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袴田巌さんの無罪確定に想うこと


捏造を認めない検察

 2024年10月9日、検察は9月26日に静岡地裁で出された袴田巌さんへの無罪判決に対し、控訴を断念することを発表しました。(※1)最高検察庁の畝本直美検事総長は、10月8日の検事総長談話において、「改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能」であるとし、静岡地裁で捏造が指摘されたいわゆる「5点の衣類」について次のように反論しています。

 1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。
 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。
 それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。

【全文掲載】検事総長 談話 袴田巌さん無罪確定へ(NHK 2024年10月8日 22時11分)

その上で、袴田巌さんの法的地位が不安定になることが問題であるとの判断から控訴をするのは適当ではないとの理由から控訴を断念しているとしています。(※2)

 検事総長談話の論理は、袴田さんの法的地位、即ち死刑囚であるか無罪であるかという状況がはっきりしない状況の継続することが、法秩序の観点から妥当ではないという国家主義的な観点で控訴をしないというものでしかありません。検察が捏造をしたという事実を認めないというだけでなく、袴田巌さんが不当に拘置所に拘留されたという人権侵害、いつ死刑になるかわからないという恐怖、拘置所に長期にわたって拘留されたことによって拘禁症で苦しんでいることの問題点を何も考慮していないきわめて非人間的な姿勢です。私は、ここに日本の検察当局の恐ろしさを改めて感じずにはいられません。

捜査の問題性を問わない静岡県警

 静岡県警は無罪確定をうけ、本部長が、袴田巌さん、秀子さんが住む住居を訪れ「逮捕から無罪確定まで58年間の長きにわたり、ことばでは言い尽くせないほどのご心労とご負担をおかけし、申し訳ありませんでした」と謝罪をしました。その上で、報道陣に対し「強制的、威圧的な取り調べがあったということで、誠に申し訳なく思っています」と応えました。(※3)

 検察とは異なり、静岡県警は、捜査の誤り、非人道的な取り調べがあったことを認めた点では評価できるものの、証拠の捏造に対する言及はなく、また、なぜ非人道的な取り調べが行われたのかという真相の究明をどうするかという点には言及しませんでした。静岡県警における捜査の問題点については、袴田事件に留まりません。同じく死刑囚として収容された後に、冤罪が確定し釈放された島田事件の赤堀政夫さんをはじめ、いくつもの冤罪事件が起きています。その相次ぐ冤罪事件の発生として指摘されているのが、紅林麻雄刑事の存在です。フリーライターの工藤隆雄氏は紅林刑事及び紅林刑事を評価した静岡県警について次のように指摘します。

 紅林は他の島田事件でも知的障害のある青年(筆者注:赤堀政夫さん)を証拠もなく捕まえ拷問し、自白させ、証拠を捏造するなど狡猾なことを繰り返し、無実の人を死刑囚にした。そんなことばかりして「手柄」を上げていったのである。
 そんな紅林の姦計を知ってか知らでか警察上層部や検察が紅林は優秀な刑事だとし表彰した。それが在職中に351回もあったというから常軌を逸している。

(※4)

 袴田事件は紅林刑事が静岡県警を去り、死去した後の1968年に起きた事件です。しかし、当時の捜査官も紅林刑事の元部下であったり、紅林刑事の影響を受けており、紅林刑事の捏造、拷問、強迫体質がそのまま継承されたのではないかとの指摘があります。(※5)もし、静岡県警が袴田巌さんに対して誠意ある態度を持って謝罪をするというのであれば、なぜ誤った捜査、捏造が行われたのかの真相究明を図るべきでしょう。

 私は、取り調べにおいては参考人聴取も含め、取り調べ際、取り調べの対象者が望む弁護士の立ち合い、また、留置所に拘束される時間を先進国並みの48時間以内にすること、警察の留置所での代用監獄を止めることが必須であると考えています。警察の密室体質が冤罪を産み出す最大の要素と言えるでしょう。

再審法の改正を

 1968年の袴田事件から、袴田さんの名誉が回復されるまでには56年の歳月がかかりました。これだけ時間がかかる理由としては、再審法において①再審請求における請求側の検察への証拠開示要求に対し、検察は持っている証拠をすべて開示しなくてもいい状況にあること、② 検察に再審請求について不服申し立てができる制度になっていること、③ 再審開始にあたっての具体的な手続きが法律上規定されていないことが挙げられます。この状況からしても検察側が証拠を捏造したり、隠蔽することが可能であってことをうかがい知ることができます。

 10月27日に行われた第50回衆議院選挙で、司法制度の在り方が選挙の争点にならなかったことに対して、司法それ自体における人権侵害の問題が票になりにくいことの問題点を指摘する声があります。(※6)選挙では、最高裁裁判官の国民審査も行われていましたが(※7)、司法それ自体の問題点をどのように考えるかは争点とするべきでしょう。

 政府は袴田事件に関連して再審制度の在り方について「最高検察庁としては、この事件の再審請求手続きが長期に及んだことなどについて所要の検証を行いたいと公表したものと承知している。また、法務省でも現在、協議会で議論が行われており、その議論なども踏まえ適切に対応するものと考えている」(※8)としているものの、司法、捜査機関による人権侵害の問題については、三権分立などの観点を考慮しても、きちんと追及し二度と起こしてはならないという政府声明くらいは出すべきではと考えます。と同時に、私たちの中にある捜査機関の被疑者への威圧的、暴力的取り調べを許容する姿勢、司法の人権侵害に対する無関心ぶり自体も、冤罪が起きる主因の一つであることを認識するべきでしょう。

 袴田巌さんは無罪確定によって、冒頭の写真にありますように、選挙権を含めて、市民権を回復されました。しかし、拘留期間の48年間を含め、死刑囚としての死の恐怖は検察が控訴を断念するまで続いていました。その失われた時間、恐怖によって苦しんだことの修復はできないのです。そして未だ拘禁症によってその時の恐怖を克服できない状況にあります。

 また、冤罪事件は袴田事件だけではありません。冤罪が指摘されながらも、死刑囚が拘置所に死ぬまで拘禁された帝銀事件、名張毒ぶどう酒事件、死刑が執行された福岡事件、菊池事件、飯塚事件といった事件もあります。袴田事件をどのように考え、そして行動するべきかが私たち一人ひとりに問われています。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) 袴田巌さん無罪確定 検察が控訴権利を放棄 逮捕から58年を経て「死刑囚」の立場から解放 | NHK | 静岡県

(※2) 【全文掲載】検事総長 談話 袴田巌さん無罪確定へ | NHK | 事件

(※3) 袴田巌さんに県警本部長が謝罪 “ご心労とご負担申し訳ない” | NHK | 静岡県

(※4) 静岡県警が生んだ《昭和の拷問王》の呪縛に終止符か…再審判決「袴田事件」が突き付けた冤罪大国・日本の「司法のいい加減さ」

(※5) (※4) 同

(※6) 司法問題を総選挙の争点にしなくてどうする(伊藤真弁護士) -マル激

(※7) 私個人は、最高裁が死刑を合憲としていることに対する抗議の一環として、最高裁判所裁判官の国民審査ではすべて×をつけることにしています。

(※8) (※1) 同

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