『エアマスター』とランキングを超えた何か
柴田ヨクサルの『エアマスター』はストリートファイターの相川摩季(通称エアマスター)が色んな強敵とストリートファイトをする話で、大まかに3部構成に分けることができます。路上で出会う様々なストリートファイターと勝負をしていく序盤、ストリートファイターの強さランキング「深道ランキング」に参戦する中盤、いままで登場したストリートファイターほぼ全員が参加するバトルロイヤルで最後に残るものを決める終盤の3つです。序盤、中盤、終盤それぞれに面白さがあるのですが、私はランキングからバトルロイヤルへの流れが特に好きなのでその話をします。
(ネタバレを含む感想です。また、ピエール手塚さんの以下の記事に影響を受けています)
中盤で登場する深道ランキングとは、謎の男深道によって創設されたストリートファイターの強さランキングです。ランカー同士の戦いはインターネットを通じて日本中にリアルタイム配信されます。対戦にはオッズが付けられ、勝敗によってファイトマネーが動くシステムです。深道ランキングの登場によって、ストリートファイターたちはランキング1位を頂点としたピラミッド型の序列に組み込まれました。それはランキングに参戦したキャラクターに限らず、過去の戦いそのものが再編されてしまうということです。例えば、エアマスターの妹佐伯みのりは深道ランキング52位の石井には楽勝でしたが、46位のマキハラには肋骨を砕かれながらの辛勝が精一杯でした。そこから逆算して、初登場のみのりに腕をとられた時のエアマスターの強さは……といった具合に、読者は序盤における各キャラクターの強さをランキングを基に推測することができます。
「あの強敵とあの強敵がもし戦っていたらどっちが勝つだろう?」というバトル漫画読者の夢を形にしてくれるのがランキングなのです。そして実際、序盤でエアマスターに敗れた強敵たちは次々と深道ランキングに参戦していきます。ストリートファイター四天王編のボス坂本ジュリエッタは7位、黒正義誠意連合編のボス北枝金次郎は10位、女子プロレス編のボスサンパギータ・カイは9位のランカーにそれぞれ勝利しました。
ランキングに参戦するということは、自分の今の立ち位置を知るということです。全体の中でのポジションを知り、弱者は弱者同士、強者は強者同士、近い強さの相手に挑んでランク上昇を目指すことで、深道ランキングというシステム全体・集団としてのストリートファイターの強化が加速されていきます。「世間でいう究極なんてものはマラソンの先頭集団みたいなもんだ。肩を並べるものはいくらでもある」と深道は語りますが、トップを競いながら加速していく、究極のストリートファイターの集団を育成する、それが深道ランキングの意図だったように思われます。
深道の夢は、渺茫という現在ランキング1位のストリートファイターを自分の世代で倒すことです。渺茫は、時代時代の最強の格闘家800年間15代分の魂を宿した、バケモノのように強い格闘の歴史そのもののような存在です。15人の最強の格闘家が集合した渺茫は、まさに個でありながら「究極」を体現した存在なのです。その渺茫に追い付くために深道は、深道ランキングというシステムをもう一つの「究極」の先頭集団に育成しようとしたのでした。
深道は賢すぎるがゆえに世の無意味さを知ってしまった男です。渺茫や上位ランカーと戦っても歯が立たないだろう自分のポジション、弱さを自覚している彼は自ら戦うことはありません。ストリータファイター同士の戦いをマッチングし、数値化し、分析することに喜びを見出しています。「お前の本質は格闘家とは程遠いな」。ランキング2位のジョンス・リーは深道のやり方をそう否定しました。純粋な「イイ戦い」を求めるのが格闘家であり、それだけが無粋な今日明日を面白くするというリーの信念は、深道の姿勢と相容れないのです。
この深道とジョンス・リーの対立は、そのまま観客(ギャラリー)とファイター、読者とキャラクターの対立を表しているようにも思えます。強キャラ同士のマッチングを期待し、強さの格付けを望んでしまう私のような読者に、「待った」をかけているように思うのです。
『エアマスター』ではゲームセンターでの格闘ゲームの対戦が、ストリートファイトと相似なものとして描かれているように思います。主人公摩季の友達のみちるとゆうはゲーセンの上位ランカーですし、後には格闘ゲーム「バーチャルファイティンガー」の操作キャラ「アキオ」使いで、アキオのコスプレで戦う実写版アキオこと駒田シゲオも登場します。深道ランキングは、リアルファイトの世界に格ゲー的なランキングシステムをもちこんだものともいえるでしょう。しかし、ストリートに集うファイターも、ゲーセンに通うプレイヤーも、求めているのは目の前の相手とのエキサイティングな一戦であって、ランクの上下動はその結果に過ぎないのではないでしょうか。摩季のライバルで唯一ランキングに参戦しなかった崎山香織がバトルロイヤルで見せた、「お前だけにわかってもらうために強くなったんだ!!!!!」という叫びこそ、ファイターが戦う理由になりえるのです。
深道ランキング編のラストで、ジョンス・リーは渺茫を会心の一撃で吹き飛ばします。同時に深道のマッチングを無視して戦いを強行するランカー狩りが横行し、1位を頂点としたランキングの序列は揺らぎ始めるのです。そして廃墟でのバトルロイヤル編に突入すると、今までの序列は全てひっくり返されます。順位の高い者が勝つとは限りません。ランキングに参戦することも許されなかった無名の者が強者を食うこともあります。戦う2人の間に急に割って入った者が勝利をかっさらうこともあります。最強の渺茫ですら、小西と時田という二人の強者の争いに巻き込まれれば、絞め落とされることにもなります。順位化されていたキャラクターたちの立ち位置は再び白紙に戻り、勝ち負けの予想できない戦いが始まるのです。
人によっては、一度つけられた強さの不等号が崩れていく展開にストレスを感じる人もいるかもしれません。しかし私が『エアマスター』のバトルロイヤル編から受け取ったのは、ストレスを大きく上回る快感、ブチ上がるテンションでした。「予想を大きく裏切られた複雑な感情……自分の予想通りいかない“もどかしさ”と予想通りにいかない“喜び”…今は“喜び”の方か!」という言葉の通りです。
そもそも強さというのは、簡単に順位付けできてしまうものなのでしょうか?
一度倒されたはずの坂本ジュリエッタが「俺は好きなコの前で張り切る小学生だ…さっきの倍の力はでるぞ」と立ち上がるとき、彼の強さは単純なランキングを超えたところにあるはずです。
順位という目に見える強さの基準に代わって、バトルロイヤルで描かれるのはストリートファイターそれぞれの生き様です。ハッタリであり、安いプライドです。ファイターたちはみな誇りと葛藤がごちゃ混ぜになった感情を吐き出しながら、駆け抜けては散っていくのです。彼ら彼女らは負けることによって人としての輪郭を鮮やかに取り戻していくように思えます。勝敗はすでに二の次に感じるのです。その散り様にこちらのテンションもどんどんと回転数を増していきます。
そして全てのファイターが倒れ、主人公のエアマスターすら力を解放した十五漢渺茫に倒された後、最後に立ち向かったのはあの深道でした。決して自ら戦わず、傍観者に徹してきたあの深道が最後のファイターとして参戦したのです。ストリートファイターたちの散り様は、観客として、全ての戦いを見届けてきた深道の心をも奮い立たせたのです。
「金次郎のように力強くっ!!!!」
「長戸のように超激情!!!!」
一撃くらえば試合終了の、絶望的な戦力差の中で、深道はこれまでに駆け抜けたファイターたちの名を叫びながら戦います。
「“死神さん”くださいな……“エアマスターのようにしなやかで…”“坂本ジュリエッタのように超ハイパーな一撃…”」
「坂本エアマスター!!!!」
その一撃はついに渺茫を打ち倒しました。弱いはずの深道が、ラスボス渺茫に打ち込んだ究極の一撃。それはまさに、深道が、私たちが、今まで見届けてきた全てのファイターたちの戦いの結晶です。その一撃を放ったのが、観客=読者の代表である深道だったことに、私はどうしようもなく感動してしまいます。
キャラクターの強さを順位づけして、序列を固定してしまいたくなる私の願望を、『エアマスター』は最高の形で裏切ってくれました。弱い自分の立ち位置に達観して、戦うテンションを失ってしまった人間にもう一度活力を与えてくれる漫画です。誰もが金次郎のように、長戸のように、エアマスターのように、坂本ジュリエッタのように、そして深道のように立ち上がることができると熱く伝えてくれる漫画なのです。
『エアマスター』を読んでブチ上がったこのテンション、誰かにぶつけてみたくてウズウズしています。何か訳の分からぬことを叫びつつ、そのまま路上に飛び出して虎になってしまうかもしれません。