「密林の聖者」シュバイツァーはどう評価されてきたか⑥-シュバイツァーへの批判的評価(後編)-
シュバイツァーについてどのような評価があったのかに対する考察です。前回5回目ではジェラルド・マクナイト「シュバイツァーを告発する」からシュバイツァーの現地の人への姿勢の問題点を考察して参りました。
今回はジェラルド・マクナイト以外のシュバイツァーの植民地主義、人種的差別、偏見について批判的評価をする識者、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。(1回目、2回目、3回目、4回目、5回目)
(シュバイツァー自体の植民地主義、人種主義の主張に関する記事はこちら 「密林の聖者」とはどの視点によるものか 1回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 2回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 3回目)
シュバイツァーの植民地観、黒人観に関する批判的評価
伊藤正孝によるシュバイツァーの評価
元朝日新聞記者でアフリカ特派員などを務めた伊藤正孝は、当時の旧東ドイツ国営通信記者の、シュバイツァーには自己犠牲の面があったとする評価に理解を示す一方で、現地の人々のシュバイツァーに対する評価は違うのではないかとして以下のように述べている。
岡倉登志によるシュバイツァーの評価
アフリカ史を専門とする岡倉登志のシュバイツァー評価については、すでに、「「密林の聖者」とはどの視点によるものか③-日本人のシュバイツァー観への疑問-」において、シュバイツァーの人種観はアドルフ・ヒトラーと同様の人種観を持つエルンスト・ルナンと共通する、との文章を掲載した。彼の見解は重要であると考えるので当該関係個所も含め改めて紹介する。
楠原彬によるシュバイツァーの評価
シュバイツァーが存命中の1963年の段階で、反アパルトヘイト運動を展開するなど、アフリカの民族運動に理解を示してきた教育学者の楠原彬のシュバイツァーの植民地観、アフリカ観に対する評価は高くない。楠原によるとシュバイツァーの思想、哲学自体にアフリカ人を文化と倫理とは無縁と考えていたとして次のように評する。
その上で、ジョモ・ケニヤッタが植民者に土地を奪われたことで生産手段のみならず家族、部族を結びつける物質的象徴が奪われたとする文化観と、シュバイツァーのドイツ観念論流のアフリカにおける文化的価値を理解しない文化観の違いの中に、シュバイツァーに「献身」される側の論理と倫理をうち立てる一つの道筋があると結論付けている。
佐伯真光によるシュバイツァーの評価
真言宗住職で相模工大の助教授であった佐伯真光は、シュバイツァーの人種観および人格を以下のように批判する。
佐伯によれば、日本以外でシュバイツァーが評価されているのはプロテスタント国であり、カトリック、アジア・アラブ諸国ではあまり知られていないと述べている。(※1)その上で、シュバイツァーは海外で問題が指摘されている人物であり、シュバイツァーを伝記として教科書で教えるべきではなく、むしろ伝説の非神話化が求められるとしている。(※2)
このほか、アフリカに必要なのは聖書と抱き合わせのお情けの医療施設ではなく、最新の医療設備と主張するナイジェリアの留学生の声、シュバイツァーはキリスト教伝道の美名の下にアフリカ人をだましてきたと主張するアフリカ系アメリカ人の声を紹介している。(※3)
佐藤誠によるシュバイツァーの評価
アフリカ研究者である佐藤誠は、「アジ研ワールド・トレンド」2001年1月号に掲載した「アフリカ認識とオリエンタリズムーシュバイツァーを見る眼差し-」において、シュバイツァーがヨーロッパを兄、アフリカ人を弟と見なしたことは、ヨーロッパのアフリカ支配および近代植民地主義のありふれたイデオロギーであり、当時の支配者側の常識を語ったものであるとの見解を示している。(※4)
また、前回岩井謙太郎の箇所で触れたが、シュバイツァーが、西欧などの帝国主義諸国が行った過ちの問題性を認識する一方で、仏領赤道アフリカの鉄道建設の強制労働において12万人が駆り出され、2万人が死亡したことについて、シュバイツァーが強制労働なしでは植民地経営が成り立たないとして強制労働を肯定したことを「水と原生林のあいだに」を引用する形で指摘している。(※5)佐藤は、シュバイツァーにとって、アフリカ人は困窮と貧困に苦しみつつも自らを救うことができない人々であった、との見解を表している。(※6)
その他
以上の5人のほかにも、「密林の聖者」とはどの視点によるものか①-日本人のシュバイツァー観への疑問-で紹介した寺村輝夫のほか、元朝日新聞記者の柴山哲也が、シュバイツァーは人道主義の仮面をつけた西欧の植民地政策における、キリスト教布教を通じた精神による支配を行う同化政策の代表であり、アフリカ的なものを遅れた原始的な感覚だと短絡的に考えていたと評している。(※7)
それにしても、アフリカに関する知識がある人物は別として、それ以外の人々の間では、なぜシュバイツァーが崇拝されるようになったのだろうか。次回はその背景について皆さんと一緒に考察して参りたい。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
脚注
(※1) 佐伯真光「南無シュワイツァー大明神」 「アメリカ式人の死にかた」 P111 自由国民社「前掲」
(※2) 佐伯「前掲」 P112
佐伯が執筆していた当時はシュバイツァーが教科書に掲載されていた。
(※3) 佐伯「前掲」 P110
(※4) 佐藤誠「アフリカ認識とオリエンタリズムーシュバイツァーを見る眼差し-」 P18「アジ研ワールド・トレンド No.64」(2001.1)
(※5) 佐藤「前掲」P19
なお、佐藤の引用箇所は「水と原生林のあいだに」著作集第1巻」であるが、別人の訳である「水と原生林のはざまで」(岩波文庫)のP118からP119にも同様の内容が記されている。
(※6) 佐藤「前掲」P19
(※7)
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