もしも学校にテロリストがやってきたら(月村了衛『槐』)

「もしも学校にテロリストがやってきたら」という妄想をしたことがありますか? しかもそのテロリスト相手に自分が大活躍してヒーローになる妄想を。

 こんな妄想をしていた人は大体クラスで目立たない内気な少年少女だったと思うのですが、普段目立たない俺が実はすごい力を隠し持っていて、異常事態の中で大活躍してクラスのヒーローになり、普段見下していた奴らの鼻を明かしてやるぜ、という非常に都合のよい願望が垣間見えてかわいらしいですね。

 でも本当にテロリストが襲撃してきたとして、中学生(高校生で妄想していた人もいるかもしれませんが)に何ができるかというと、多分何もできないと思います。なぜなら普通の人間は銃器を持った集団を相手に戦う訓練を受けていないからです。そこで妄想は一歩進んで「自分には自分でも気付かないうちに秘めた力が備わっているのでは?」という境地に達するわけです。

 実際、その力の理由を説明してくれるフィクションは数多く存在します。皆川亮二『スプリガン』では子どもの頃にさらわれて殺人機械に仕立てられた少年兵としての過去がありましたし、『ARMS』では凄腕の傭兵である両親から受けた教育がありました。いずれもベトナム戦争などの記憶が背景にあるわけですが、これらの設定は現代の少年少女には現実感がなくて妄想の具にしづらいのではないでしょうか。世界に戦争は絶えなくとも、日本の中学生にとっては遠い出来事になっているからです。

 藤田和日郎『瞬撃の虚空』に出てくるケンジロウ・サキサカは最強の兵士をつくるGHQの「モーメント・アタッカー計画」のモデルになった人物ですが、50年後の現代では人々に忘れられ孫にボケジジイとバカにされる日々を送っています。『瞬撃の虚空』からさらに20年以上経った現在は、ベトナム戦争終結からでさえ50年近くの月日が経っています。その中で戦争の記憶に強さの理由を求めるのはもはや限界があるのではないでしょうか。

 この疑問に新たな答えを与えてくれた小説が月村了衛の『槐』でした。

『槐』は半グレ集団「関帝連合」に占拠されたキャンプ場で野外活動部の中学生7人+教員2人が決死の抵抗を試みる話です。半グレ集団はトカレフ拳銃とショットガンで武装していて、殺人をレジャー感覚で楽しんでいます。さらに中国人系の構成員や彼らと結託したチャイニーズマフィアの中には中国拳法を極めた達人も含まれていて、首領の溝渕クンは常に屈強な黒人をボディガードに従えている国際色豊かな犯罪集団です。当然、ただの中学生に立ち向かえる相手ではありません。たった一人関帝連合と戦う力を持っていたのは、子供たちではなく野外活動部の副顧問・由良季実枝先生でした。代理教員として数か月前に赴任してきた由良先生の正体は、国外潜伏した日本赤軍最高幹部の孫、「最後の赤軍」「最後の闘士」と呼ばれる国際テロリスト三ツ扇槐だったのです。野外活動部の子供たちは由良先生から命がけの”授業”を受け、持てる力を合わせて関帝連合に立ち向かっていきます。

 もしも学校の先生が実は対テロの特殊訓練を積んだ凄腕の戦士で、戦う方法を教えてくれたとしたらどうでしょう。そうしたら平凡な僕たち私たちでもテロリストに立ち向かうことができて最高ですよね。『槐』はそんな最高のシチュエーションを描いた小説なのです。

 薙刀部の新条茜はモップとナイフを組み合わせた手製の薙刀で、元不良の朝倉隆也はバイクの運転技術で、部長の弓原公一は勇気と機転で凶悪犯の襲撃から仲間を守ろうとします。そこで描かれるのは、スーパーな力に目覚めた少年の活躍ではなく、戦い方を教わりながら等身大の力で困難に立ち向かう中学生の姿です。

『槐』はテロリストと戦う力の源を先生という身近な大人に委託することで、時代遅れになった「もしも学校にテロリストがやってきたら」という妄想をよりリアルによみがえらせました。その設定も荒唐無稽に過ぎず、「100%有り得なくはないかも……」というギリギリのラインを攻めています。関帝連合のモデルは有名な関東連合や中国系の構成員が多いとされる半グレ集団の怒羅権でしょう。三ツ扇槐の出自も、重信房子・メイさん親子が三十年近くアラブに潜伏していた実例があり、ギリギリ現実味のあるラインを保っています。一人だけ、素手で十数人の武装犯と拳法の達人を斃した強すぎる柔道の使い手が出てきますが、「柔道だ」「こいつ、柔道をやりやがる」というモブ半グレの叫びに押し切られてそれもありかと納得させられてしまいます。昔読んだハリーポッターのSSでハーマイオニーが「大理石で柔道はマジやばい」と言っていた覚えがあるので、実戦で柔道はマジやばいのでしょう。

 ところで左翼運動と中学生といえば『ぼくらの七日間戦争』では学生運動を戦った親たちが今や管理教育に加担していることへの幻滅が子供たちの間にありました。あと『十二国記』にも安田講堂から転生してきた学生運動家が登場していた気がします。いずれも全共闘世代が「夢破れた元若者」として描かれているわけですが、『槐』の由良先生はそうした鬱屈とは無縁のドライなヒーローだからかっこいい。何しろ砂漠に生まれ幼いころから世界中で戦い続けた「最後の赤軍」なので、悪人を殺すことに微塵の躊躇もありません。文庫版解説の杉江松恋が時代劇の<必殺シリーズ>にたとえた殺しのプロフェッショナリズムがそこにはあります。そんな殺しのプロと教え子をちっぽけなカントリーマアムの小袋一つが絆となって結び付けるという演出もまた素晴らしいです。

「もしも学校にテロリストがやってきたら」という妄想に覚えのある人は、『槐』を読んで今度は半グレと戦う妄想をしてみてください。その時に備えてとにかく柔道を習う、もしくは身近に潜伏している過激派がいたら仲良くしておくのが吉ですよ。

 テロリストが学校にやってきたらという妄想と戦争の記憶の歴史についてはピエール手塚さんの以下の記事を参考にしました。めちゃくちゃ面白い……。

https://mgkkk.hatenablog.com/entry/2019/02/04/121005


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