ただ好きを書き連ねたかった
はじめに
11月27日。もはや人生の一部になっているソシャゲの完結が突然告げられた。決して打ち切りではない、完結だ。ありがたいことにオフライン版も出ると発表されている。
とても恵まれている。恵まれているのだ。それは頭で理解していても感情はいつまでも追い付いてこない。これから7周年を祝うところだったのに、7.2周年もやるんだって笑っていたところなのに、どうして? 今でもこの文章を書きながら涙があふれてきそうだ。
まだショックは飲みこめそうにない。それでも作中の印象深い言葉たちを思い出すと、ただここで蹲っているのも違う気がして衝動のままに筆を執った。
これは布教でもなんでもない。ネタバレになる内容もあるだろう。それでもメギド72というゲームの、こういうところが好きだという感情と感傷を書き連ねているだけの記事になる。
許さなくても良い
『個性的なキャラと好みの音楽が出てくる、ところどころ変なゲーム』。そのくらいの認識から一気に信頼を寄せるようになったイベントがある。クリスマスイベントの枠として出て来た『魔を呼ぶ狂気の指輪(現:BEHEMOTH後編)』だ。
初登場時には『やや偏屈だが悪いヤツでもない』という印象をユーザーに与えていたライオ隊長。寄付をしたりと善行もしている彼が実はかつて幼少期のアモンを虐待していた実の父親だと明かされる。
酒浸りの父親に小遣い稼ぎをさせられる、瓶で殴られる、腹が減っているならと食事を床に撒いた上で感謝を強要……Bリリムのキャラストではアモンの夢を通していかに酷い虐待を受けていたかが描かれている。
正直キャラストを読んだ時の毒親と今のライオの姿は結びつかなかったが、二人が親子だという事実は変わらない。
ライオも当時のことを反省して現在のような振る舞いをするに至ったわけだが、ライオがアモンにしてきたことはアモンの『メギドであるアモン』としてのプライドを引き裂き、深い憎悪を植え付けた。そんな父親を今さら受け入れられるはずがない。
それでもライオ隊長はアモンに許しを乞い、ダンタリオンは父親とちゃんと向き合えと諭す。
普通の物語であれば身を挺してアモンを庇う場面もあったライオ隊長を見直して和解するところだが……。
アモンは許さない。
許さなくていいのだ。そう思った時、自分自身も親との確執を持つ身として救いを感じたことを覚えている。
「親子なんだから」「こんなに謝っているんだから」「だからほら、許してあげなくちゃ」「その方が物語として美しいし」
そんな概念に縛られる必要はないのだ。憎しみは憎しみとして抱えたまま『許さない』という選択肢を選んだって良い。
それを描いてくれたこのゲームを、私は一気に信頼した。クリスマスにやる話としてはなかなか悪趣味だとは思うが。
きれいごとだけじゃすまない
メギドはエロ方面の話題は避けるものの、それ以外にはグロさもシビアさもわりと容赦がない。
先の親子の話もそうだし、シャックスが植物状態になった時には「大事な仲間なんだから生かし続けるに決まっている!」と二つ返事をするソロモンに医療メギドたちは介護につきまとう多大な負担を冷静に説く。スコルベノト初登場回には「あれもこれも嫌だ嫌だと駄々をこねるやつも多様性の一部であり、多様性と称しておいしいところだけを享受することはできない」を突きつけて来た。スコルベノトについてはいずれ独特な個性の活かし方を見せるようになったが。
理想や情があっても現実はそう綺麗なだけでは済まない。ただ露悪的なわけではなく「でも実際問題こういうこともありますよね?」を淡々と描いてくるところも好きだ。でもグロ描写になると筆が走りがちなのはライターの趣味だと思う、特に当事者による被害実況解説。
群像劇がうますぎる
6章で伝令役のフォカロルが姿を見せた時の衝撃を今でも覚えている。あそこから登場メギドが一気に増え、ソロモンを中心とした視点から各地で活動している仲間たちの視点まで拡張された。ここから木場筆雄の群像劇のうまさに感服したと言っても過言ではない。
中核として目的を持って活動をするソロモンのグループ。それとは別に細分化した軍団員たちがそれぞれの目的意識を持って行動していく。いちいち指示を出さなくても大目的を共有すれば個別に判断して動けるのはメギドという種の戦争慣れ、賢さ、あるいは軍団長クラスが多いという集団の強みか。
多様性の軍団というだけあって色んな視点のメギドがいるので、あるキャラが選択肢を提示して他のキャラがそれを否定することで今の選択肢を補強するような流れも自然に行われている。
一部はソロモンたちの目的とは関係なく動いていたりするのに点と点がいつの間にか線として繋がり収束し、勝算になる。その手腕が鮮やかで毎回カタルシスが凄まじい。戦争社会では活躍できないはみ出しものが意外な形でジョーカーになる時などたまらない。
何か大きな存在一人が描いた画通りに都合よく展開するわけではない。一人一人ができることを精一杯やることでより良い未来をつかみ取ることができる。物語の都合が透けて見えることがなく、あくまで当事者たちの選択の結果だと思わせてくれるのもうれしい。
メインが更新される度に毎回面白い、どんどん面白くなっていくと言っていたがやはり私は群像劇の色が強い6章、9章あたりが大好きだ。
この世界はありがとうでいっぱい
そんなメイン6章にメギド72のキーワードの一つだと個人的に思っている言葉が出てくる。
アドラメレクの副官と決着をつけ、ソロモンと合流したマルファスが口にする言葉。
世界はありがとうでいっぱい。良い言葉だ。
これをバルバトスが口にしたなら「さすが吟遊詩人は気障なセリフも慣れたものだな」で片付けられるところだろう。しかしこれを言っているのが普段斜に構えた発言をしがちなマルファスというのが面白い。
ギャップを売りにしているメギド72ではあるが、何でもかんでもやらせるわけではない。キャラの価値観や生き様を積み重ねた上で言わせることで深みが出る場面が随所にある。これもその一つだと思っているし、次に挙げる台詞も一入だと思う。
過去は白く強い光だ
在りし日の大罪同盟の姿を垣間見たソロモンから「何故アスモデウスはそうもあの頃を否定するのか」と問われるシーン。
なんという。なんという痛烈な言葉だろう。
正直、詳細が明かされる前の大罪同盟はもっと力を持つ軍団長同士がお互いを牽制し合うギスギスした関係だと思っていた。しかし本編やらルシファーのキャラストやらで「これってもう部室の光景じゃん」と思うくらい居心地の良さそうな空間が広がっていた。そんな時期を、あのアスモデウス自身も「白く強い光」と評することが感慨深い。そしてその光を殺さなければならないと語る気高さよ。
メギド72のテーマの一つは変化なのだろう。特にヴィータの肉体を得た者は激しい変化の波から逃れることはできない。過去に囚われることは変化の否定でもある。生きている以上、それではいけないのだ。
理屈はわかるが、それは言うほど簡単なことではない。長く生きれば抱える過去が増えていくから猶更だろう。それを自覚して実行できるアスモデウスはやっぱり強くて格好いい。
キャラの落とし込み方が好き
好きなキャラはたくさんいて語り切れないのでとりあえずインキュバスとサキュバスの落とし込み方が面白いなっていう話。
インキュバスとサキュバスって超メジャーな存在じゃないですか。異性を誘惑する設定上、だいたいえっちなお兄さんお姉さんになると思うんですけど。それを身長低めの中身中学生くらいの男子と夢カワギャルにする作品はそうそうないんじゃないかな。
この2名は普段よくつるんでいるのがなんだかんだ同性メギドというところも面白い。異性にちょっかいをかけることはあってもウマが合うのは同性メギド。おそらく同性ユーザーからも支持されている。サーヤかわいいよサーヤ。
当人が狙っているのか無自覚なのか定かではないが、サキュバスはサーヤと愛称で呼ばせるのも巧い。愛称で呼ぶと自然と好感度が上がる作用がある。夢カワでもさすがはサキュバス、人心掌握が上手。
そしてあまりにも強すぎる誘拐編。
ふたりでみるユメで101年の夢を先を見ような……。
衣装も露出とはかけ離れた水着で良い。サーヤが所謂サキュバスらしさを見せるのはメギド体の時くらいだ。
水着となるともはや下品と呼べるほどの露出をするゲームもある中、メギドは「まぁ当人がそういうキャラだからな……」で納得できるキャラ以外過度な露出をしないので安心できた。アンドレアルフスにはバニーを着せるけど。
一方、インキュバスの好きなシーンとして声をかける相手を挙げていったら結局全員じゃないか!になる場面と、負けた女にただ静かに寄り添う場面がある。
いい男すぎるだろ……。
三馬鹿の中でも刹那的でシンプルな生き様をしている印象だったインキュバスが見せた一面。力で魅了した女を便利に使うだけではなく、寄り添うことができるようになったのはCインキュバスのキャラストの影響もあるのではないかと思う。Cインキュバスのキャラストを読んでくれ。
メギドミー賞
メギドミー賞においてベストストーリー賞を獲得したイベント『死を招く邪本ギギガガス』はやっぱり名作だと思う。
ベリトの愉快な仲間たちに組み込まれてちょっとワクワクする冒険をしつつ。ベリトとアムドゥスキアスの意外な関係が明かされつつ(ついでにそのためか本編でベリトがちょっとアムちゃんを気にかけるシーンがあって良かった)。ベリトのキャラストの答え合わせのようなことをする。寿命差っていいよね。
そして繰り出される渾身の『永遠意光 ~Twilight』。劇場版メギド72かな。
何故か歌も聞き放題なメギド72……だったのだが、ラ・ヴィータも閉鎖してしまうらしいので悲しい。
メギドミー賞で司会をしていたアンドラスが思っていたより表情豊かなことも知りました。ありがとう。ところでメギドミー賞って結局何だったの?
第一回と銘打ちつつ二回目以降はなかったメギドミー賞。
文章の読みやすさが異常
ストーリー系ソシャゲを掛け持ちしている人ならなおさらわかってくれるのではないだろうか。メギドの文章は異様なほどに読みやすい。文字送りや改ページが変な位置で挟まって引っかかることがまずないのだ。当初はあまり気にしていなかったが、1行に20字も使えない環境下でこれができるのはすごいことだ。メギドの文章であればこんな「す/ごい」で改行されるような無様な真似はしない。やはり技前なのだ。
この文字数制限の中で状況を整理したり過去改変による現在への影響を解説したりするのだから恐れ入る。
彩りを添え続けた曲の数々
音楽の良いゲームが好きと自負している私も大満足の音楽たち。これも好きな曲を挙げていったら限りがない。戦闘曲は格好いいしフィールド曲もこれからこんな雰囲気の物語が始まるのだろうかとワクワクした。
それでもやはり印象深いのはイベントストーリーの終わるタイミングに合わせて歌い始めた俺らイケメンだろう。あれを皮切りに今回は歌うだろうかと楽しみが増えた。召喚演出はストーリー終了と同時に歌が始まる回はワクワクしたものだ。
ゲーム体験と直結するのがゲーム音楽の強みだろう。エルプシャフト音楽団による演奏を聞いても曲ごとに戦闘やイベントの記憶が呼び起こされる。コンサートでソロモン王の伝説の生演奏を聴いた時は比喩抜きで泣いた。
永遠意光 ~Twilightの作曲から俺らイケメンまでこなす、ヨリサキーノの引き出しの多さにはいつも舌を巻いていた。曲の方が勝手にあがってきたから採用したという裏話も大好き。
最後に
ありがとうメギド72。何をする気力もない時でも帰りが遅くなった日でも、メインストーリーが更新されればその日に駆け込んで読みにいけたのはあなただけです。メギドがなければ初めての同人誌を作ってイベントに殴り込むこともなかったでしょう。
オンライン版の停止まであと三ヶ月。そう遠くない未来に眩しすぎる光になるとしても、それはまだ今ではない。鬼才・木場筆雄がこの長い長い旅路をどう締めくくるのか、最後まで楽しみにしています。