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「密林の聖者」シュバイツァーはどう評価されてきたか⑤-シュバイツァーへの批判的評価(前編)-

 シュバイツァーについてどのような評価があったのかに対する考察です。 今回はシュバイツァーの植民地主義、人種的差別、偏見について批判的評価をする識者について、ジェラルド・マクナイト「シュヴァイツァーを告発する」より、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。(1回目2回目3回目4回目

(シュバイツァー自体の植民地主義、人種主義の主張に関する記事はこちら 「密林の聖者」とはどの視点によるものか 1回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 2回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 3回目


ジェラルド・マクナイト「シュヴァイツァーを告発する」のシュバイツァー評

 シュバイツァーの現地の人々に対する姿勢、シュバイツァー病院の衛生面、設備面の問題点に対する指摘は、2回目で触れたジェーン・ルーシュの「ランバレネのスキャンダル」のほか、ジョン・ガンサー「アフリカの内幕」など、ジェラルド・マクナイト以前から指摘をされていたことではある。ただ、シュバイツァーへの批判的な本としては、「シュヴァイツァーを告発する」(原題:Verdict on Schweitzer)が最も有名と言えよう。

 すでに、2回目で笠井惠二の「シュヴァイツァーを告発する」への反論の妥当性の可否の中で、シュバイツァーがガボンの人々を単純な人ゆえに単純な医療で十分と、J・マクナイトのインタビューに回答した問題点についてふれている(※1)が、ここではそれ以外のシュヴァイツァーの人種主義へのマクナイトの批判についてご紹介したい。

ガボンの人々に対するシュバイツァーの姿勢

 マクナイトは、シュバイツァーのガボン、アフリカに対する人々への姿勢は子どもに対する扱いであり、シュバイツァーが彼らを人間として完成すること、知的に洗練されることはよほどの例外を除いてあり得ないと考えているとの見解を示している。(※2)その根拠として、シュバイツァーはガボンの人々に敬称を使っていないことやそれが態度に表れているとして次のように述べている。

 アフリカ人にフランス語で話しかけるときの彼が必らず、親密さを示す二人称代名詞の「チュ(tu) お前」を使うのはそのため(筆者注:アフリカ人を子ども扱いすること)であり、自分より年配の者に対してもいつもそうしてきた。このような(略)表現はフランスでは、夫婦のあいだや親密な友人同士、または子どもに対して呼びかける場合でしか許されない。

ジェラルド・マクナイト著 河合伸訳 「シュヴァイツァーを告発する」 P66 すずさわ書店

 わたしはランバレネに滞在中に、博士が客人にポンプ井戸の仕組みを説明しようとして、水汲みの行列に加わっていたアフリカ人女性に、順番は人に譲って、バケツに水を持ってこいと命じるところを見た。まるで厳格な父親といった調子のぶっきらぼうな物腰で、最初から最後まで「チュ」で押し通していた。この女性はさすがにアフリカ人らしく感情を表には出さなかったが、喜んでなどいなかったのは明らかだった。

J・マクナイト 「前掲」 P67

加えて、私は以下に引用する表現から、シュバイツァーのガボンの人々への態度にぞんざいさと傲慢さを感じる。

 彼(筆者注:シュバイツァー)が病院で怠け者の黒人のおしりを蹴飛ばしたり、スタッフや患者に規律を守らせたりしている姿を見ていると、控え目な人物という評判などたちまち忘れてしまうのは事実だ。(太字は筆者が強調した箇所)

J・マクナイト 「前掲」 P80

 このほかにも、シュバイツァーの病院には白人や日本人-日本人は「名誉」白人の扱いか?-はいても、現地のスタッフがいないことをマクナイトから指摘されたことについてシュバイツァーは次のように回答をし、自身のやり方を正当化している。

 ランバレネではアフリカ人の医師を使ったことはあるのか、とたずねた。いや、ガボン人には医師の資格をもつ者は一人もいないし、アフリカの他の諸国にはいるが、みんな「町で働く方を好むのだ」と彼は答えた。そして、そんなアフリカ人がいれば喜んで働いてもらうのだが、来てくれるようなことはあるまい、と付け加えた。

J・マクナイト 「前掲」 P65

 実際のガボンにおける医療状況は、シュバイツァーが語るものとは異なることについては、2回目の記事で触れた通りである。(※3)また、シュバイツァーは正規の医師、看護師はガボンの人々から雇わなかったものの、自身の医療に対して助手として実質的に医療に携わるスタッフはガボンの人々に負っている(※4)ことを考慮すると、シュバイツァーの発言に矛盾があると言わざるを得ない。

現地の人を対等な関係で接した医療スタッフ

 マクナイトのシュバイツァーに関する記述は、改めてシュバイツァーがガボンの人々に対等な立場で臨んでいないことを示したものであったが、その一方でマクナイトはスイス人看護師ツルーディの事例を挙げている。彼女は様々な面で患者から尊敬されてきた人物であり、シュバイツァーやツルーディ以外の他のスタッフが現地の人々から色々な者が身の回りの物を盗まれたにもかかわらず、ツルーディは何一つ盗られることがなかったという。また、ツルーディが看護にあたった患者からは彼女の名前が語り継がれたという。(※5)

 これを読んでいた時、私は、ガボンの人々に対して、上下関係によらず人として誠実に接していたスタッフがいたことにある種の救いを感じた。シュバイツァーの下で働いていた野村實、高橋功が、シュバイツァー同様にガボンの人々に対する差別、偏見を抱いていたことにある種の失望というか哀しみのようなものを感じていたからである。また、マクナイトはツルーディに対して次のように記述する。

 シュヴァイツァーに対しては先を争ってノーベル平和賞だのメリット勲章などを送る世の中なのに、なぜツルーディの名前は知られずにいるのかが不思議である。だが、彼女は功績など認められなくても平気だ。もともと、そんなことは望んでもいなかったのだ。”家族”といっしょにいるだけで満足だったのだし、しかも彼女の物語はハッピーエンドで終わる。イギリスの海運業界の大立て者の息子で医者をしている男性と結婚したからだ。

J・マクナイト 「前掲」 P195

ツルーディに関する記述およびマクナイトのツルーディに対する世間の評価への批判は、本当の意味での人道とは何かということを私たちに問いかけるものではないだろうか。 

シュバイツァー信奉者の同著への反発

 マクナイトはシュバイツァー信奉者のシュバイツァー批判に対する感情的な反発を認識しており、シュヴァイツァーを告発するの中で次のように信奉者を評している。

 この偉大な人物(筆者注:シュバイツァー)を取り巻く信者や追従者などのコーラス・グループ、彼にへつらい、イメージ作りに忙しい人たちなどが、まるで毒ヘビのように神経をとがらせている

J・マクナイト 「前掲」 P3

現に、シュバイツァーの下で働いていた医師高橋功は「シュバイツァーを告発する」に対して「きわもの」と反発し、同著はドイツ、フランスで反駁を受け、エリザベス女王によって発禁処分になったと述べている。(※6)

 しかし、この本が日本語訳でも出版されていることからもわかる通り、発禁処分となったという事実はない。真言宗の住職で相模工大の助教授であった佐伯真光は、高橋が1965年5月号「心」や「シュワイツァーとの七年間」で同様の趣旨のことを記していたことを知り、イギリス女王および出版元のフレデリック・ミュラー社に、事の真偽を確かめた。佐伯によると、イギリス女王に代わりイギリス大使館、フレデリック・ミュラー社とも、同著が絶版となった事実はないと回答したという。(※7)シュバイツァーに対する人道主義イメージに心酔するあまり、他者による批判を許さない当時の状況をうかがい知ることができよう。

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 いかがだったでしょうか。次回はマクナイト以外のシュバイツァーに対する批判的評価について読者の皆さんと一緒に考察して参りたいと思います。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

次回投稿時間変更のおしらせ

 次回は、土曜日ではなく、5月3日金曜日の16時から18時に投稿予定となります。よろしくお願いします。

脚注

(※1) 「密林の聖者」シュバイツァーはどう評価されてきたか②-宗教学者らによる肯定的評価(前編)-脚注(※5) を参照のこと

(※2) ジェラルド・マクナイト「シュヴァイツァーを告発する」 P66 すずさわ書店

(※3) (※1) 同 脚注(※3)を参照のこと

(※4) 例えば、シュバイツァー著「水と原生林のはざまで」のP82~P83 には自身の医療を助ける助手としてヨーゼフの存在が記されている。なお、ヨーゼフ自身は自分を一人前のパートナーとして認めないシュバイツァーに対する不満も述べている。(高橋功「シュバイツァー博士とともに」 P94 白水社ほか)

(※5) J・マクナイト「前掲」 P194

(※6) 高橋功・高橋武子共著「シュヴァイツァー博士とともに」第三集 P203~P204

(※7) 佐伯真光 「アメリカ式人の死にかた」 「南無シュワイツァー大明神」P119~P120,P125~P126 自由国民社

なお、参考のため当該引用箇所をここに掲載する。

 英国女王の忌憚にふれてマックナイトの書が出版禁止になったという話が興味をひいたので、私は直接エリザベス女王に手紙を書いて、その真偽をたずねてみた。するとまもなく、東京の英国大使館書記M・エリオット氏とブリティッシュ・カウンシルのD・A・ゲック女史から、それぞれそのような事実はなかったし、女王が直接出版に干渉することもないという返事がとどいた。

佐伯真光「アメリカ式人の死に方」 P120

 マックナイトの『シュワイツァーをさばく』について、その後、出版元フレデリック・ミュラー社に問合せたところ、「当社刊行のマックナイト氏の本が出版禁止になったという事実は全くありません、高橋博士の言明は全く虚偽であります、高橋博士は勝手に想像をたくましくしたのでありましょう」という返事が来た。出版禁止になりもしない(また、なるはずもない)本を、禁止されたと言いふらすのは、いったい、何のためだろう。ぬれ衣を着せられた英国女王こそ、いい迷惑である。

佐伯真光「アメリカ式人の死に方」 P125~P126

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