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オンガクを長くするのは難しい。 【長い音楽(仮) 制作メモ1】

はじめに

次回作の構想はずいぶんと前からありました。
成果物としての音楽はいずれ何らかの形で発表を行うこととなりますが、その途上の研究・考察について、今回は新しい試みとして可視化して、公開することとしました。

「完成していないモノの制作までの途上」を誰でも参照可能な形で、しかも完成前に見えるようにすることは大変に勇気のいることです。そしてそれは完成した成果物の質を担保するものではありません。
とはいえ、コミックマーケット99で頒布した冊子にも書いたのですが、本作品は私の近年の取り組みの集大成といえるものでもあり、完成した作品を提示するだけが私の役割ではないと感じています。
そして、おそらくこうした背景を書き残しておくことは、作品を鑑賞するうえでもその一助となることでしょう。

あくまで完成した音楽は、特に他の付属物がなくても単独で鑑賞できるような作品に仕上げるつもりです。
本稿は、映画におけるパンフレット、テレビアニメにおける設定資料集のような立ち位置と考えていただければと思います。

1.芸術をデカくする

芸術には”空間芸術””時間芸術”というカテゴリーがあるとされています。

くうかん‐げいじゅつ【空間芸術】
〘名〙 芸術の分類の一つ。芸術の分野のうち、その形式や作品が、平面的あるいは立体的な空間の広がりによって秩序づけられて、人間の感覚に訴えるもの。二次元的なものに絵画、平面装飾、三次元的なものに建築、彫刻が含まれる。⇔時間芸術。〔音引正解近代新用語辞典(1928)〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 

じかん‐げいじゅつ【時間芸術】
〘名〙 芸術分野のうち、その形式や作品が、純粋に時間的に運動・推移し、発展することによって秩序づけられ、人間の感覚にうったえるものの総称。音楽、文芸など。⇔空間芸術

出典 精選版 日本国語大辞典

絵画や彫刻、建築物が空間芸術で、音楽や文学が時間芸術であるというのは想像しやすいと思います。

一方で演劇や映画、漫画、映像などは、総合芸術と呼ばれ、空間芸術・時間芸術のいずれの要素も含有する芸術であるといえます。
このカテゴライズは大変にわかりやすく、誰にでもあらゆる芸術を種別できるように思えます。

ところで、これらを拡大してみたところを考えてみたいと思います。単純にスケールアップした場合にどうなるだろうかという話です。

空間芸術のスケールアップは分かりやすいです。単純にデカくすればいいです
巨大な絵画は挙げればいくらでも出てきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、420 cm × 910 cmと、とても自宅に飾れるサイズではありませんし、渋谷駅構内に展示されている岡本太郎の「明日の神話」はなんと550 cm × 3000 cm
彫刻にはさらに巨大なものが存在しますし、建築物に至っては高さ数百メートルなどという場合もあります。

では、時間芸術のスケールアップはどうでしょうか。

文学のスケールアップは分かりやすいです。とにかくページ数を増やせば実現できます。 
ライトノベルには、大変冊数が多いシリーズもあります。
歴史小説の分野では、山岡荘八の「徳川家康」は文庫本26巻。
そのほか、栗本薫の「グイン・サーガ」は、惜しくも完結を待たずに著者が亡くなり、131巻以降は後任の作家により執筆が続いています。

音楽はどうでしょう。
かの4分33秒の”作曲”で有名なジョン・ケージが作曲した「オルガン²/ASLSP」という楽曲があります。
こちらは楽譜にすると8ページ、何も考えずに演奏すれば20分もあれば終了する楽曲なのですが、「As Slow As Possible(可能な限り遅く)」とあるように、とにかく遅く演奏することが要求されています。そしてその遅さは演奏者に委ねられています。
現在ドイツのハルバーシュタットのブキャルディ廃教会で、この曲を639年かけて演奏するプロジェクトが進行中です。

オルガン²/ASLSP(8時間での演奏)

ジェムファイナーの「ロングプレイヤー」という楽曲は、20分20秒の楽曲をコンピュータによってさまざまなバリエーションに処理され、2000年から1000年かけて、今もロンドンのミレニアム・ドームにて、コンピュータが演奏を続けている。

このように、どうやら音楽も、演奏可能か不可能かということを考慮しなければ、作ることそのものには大きな制約はないようです。

また、総合芸術の分野でも、漫画もアニメも大変長い作品は存在します。
冊数が多い漫画としては「ゴルゴ13」(さいとう・たかを 著 現在203巻 作者没後も連載中)、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(秋元治 著 全201巻 一応完結)などが知られています。

映像の分野では、映画に関しては調べた限りでは7時間越え、12時間越えというものもあり、それを観ている人は、果たして食事やトイレをどうしているのだろうかと心配になります。
舞台に関しては上手く調べられなかったのですが、9時間越えというものを発見しました。

2.音楽の拡大が困難な理由

音楽の巨大化には一般的に制約があると考えられます。
あえて空間芸術と比較するのであれば、絵画や彫刻、建築物は、その鑑賞が”一瞬”で終了するという点で、時間芸術・総合芸術と大きく異なります。
もちろん、作品を深く味わうとか、より楽しむことを考えるとそうはいきませんが、少なくともその全体像を把握するのにかかる時間は一瞬です。
どんなに巨大であろうと、全体を眺められる距離、角度から見ることができれば問題ありません。

巨大化することで消費するのは空間です。しかしその空間は、人間の存在とは無関係の「宇宙の一部」です。それを切り取って、空間芸術は存在します。
その空間芸術の鑑賞に、人間がどれほどの時間を消費するかというのは、鑑賞する人にゆだねられています。
美術館で1枚の絵を何時間も見続ける人もいれば、一瞬で通り過ぎる人もいるのです。

一方、時間芸術は、それを鑑賞する人の「時間」を消費することで、存在することができます。
5分ある音楽の全体像を一瞬で把握することはできません。推理小説の最後だけを読んで犯人を知ったら読み終わったということにはなりません。
例えば5分の曲であれば、たった5分といえど聴く人の人生の一部、もっと言ってしまえば「命の一部」を切り取ることで存在しています。
文学は確かに人によって読むスピードが異なります。しかし、とはいっても多くの人が2時間かかる本を5分で読み終えることはできないでしょう。
やはり、多少の誤差があるとはいえ、時間を使っているということに変わりはないと考えられます。

音楽を長くすることの困難さは、本質的に長ければ長いほど聴く人の命を削ってしまうというところにあるといえるのかもしれません。(書きながら詭弁のようなものを感じています…)
いやいや、メシ食うのも風呂入るのも同じように時間使ってるじゃん。それって命削ってることになるの?と思われる方もいると思います。でも、芸術は生命の維持に必須かといわれると正直自信がありません。
芸術を鑑賞して同じような感動を得られるのであれば、それにかかる時間は短い方がいいでしょう。その方が合理的です。

加えて、人間は1日24時間のリズムで生活しています。それに支障をきたすような時間芸術は難しいという事情もあります。
上に挙げたような、「オルガン²/ASLSP」や「ロングプレイヤー」といったような楽曲は、人間が生きている間にその楽曲のすべてを聴くことは不可能です。全容を知る前に人間の方が先にくたばってしまいます。

同じ時間芸術でありながら、文学が長くてもなんとかなる理由はそこにあって、任意の場所で中断して、いつでも再開できる点は音楽と大きく異なります。
録音している音楽であれば同じように中断・再生できるようにも思えますが、文字情報や視覚情報と異なり、音楽の場合はその連続性に意味があり、(リズムとか拍子なんかがまさにそうです)中断は必ずその音楽の意味の変容を伴います。

映画や舞台も、その気になれば中断が可能です。実際、幕間にお弁当を食べたりする舞台もあります。

3.長い音楽もあるけれど…

とはいえ、長い音楽もあります。
演奏に30分~1時間程度かかる楽曲もクラシックであればいくらでもあります。
ただ、あえて誤解を恐れずに言えば、クラシックの商業的成功を阻む要因の一つにもなっています。
古くはモーツァルトが、聴衆が飽きるのを防ぐためにコンサートのプログラムを工夫したり(交響曲を全楽章通さず、演奏会の前半で1.2楽章、終盤に3.4楽章を演奏するなどということも行われていました)、音楽にそれほど詳しくない聴衆を引きつけるべく、楽曲に工夫を凝らしたりと、「聴衆を飽きさせない」ことに大変苦心した跡がみられるのです。

現代はエンターテインメントの多様化、そして音楽が放送で使用される場合に必ずしも長い楽曲が求められないなどの事情から、例えばクラシック音楽であれば、楽曲のごくごく一部のみが抜粋される場合がほとんどです。
私はクラシック音楽をやっていた、そして学んでいた人間でもありますので、それなりに長い曲を聴いて、それを楽しむことはできる方だとは思います。
ただ、一方でそれを予備知識のないすべての人に要求するのはとても難しいと思うのです。演奏会で眠くなる人を否定することは全くできません。

現代のポップス、ロックなどは概ね5分ほどの楽曲がほとんどであり、大抵飽きる前に終わります
また、そうした楽曲はほぼリフレイン形式で作られていて、楽曲の主要部分たる「サビ」があります。
テレビやラジオ、Youtubeから音楽が流れてきて、どのタイミングで、どれくらいの長さ聴かれるかわからないという状況でも、とりあえずサビさえ流せば記憶に残すことができるという意味で、現代文化と非常に親和性の高い楽曲の構造であるといえます。

(参考 アタリマエへの叛逆【UtAGe】)

「サビさえ聴けばとりあえずどんな曲かわかる」という、音楽の受容の時短を実現させたリフレイン形式は、音楽を聴く人が鑑賞のために削らなければならない命を減らしたともいえます。
そう考えてしまうと、楽曲が長いことが現代文化とミスマッチを起こしてしまうのもよくわかるのです。

4.それでも作りたい

ここまでひたすら、演奏時間の長い楽曲に対するネガティブな論調で語ってきました。
それでもなお、私は今、長い曲を作りたいと思っているのです。
ただ交響曲のように規模の大きい曲を作るだけならおそらく可能です。
そうではなくて、なぜ現代の音楽の多くが演奏時間5分前後に収斂したのかということを踏まえて、そこにあえてそうではない楽曲を作ることの自分なりの答えを提示できる形で作りたいと思っています。


今後、不定期連載の形を取って、本楽曲の制作に関する記事を発表していきたいと思います。
お付き合いよろしくお願いいたします。

続きはこちら

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BOOTHにて、制作した楽曲を販売しています。在庫があるものに関してはCD版も用意しております。お手に取っていただければ幸いです。



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