note記事を書くこと3
note記事に対するスタンス
note記事に対してどういう形で書いているのかについては過去にもご紹介しましたが、(※1)今回は私のnote記事を書く際のスタンスについてです。
継続かつ定期的して書くためにどうするか
note記事を書く際に私が想っていることは、いかに継続かつ定期的にnoteを続けることができるかということです。ただ、前にも述べた通り、ネタに困ることがありますし、ネタをどのように文章で表現するか困ることがしばしばあります。そのため、記事が思うように書けなくなったときには、果たしてnote記事を週1度のペースで続けられるだろうか、休止ないし活動を止めることにもなるのではないかという漠然と不安な気持ちになります。
それでも、私がnote記事を書き続けるのは、基本的には文章を書くことが好きだからなのだと思います。noteに参加されているヤス(ウエダヤスシ)さんは、note記事を続けることはボランティア精神であると述べておられます。(※2)ヤスさんは、「私は、書きたいんだ!見返りなんて必要ない。誰かが喜んでくれるのが報酬なのだ!」そんな気持ちをどこかで持っておかないと、途中で自分のモチベーションがだだ下がりした時、あっさり書くことから離れてしまいます。として、noteを継続するにはnoteを書くことそれ自体が好きなこと、また、その記事を読者の皆様に楽しんでいただくために書くことが大切であるとしています。私もこの理念には深く共感すると同時に、私自身は、noteに対する自分のいい加減な気持ちや怠け心から、完全に自由な気持ちでnote記事を書いているのかと考えさせられるのです。
きちんとした文献、資料にあたらずインターネットの検索などだけで書き上げた記事として「コタツ記事」という俗語があります。(※3)ここからは、いかに安易なマンネリズムかつウケ狙い的発想で書かれている質の悪い記事が量産されているかをうかがわせます。
以前も述べたように、私はできる限り文献、資料などをあたる形で記事を書くことで、マンネリズム、ウケ狙いを排し、記事の内容をできるだけよくしようと努めているつもりではあります。ただ、それでも時事問題といった旬のものを取り上げる必要がある場合などでは、新聞だけではなくネットに掲載されている主要各社のメディア媒体記事から引用する形を採ることも珍しくありません。その場合、後で読み返した場合、質の点や問題を深く掘り下げているのかとあれこれ反省させられます。
また、時間がないときは、ネット上のメディアの記事といった事実内容や、自分の家で購入している東京新聞の記事だけで時事問題を語ることもしばしばです。本来であれば、少なくとも図書館に足を運び、東京新聞に限らず、新聞各紙の識者による記事、コメントに目を通すだけの時間と手間をかければ、少しは充実した内容の記事になるはずなのにです。それがなかなかできないことが課題になっています。
有料記事を書かない理由
note記事は有料にしたり、メンバーシップによる定期購読機能がついていることは読者の皆様はご存じかと思います。ただ、私は有料記事、メンバーシップによる定期購読を行う予定はありません。理由としては二つあります。
一つは、先に述べた通り私自身の記事が有料記事のレベルに達していないこと、記事を掲載する際にデータや事実確認に誤りがあることがしばしばあること、(※4)など記事についてお金を対価としていただくまでに至っていないと考えているからです。お金を払ったにも関わらずその内容の事実に誤りがあったり、いい加減な部分があった場合、読者としてはその分のお金にふさわしくないと判断するでしょう。(※5)私の場合、週1回ペースで記事を書く際に、ミス、誤りを完全に防止するレベルには達しているとは思えないことから、有料記事を書かないようにしています。
もう一つの理由としては、記事を有料化した場合、対象となる読者がどのような記事を買うかというスタンスで執筆することが必要なため、主体性を持って自由に執筆するということができなくなるという懸念があります。先に挙げた「コタツ記事」と呼ばれるものの多くがマンネリズム、ウケ狙いの傾向があるのは、記事を多く読んでもらうことによってお金を稼ぎたいという思惑と密接に関連していると考えます。そこからは、いかにいい文章、記事を書くかよりも、お金をどう得るかという発想しか見えてきません。「コタツ記事」と呼ばれるものが不評を買うのは、お金ありきの発想が見え隠れしていることもあるのでしょう。私の場合、有料記事を書かないことが主体的かつ自由に書き続け、かつ記事の質を低くしないようにするためのコツであると考えます。
なお、関連してnote記事には「サポート」として、読んだ記事に寄付をする機能があります。当初、私は自分の記事が「サポート」されることを想定していなかったのですが、何度か「サポート」をいただいていることがあります。「サポート」いただいた方々にご迷惑になるかもしれないので、お名前は控えさせていただきますが、このような拙い記事に「サポート」していただいた方々には改めてこの場を借りてお礼申し上げたく存じます。note記事は基本的には、先にご紹介したヤスさんのおっしゃるボランティア精神のスタンスで臨んでおりますので、「サポート」いただいたお金はnote記事の充実のための文献、資料費に充てています。もちろん、「サポート」と関係なく、記事それ自体をお読みいただき、記事の内容に満足いただけることが一番私にとってうれしいことです。
こんな私ではございますが、これからもよろしくお願い申し上げます。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
脚注
(※1) note記事を書くこと|宴は終わったが
(※2) 記事を書くのならボランティア精神だけが必要|ヤス(ウエダヤスシ)
(※3) 炬燵記事(こたつきじ)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書
(※4) 第50回(2024年)衆議院選挙主要政党政策集に関する考察(前編)|宴は終わったが(訂正)
を参照のこと。
なお、note記事ではありませんが、以前5chで投稿をした際に、都知事選で自治労が個別において蓮舫支援ではないと記載したことで誤り、正確性に欠けるとお叱りを受けたこともあります。当該内容についてはこちらを参照のこと
(※5) もちろん、無料であれば事実誤認、誤りを放置していいというものではなく、事実誤認、誤りによって被害を受ける可能性があることを考慮すれば、文章それ自体に対しても一人ひとりが責任を負っていると言えます。