者との間のコミュニケーションをどう図ればいいのか、といったことを考えている人にもぜひお読みいただきたい本である。

追記:
以上書かせていただいた人たち以外でも、本書ではこの他にも、人権団体関係者、ハイ・タイド・ハリス氏以外の黒人関係者の意見、各界著名人の意見のほか、「ブラックサンボくん」(絶版からオリジナル復刊に至るまでに出版された改作版のちびくろサンボ)の訳者である山本まつよ氏の意見をまとめたものや、ちびくろサンボ絶版に関する安江良介岩波書店社長(当時)のインタビュー、アメリカの価値観からちびくろサンボ問題を述べた当時ワシントンポスト記者であった東郷茂彦氏、書店の立場からちびくろサンボ絶版問題を考えることをきっかけとしてシンポジウムに携わった田中裕子氏、図書館としてちびくろサンボの保管、貸し出しの是非に関する論争をまとめた拝田真紹氏など様々な意見が掲載されている。

なお、竹田青嗣氏、灘本昌久氏の文章を先にあげさせていただいたが、これは、現代思想の視点から差別を語るとして、差別問題全般についての岸田秀、竹田青嗣、灘本昌久3氏の鼎談からの引用である。

最後に前述したことと重複するが大切だと思うので敢えて強調したい。編集者が悩み葛藤している姿勢は「編集にあたって」、「編集を終えて」などに記されている。本書が単なるちびくろサンボの絶版の是か非かという、ポピュリスティックな二元論だけに留まらず、差別というものの本質とその問題、言論の自由、表現の自由、知る権利、差別者と被差別者との間でのコミュニケーションについて真剣に取り組もうという試みからなされた本であるということをうかがい知ることができる部分を以下に引用したい。

ちびくろサンボは差別だから絶版をするという簡単なことを断定できないのはおかしいと批判する安江良介氏に対し、

―「私たちはこれをきっかけにして、黒人の方々の意見を実際に聞いたり、いろいろな立場のいろいろな考え方を知ったりする中で、日本の差別問題についても、もっと考えていきたいと思ったんです。差別をなくしたいと思ってもどうしたらいいのか、どう考えたらいいのかよくわからないことがいっぱいあるから、今は差別か差別じゃないか断定するよりも、ゆっくりといろいろなことを考えていきたいと思っています。」(※6)
「考えることで初めて、私たちはこの問題を「私たちの問題」にすることができるような気がするのです。そしれこのことを一つの手がかりとして、私たちは日本人にとって身近な民族、部落差別問題や障碍者差別などの問題を、もう一度、きちんと考えて行きたい。私たちはそういう思いに引きずられてこの一年、『ちびくろサンボ』と格闘してきました。何が何だか分からないというところから出発して、いろいろな人を訪ね歩いて、大変な旅だったけれど学んだことは大きかったと思います。
後は少しでも多くの方が、私たちの歩んだ道を一つの参考にして、ご自分なりの旅をしてくださることを祈るばかりです。」(「編集を終えて」より)(※7)

捕捉

 ちびくろサンボは黒人差別であるとの批判を受けて日本では1988年に絶版になったものの、1999年に径書房が「ちびくろさんぼのおはなし」という原作者のオリジナル版を復刊しました。ちなみにこの復刊まで日本では原作者のオリジナルによるちびくろサンボは発売されていなかったそうです。

 1980年代までの日本では黒人の描かれ方がステレオタイプであり、その中の一つとしてちびくろサンボが描かれていたことの問題点、なぜそうしたステレオタイプがそのまま日本は受け入れたのかということについて私たちが理解しないまま出版社が絶版をしたというのが実際のところではないかと考えます。また、差別反対の運動を行う側も当事者以外の人たちが真の意味で差別問題を理解していたのか、批判をすることに伴う問題点をどこまで理解をしているのかも気になるところです。

 今回紹介した「『ちびくろサンボ』絶版を考える」は本文でも触れたようにちびくろサンボ絶版に関する経緯に関する編集者の方々の動きを通して、差別全般を議論すること、考えさせる本だと考えます。

皆が集まっているイラスト2

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1)

(※2) 径書房編『ちびくろサンボ』絶版を考える P168~P169

(※3) 前掲『ちびくろサンボ』絶版を考える P253

(※4) 前掲『ちびくろサンボ』絶版を考える P261

(※5) 前掲『ちびくろサンボ』絶版を考える P264

(※6) 前掲『ちびくろサンボ』絶版を考える P131

(※7) 前掲『ちびくろサンボ』絶版を考える P266

サポートいただいたお金については、noteの記事の質を高めるための文献費などに使わせていただきたくよろしくお願い申し上げます。