内乱の荒城

第1章

1.銀のスプーンを贈る

僕はあまり目立たない子供だった。運動や勉強が得意なわけではなく、社交的でもなかった。真面目でも創造的でもなく、勤勉でも自堕落でもなかった。育ての親が大きくも小さくもない畑で美味くも不味くもない小麦を育てていたので、夏は畑で作業し冬は本を読んで過ごした。僕には幼い頃から遊び相手をしてくれていたチャーリーという青年がいて彼が唯一の仲の良い友人だった。僕が生まれた年は隣国との戦争や政治方針の違いから生まれる内戦が頻繁に勃発し、呼び名を覚えている分の桁数では足りないくらい多くの人が命を絶った。だから育ての親が事故で亡くなったときもあまり悲しまなかった。その時僕は十八になっていた。
ことの発端は彼らの死から三か月ほど経ったある日、翌週に控えた旅の支度を終えてだらだらと夕食の買い出しに出かけた帰り道で起きた出来事だった。その日はパルシーの首都であるアムストルムの二番街が三日市で活気づいていた。昔は年に一度開催されていたそうだが、戦争時代にはそのような余裕がなかったので実に二十年ぶりの三日市だった。最寄りの河川港には巨大な貿易船がずらりと並び、各国から金儲けの情報を聞きつけた商人たちが大勢集まっていた。
大通りは人混みで歩けなかったので、少し遠回りして小川沿いの土手を歩いていた。その出来事は前触れなく起きた。
「あっちの河を下って北に向かったところでは赤ん坊が生まれた家に銀のスプーンを贈るんだ。」
あまりに怪奇な話しかけ方だったので、僕は思わず立ち止まった。落ち着いた女性の声だった。普通、知り合いでもない人に声をかけるとするならば、「すみません」とか「こんにちは」とかが妥当な言葉だろう。しかし彼女は、初めての相手にかけるにはいささか不自然な方法で、初対面の相手と会話の開始を試みたのである。僕は単独で、心理的に無防備な状態であった。どういうわけか、とても興味深い事象のように感じられた。それにこの河を下って北に向かった国―レンツッィア帝国―はまさに僕が来週あたりに向かおう計画していた旅のとりあえずの目的地だ。少しぐらい耳を傾けても悪いことはないだろうと思った。いや、実際のところそう思う前に振り返ってしまった。声の主は私よりも2つほど年下の女性だった。北方から旅をしてきたのか、厚い防寒着に黒いブーツを履いていた。彼女はこう続けた。
「魔除けのためだとか、一生食べ物に困らないようにとかって言われてるけど、本当はそんなんじゃないんだ。」
「じゃあどんな理由があるんだい?」
僕は隣人と世間話をするときと同じ口調で、たしかそんなことを言った。
「本当は、シチューに毒がはいっていないか、確認するためなんだ。」
隣人と世間話をするときの口調で、彼女も答えた。
「どうして銀のスプーンと毒入りのシチューが関係してるんだい?」
「どうして君はこの国で生まれたと思うんだい?」
その時、僕は確かに高揚していた。深い森を一人で歩いるみたいに。彼女のブレザーの左肩には王政関係者を示す”鎖の紋章”が縫い付けられていた。
彼女は僕の答えを待たずに続ける。
「君の過去を知らない。けれど君の過去を知っている人を知っている。」
そこでは彼女の長い黒髪の他に、河川敷に生い茂る薄の穂だけが静かに揺れていた。

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