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国家、権力の暴力に関する雑感-太田昌国「暴力批判論」より-(後編)

 国家、権力の暴力について、ラテンアメリカの問題に精通している太田昌国さんの本「暴力批判論」より雑感を前後編に分けてご紹介しています。後編の今回は太田さんの国家における暴力についての考察及び日本における現況について雑感を述べて参りたいと思います。

暴力肯定の論理とその否定について

 現在の日本における国家および権力の人々に対する姿勢を太田はどのように考えているのであろうか。長くなるが大切なところなので全文を引用したい。

 国内において死刑の執行が常態化しつつある現実と、国外の仮想敵国を想定して米国と一体化下戦争体制の準備が着々と続けられている日本の現状とは、並行している。共通しているのは、それを推し進める論理的な展開と議論もないままに、気分と雰囲気のおもむくままに行われている点である。死刑制度存続論者は言う。「死刑制度が存在していること自体が、凶悪犯罪の抑止効果をもつ」と。現代の戦争推進論者は言う。「米国がアフガニスタンとイラクで遂行している戦争は、凶暴なテロをなくすための戦争である」と。かくして国家は、個人と違って例外的に、死刑執行によって特定の犯罪者を殺す「権利」と、国軍の兵士に命じて他国の兵士や民衆を殺戮する「権利」を独占していることが公言されるのである。大急ぎで付け加えておかなければならないが、国家の兵士が殺戮する相手は、必ずしも「他国の」人間に限られるものではない。戦争という「異様な」任務を遂行するに当たっては、それに抵抗したり、軍の命令に従おうとしない自国の人間をも敵視し、場合によってはその殺害も厭わないところにも、軍隊の本質は現れる。国家がそのような「権利」を持つことは当然だと信じる者にとっても、死刑と戦争にあっては人間の「死」が前提とされている(※1)

 太田は、死刑制度と戦争遂行能力をもつ軍隊は国家による暴力の独占の表れであり、死刑存置論、戦争の肯定は国家の暴力を正当化するために用いられる手法であるとの考えに基づき、日本の状況は国家が人びとの生殺与奪の権限を自由に振る舞うことができるようになっているとして、懸念を示している。今回紹介する「暴力批判論」には光市母子殺人事件における弁護士安田好弘をはじめとした弁護団へのバッシング報道の扇動性に対する懸念(※2)や広島、長崎への原爆投下、日本の降伏による戦争終結について被害者意識しかなく、アジア諸国へ加害行為をしたことに対する視点が欠けていることへの批判の文章も掲載されているが、(※3)これらの主張は太田の死刑および軍隊観がわからないと理解は難しいだろう。

 では、暴力、とりわけ国家や権力に伴う暴力の否定のあり方としてどのような模索があるだろうか。太田はいくつか示唆する事例を挙げている。第一に、ニカラグアのサンディニスタ政権による死刑の廃止が挙げられる。サンディニスタ政権の内相トマス・ポルヘは旧体制において拷問を加えた行為に対し、最大の復讐は復讐をしないことであり、拷問も殺しも行わないことであるとし、革命的であることは人間的であることとして死刑を廃止したという。(※4)第二に、松本サリン事件で冤罪が疑われた河野義行の例を挙げている。河野は麻原彰晃を名乗った松本智津夫に対しては憎しみはなく、真実を話してほしいと冷静に語ったことを報復感情におぼれなかったとして、評価している。(※5)第三に、永山則夫が自身の犯した罪は自身の貧困にあったとし、貧困の子どもを救いたいという想いからペルーにおける貧しい子どものために自身の著書の印税を基金とした「永山こども基金」を創設したことであろう。(※6)太田はこの永山の行為に対し、助け合い、協同、自立の条件を持っていなかった永山が獄中における内省を通じて別な価値観を持ったとして大きな希望を感じていると評している。(※7)

 以上挙げた事例に共通することは、自分と異なる、対立する立場の人間に対して憎しみではなく人間としての接し方をどう模索をするのかということではないだろうか。月並みで表面的な表現として、よく人類愛という言葉が用いられるが、その言葉がなぜ月並みで表面的になるのかと言えば、私たちがそれを実践せずに形だけに留まっていることにあろう。大切なのは結論を出すことではなく、悩み、葛藤し、模索しながらどうするべきかを追求し、実践することではないだろうか。太田自身も「暴力批判論」で明快な回答を出しているわけではなく、模索を続けると述べている。(※8)ただ、そうした太田の姿勢に私たち一人ひとりがどう応えるかも求められてはいないだろうか。

付.次週、次々週note記事に関するお知らせ

 7月10日に行われる参議院選挙を踏まえ、参議院選挙に関する主要政党の公約の比較検討を行う予定です。現状では財務・税制、経済、社会保障(可能であれば+α)を予定しております。次週は財務・税制、経済についての比較検討の記事を掲載する予定です。皆さまの参議院選挙投票の際の参考になりますれば幸いに存じます。

皆が集まっているイラスト1

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(※1) 太田昌国「暴力批判論」「国家を介して密通する「死刑」と「戦争」」P52~P53

(※2) 太田昌国「暴力批判論」「弁護士のあり方を通して見る日本と世界の現状」P171~P175

(※3) 太田昌国「暴力批判論」「「八月のナショナリズム」と現首相とのこと」P185~P188 ここでの現首相は小泉純一郎を指す

(※4) 太田昌国「暴力批判論」「国家を介して密通する「死刑」と「戦争」」P55

(※5) 太田昌国「暴力批判論」「河野義行氏の冷静な言動について」P71~P74

(※6) 太田昌国「暴力批判論」「獄壁を超えた想像力ー永山則夫氏とペルーの子どもたち」P89~P92

(※7) 太田昌国「暴力批判論」「獄壁を超えた想像力ー永山則夫氏とペルーの子どもたち」P91 

なお、太田は、永山が被害者遺族とりわけ遺児に印税を渡すよう出版社に依頼をしたことについても触れている

(※8) 太田昌国「暴力批判論」「暴力批判のための序論」P21

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