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いい加減で俗っぽい日本人の私

一年の始まりからのだらけぶり

 今日は正月7日。松の内の最後の日です。私を含め、暦通りにお仕事をされている人は正月のお屠蘇気分がまだ続いているのではないかと思われます。お正月にお雑煮、お節料理といった普段と異なるごちそうを食べたり、日常の仕事などでの忙殺がないためにのんびりとすごしたりすれば、ずっとこののんびりした時間を過ごしたいと思うのも無理はありません。そんな私にとって七草がゆは、疲れた胃を休めるというだけではなく、そんな気分を一新させ、また日常の世界に戻るという意味でもありがたい食べ物と思っています。

 と、こんな感じでいかにももっともらしいことを書くので、私は普段もしっかりしているのかとnote記事の皆様の中には誤解される方もおられるかと思います。普段のnote記事でも一見すると深い記事を書いているかのように見えるので、恥ずかしながら内容が深いとのお言葉をいただいたことがあります。(※1)ただ、私のnote記事は、記事のテーマの本質をきちんと学び、それを反映しているわけではありません。様々な論点を知るきっかけとしてとらえた上で、引用している文献などを読んだほうがはるかに学びの点において適切ではないかと思っています。そうすれば、私の記事について批判的に考察したり、私が理解していない別の異なる視点などを知ることができます。そうした私と異なる見識、意見を私のnote記事にコメントをお寄せいただき、それを私が知ることで、より建設的な議論ができることを期待してやみません。

 また、普段の私は仕事でミスをして怒られたりすることがしばしばあります。整理整頓やスケジュール管理が苦手なため、結構ダブルブッキングをしてしまい、慌てることもあります。そんなとき私は、仕事をしたくないなあ、昔ばなしのように大判小判でも天井から降ってきて仕事をしないであくせくせずブラブラと自分のペースで生活できないかな、と怠け者の発想が湧いてくるのです。これも、キリスト教プロテスタントにおける「召命」に基づく職業倫理とは程遠く、キリスト教徒、特にプロテスタントとしてどうなのかと思われても仕方がないことがお分かりいただけるかと思います。その一方である種のこだわり、したいと思うことに執着することで周りのことが見えなくなるタイプでもあります。そこら辺りが周りからすると危なっかしいと見える部分があるかもしれないとも感じるのです。

マイペース、無理をしないで・・・

 そんな私なので、仕事、プライベートにかかわらず、無理をしない、自分の思い通りにならないことがあることを自覚することが大切なのではないかと自分に言い聞かせています。そのためには自分にうそをつかず、ありのままの自分を認め、自らを省みることが求められるのですが、プライドの高さ、自惚れ、ワガママな性格が邪魔をするのです。それは、本質的な部分では私の中にある弱さの表れであるともあります。

 本当に人格や行動に優れた人物は、自分自身の中にある弱さを受け止め、向き合うことができるからこそ、他人の立場、人格を理解し尊重することができます。しばしば、自惚れず、謙虚で思いやりがあるとして高く評価される人がいますが、自分の弱さを含めて自分自身のすべてをきちんと理解し受け止め、己の弱さを理解できるからこそなせる業なのではないでしょうか。

 最初に紹介した七草がゆは邪気払い、無病息災の意味があると言われています。(※2)無病息災は七草に含まれる栄養ということでしょうが、邪気は災害のみならず、私たちの中にある妬み、憎悪、自惚れ、怠惰といった己の弱さにも当てはまるものなのかもしれません。七草がゆは熱く、素朴な味であり、食べていると身体が温まり、癒される感じがあります。そうした温かさ、癒しが身体のみならず、心にも浸透することで、自分自身を知り、他人への思いを馳せることの大切さが理解できるようになりたいものです。

 2023年のnote記事はこのような年頭の初心を踏まえた記事になれるよう、皆様とともに歩んで参りたいと思います。今年もよろしくお願いします。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1)

「出会いと学び」#3 ~宴は終わったが様編~|雛菊ルウ|note

(※2)

いま一度知っておきたい 七草の深い意味 - ウェザーニュース (weathernews.jp)

サポートいただいたお金については、noteの記事の質を高めるための文献費などに使わせていただきたくよろしくお願い申し上げます。