「中立日本の防衛構想」か 「現実主義者の平和論」か③ー坂本・高坂論争に見る安全保障に関する論争について
坂本義和が「世界」1959年8月号に発表した冷戦期における日本の安全保障についての論文「中立日本の防衛構想」とそれへの反論としての高坂正堯が「中央公論」1963年1月号に発表した「現実主義者の平和論」を中心とした考察になります。
最終回の今回は、坂本論文、高坂論文についての私の感想について皆さんと一緒に考えて参ります。
坂本論文に対する感想
坂本論文は日米安保体制の問題点や、軍事同盟の持つリスクを私たち日本人がきちんと現実のものとして認識していない点を指摘した点で意義のあるものである。特に、今日において台湾有事が殊更に強調される傾向にあるが、有事とはどのような状態になるのかについて、人々の生活レベル、場合によっては生命を脅かされるリスクへの言及がほとんど言及されていないことを考慮すると、坂本の主張は単なる理想主義に基づく反日米安保論ではない。この辺りは戦争を経験した世代の持つ生活実感もあるだろう。
ただ、坂本の代案は国連安全保障理事会、国連総会がきちんと機能をしていることが前提にないと成り立たない。坂本は、ソ連、中国が在日米軍撤退、日本の中立化を唱えていたことからソ連、東欧諸国は賛成をするし、中ソにとっても利益になると主張しており、アメリカは基地と軍事同盟を失うことで利益を失うが共産圏に入らない保障があれば決定的なマイナスではなく、アメリカからの経済的孤立化も日本の共産圏への接近は不利益になるから中立化に反対することはないだろうとしている。(※1)
だが、アメリカは1973年にチリでアメリカと距離を置くアジェンデ政権の転覆をチリの軍部・保守勢力を用いたクーデターによって転覆している。(※2)ソ連は、1979年のアフガニスタン侵攻といった事例があるほか、中国は同じ年の1979年に共産国であるベトナムに侵攻をしている。ここからは、米ソ中とも自国の利害にある国に対しては、場合によっては武力を用いることを厭わない大国の残酷さと恐ろしさがあることがわかる。日本の状況について言えば、米ソ中とも自身の利害関係に深く関わっている国であり、実際に日本が中立を求めようとする場合には、激しい対立が起きることが想定され、そのリスクを受け止める覚悟は求められるだろう。
なお、坂本は日本を中間国と位置付けており、当時まだ復興状態であったことを考慮しても、純粋な意味での中間国というよりはむしろ潜在的な大国であったとするほうが適切と言えるだろう。国連軍による駐留という安全保障構想は、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国からすれば、逆に日本の軍事大国化抑止といった側面が強く、真に日本がアジア諸国を侵略したことに対するけじめをつけるという意味で、彼らの意見を聞きたいところである。だが、その辺りについては坂本は言及をしていない。安全保障構想を行うにあたっては、周辺諸国との兼ね合いをどうするかといった視点がなければ、国際世論という点からも支持が得られるとは言えないだろう。
高坂論文に対する感想
高坂論文は、坂本論文と比較すると具体的で、抽象的な言葉をできるだけ避けたわかりやすい文体であったというのが正直な感想である。高坂自身が、テレビ朝日「サンデープロジェクト」、日本テレビの「紳助のサルでもわかるニュース」に出演するなど、テレビのお茶の間政治学者として活躍していたのだが、わかりやすく説明をすることを心掛けている姿勢が評価されたのだろう。
高坂の特徴は、坂本らが提示する日米安保条約の問題点である核戦争を中心とした戦争へ巻き込まれることのリスクの問題性を認識しつつ、保守の立場からそのリスクをゼロとまでは言わないまでも、低減する可能性を提示したことにあろう。在日米軍の撤退・縮小については、1996年民主党結党時の常時駐留なき安保と共通するものがあるほか(※3)、朝鮮半島の緊張緩和のための平和協定は進歩派の主張とも共有できるのではないだろうか。もちろん、これは当時は進歩派・左派が世論を形成する上で影響力が大きかったことから、保守の側が譲歩をしたという側面があるが、これらの政策が実現できる可能性を失ったということは残念なことではある。
ただ、高坂が求めた対話が実現できなかった理由には高坂自身が持つ指導者目線中心の要素への不信・反発があったことも否めない。坂本は高坂論文に対し、高坂が勢力均衡論を条件付きで肯定したことに懸念を示し、高坂は本質的に反動的な体質を持っているとして批判をした。(※4)また、後に高坂と対談をした坂本は高坂を「戦争の傷」を骨身にしみて経験していないという印象を禁じえないと評し、(※5)これについては実存的な条件であり、そこに断絶がある限り「論争」は不能か不毛にならざるを得ないとしている。(※6)また、坂本は高坂が対比した理想主義、現実主義ということについて次のような見解を示す。
坂本は、市井に生きる一人ひとりの民衆が戦争によって生命の危険にさらされており、国家が民衆によって統制されることを通して戦争を抑止するいうスタンスから自論を展開していくのに対する(※7)、高坂の、勢力均衡論に基づく日本を含めた極東における緊張緩和という論理展開は、国家指導者の視点である。坂本の立場からすれば、高坂論文は一人ひとりの市井に生きる民衆の生活実感から政治を語っていないとの不信感を抱く可能性のある論理展開と言える。私個人は、結論、提言としては、坂本論文よりも高坂論文が現実性、説得性があると考えるが、出発点である平和をどう考えるかという点においては高坂論文の生活実感に欠けた部分が本質的に存在することも否定はできないと考える。
現に高坂が唱える朝鮮半島の緊張緩和という主張も、南北分断の悲劇という朝鮮半島の人々への想いに耳を傾けるというよりは、極東情勢がおかしくなるという明治以来の利益線概念による戦略論でしかないことは、以下の文章からもわかる。
もし、高坂が多少なりとも国家の相対化、いわゆる「国益」論的観点の相対化という視点を持っていたら、坂本との対談も必ずしも平行線のままではなく、意見は違えど実りある対談であったと双方が認識できた可能性はあったのかもしれない。平和とはなにかを考える際には、戦争を行う主体である国家の問題点、その国家の暴走、権力者の暴走が起こらないようにするためにどうしたらいいのか、という視点が必要なのではないか、そんなことを坂本・高坂論争に対して抱いた感想である。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
脚注
(※1) 坂本義和「中立日本の防衛構想」(岩波書店 坂本「坂本義和集3 戦後外交の原点」 P122~P123)
(※2) もうひとつの9.11-チリ・クーデターについて考える②-|宴は終わったが (note.com)
(※3) 沖縄(当時はアメリカの施政権下)における米軍基地の問題、有事の際における自衛隊基地の使用といった点においての言及がない点においては、進歩派との間で意見が分れる可能性はある。
(※4) 坂本義和「「力の均衡」の虚構」(岩波書店 坂本「坂本義和集 2 冷戦と戦争」P39~P40)
(※5) 坂本義和「人間と国家 下」 P192 岩波書店
(※6) 坂本義和「粕谷一希氏の「疑問」について」 P226 中央公論 2012年6月号
(※7) 坂本前掲 「「力の均衡」の虚構」