「ミセス・ノイズィ」を観た
天野千尋監督の映画「ミセス・ノイズィ」を観た。タイトルから分かるとおり、十数年前ワイドショーを騒がせた「騒音おばさん」をモチーフにした作品。
売れない小説家の主人公が引っ越し先のアパートで、隣に住む「ちょっと変な」おばさんとのご近所トラブルに巻き込まれていく話。と、ここまでなら懐かしの事件を題材にしたよくある露悪的なコメディだが、視点が切り替わることでストーリーは二転三転して、メディアやSNSのあり方を風刺しつつ、普通に生きている人のちょっとした間違いや些細な悪意が大悲劇を招いてしまうまでを描いている。
印象的だったのが、追いつめられた「ミセス・ノイズィ」がつぶやく、「大丈夫、私たちは正しい、間違ってるのは世の中の方だよね」
というセリフ。こうして文字にするとかなり怖い言葉だ。しかし映画館で観たときはこのセリフに共感し、うんうんとうなずいてしまった。そして実際彼女は何も間違ったことはしていないのだ。私たち観客はこのシーンの段階で彼女が悪くないことを知っているし、彼女に共感できるようになっているから、おばさん負けるなと応援したくなってしまう。
とはいえ、そもそも一連の騒動の発端は、自分は正しいと信じた側による無理解な周囲=世の中への攻撃にあったわけで、このセリフを肯定することは彼女を追いつめた側の言い分を肯定することにもなってしまう。「己の正しさを疑え」ということこそ、問題解決のために必要な第一歩ではなかったか。にもかかわらず、「私たちは正しい」という「ミセス・ノイズィ」の言葉に私は感動したし、映画を観終えた今も、彼女の正しさを疑っていない。これはもう、観客が彼女の言葉を信じるように仕掛けを施した脚本の勝利だなあと思いました。
あと、この映画を観たきっかけは「海辺のキュー」の背川昇さんのツイートだったのですが、「悪意で見えなくなっているもののその先」を見せてくれるところが、背川作品の「顔」と共通しとるなと思いました。
ミセスノイズィめっっちゃくちゃ面白かった… 普通の人の普通の間違いや普通の悪意が折り重なって悲劇を招くという厳しくもフラットな視点と、それでも見守りたくなるような人間の愛おしさの描写がまさに自分が漫画で描きたいテーマとドンピシャで観て良かった…となった
— 背川 昇/海辺のキュー②発売中 (@waki_ase) December 22, 2020
嫌いな奴の顔をVRゲームで再現して殺そうとする漫画(雑ネーム) 1/8 pic.twitter.com/xx17r1924Y
— 背川 昇/海辺のキュー②発売中 (@waki_ase) August 3, 2019
「顔」も今度映像化されるようなので、こちらも楽しみですね。