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大学・学者は自らの戦争責任を問えるか

 菅(すが)内閣発足直後、日本学術会議会員の任命拒否問題が起きた。任命拒否は、学問の自由、学者組織の自治に政治権力が介入し、学問の自由が侵害、歪められる危険性があるとして批判が起きた。思えば、戦前においては権力の側が学問の分野に政治介入をしたことはママあった。滝川事件によって瀧川幸辰が京都帝国大学教授の退官を余儀なくされ、天皇機関説事件によって美濃部達吉が貴族院議員辞職に追い込まれたことは有名だ。だが、それらの事件は同時に学術の側が権力に屈してしまった側面があったことは間違いない。現に、日本学術会議設立の理念は戦争中に科学者が戦争に協力をしたことへの反省に基づいており(※1)、その意味では日本学術会議も戦前において自身の先輩たちが権力に無批判であったり、抵抗をしなかった(できなかった)事実を認めていると言える。今回の任命拒否問題に対する抗議には学術に携わる者が権力に屈したり、無批判であってはならないという意味が強いことは間違いない。

 だが、戦後、学術に携わる者が権力に迎合することや、自分たちを特別の存在とみなしたり、学問の自由を権利ではなく、特権として認められるべきものであるという意識は本当になくなったのであろうか。日本学術会議会員の任命拒否問題に世論はあまり関心を示さなかった。世論の関心が低いのは、学術に携わる者と民衆との間にいかに距離があるのかを示すと同時に、学術に携わる者にありがちな特有の権威主義的な態度に民衆が不信と醒めた態度で見ているからと、私は考える。

 私がお世話になった恩師は、大学や学術関係者が持っている民衆と距離を置く傾向、権威主義的な体質に疑問を感じていた。そのせいもあるのだろう。恩師は自身が卒業し、教授として学生に教えている大学が戦前、戦争中に恣意的にではなく、積極的に権力に協力をしたことについて研究し、論文としてまとめた。また、大学の記念誌に、大学が積極的に権力に協力した根拠となる資料の掲載に努めた。具体的には、学生が大学での軍事教練に他の大学と協力して反対声明を学生新聞に出そうとした際に大学が取りやめさせた新聞記事、またその出版差し止めの抗議に関する演説会を記載した新聞記事、戦争中、朝鮮人留学生に対し「自局」を踏まえた「自覚と反省」を促した大学新聞の記事などが記念誌に反映された。

 もちろん、こうした動きは大学の当局にとっては面白くないと感じたのだろう。大学当局は、恩師の教え子である院生に対して、どうにかならないかと働きかけたり、プレッシャーをかけたようであり、当の院生がどうしたらいいのかと私にこぼしていたのを覚えている。なお、その際にいろいろ働きかけた大学の関係者には私個人が進歩的と考えていた教授もおり、その事実に驚いたのを覚えている。自分と関係ない分野では体裁よく進歩的な態度を取りながら、自分に不利になると態度を180度変えるのは人間の弱さではある。私自身、自分の身に危険が及んだり、不利になってでも自分の信念を貫き通すとは断言できない。しかし、大学教授はサラリーマンなどの宮仕えとは違い、学問の成果を勝負としている世界であり、その意味では自主性が強い職業でもある。また、専門的立場から世間に影響力を行使する職業でもある。だから、限界はあるにせよ、自身の理念、学問のために孤高を貫き、可能な限り闘う覚悟と責任を自覚しているからこそ、社会に向かって進歩的な態度で臨んだのではなかったのか、という想いがあっただけに、私は自分の身が第一という態度に幻滅した。

 その意味では私がお世話になった恩師は例外的存在なのだろう。私が卒業をした大学はキリスト教系の大学であるが、恩師は大学の礼拝堂にあった「名誉之戦死者」という言葉と、ヨハネによる福音書第15章第13節の「人その友のために己の命を棄つる之より大なる愛はなし」の言葉を結び付けて刻まれていた戦没者碑の問題点を指摘した。この戦没者碑は、靖国史観にみられる、国のために命を捧げるという思想であり、戦争で敵国とされた人々の命を軽視し、戦争で死ぬことを賛美する思想につながっているのではないかと考えたからである。恩師によると、この戦没者碑の内容について、礼拝堂のチャプレンら教会関係者に見解を訊ねたところ、何も回答せず、いつの間にか戦没者碑は礼拝堂からなくなっていたとのことであった。戦後においても大学や大学に携わるキリスト教関係者が戦争責任を曖昧にし続けていることがわかるエピソードである。(※2)

 「汝自身を知れ」とは古代ギリシャから続くことわざだが、2000年を超えて今日まで生き続けているということは、逆に私たちがいかに自身を知らないかということだろう。今回は教授、学術関係者に対する批判であるが、もちろん私のような一民衆にとって他人事なわけではない。自身が誤った行動を採っていないか、自身の弱さのために道理を曲げていないかが問われている。その意味では、戦争責任を問うことは自身の弱さを省みることではないかと考える。

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(※1) 朝日新聞web版:2020年10月29日 14時00分

(※2) 引用したヨハネによる福音書第15章第13節の意味は国のために命を捧げるという意味ではなく、イエスが人の原罪を贖うために自ら父なる神の生贄になるという意味である。しかし、こうした解釈を戦争中に許したこと、また戦後も誤魔化したことについてキリスト教徒は議論してほしいと教授は話していた。

 私個人は、もしイエスがその場におられたら、もう一度十字架を背負って、死に赴こうとするのではないかと思い、信仰者として胸を痛まずにはいられない。

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