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「プレゼントの本当の中身はなんだったのか」

「プレゼントの中身はなんだろう?」



誰かにプレゼントをしたとき、プレゼントをされたとき

それが当然のこととして過ぎ去っていくことは悲しいですよね

自分がプレゼントをして

そのプレゼントしたものが、

床に放置されていたら、とても悲しい。


それは何故なのか?


誰かに何かをあげたい、と思ったとき
人は思いを巡らせます。

何色がいいのかな
サイズ感はどれくらいかな
どんなシリーズがいいかな
一つ前のモデルのほうが似合うかな
こっちの方が喜んでくれるかな

色々な思考を巡らせ、手元に届いたものを
その思った相手に渡します。


思い出してみてください。

そのとき、自分もとても嬉しかったはず。

相手の喜ぶ顔を見たくて、人は与えます。


物やお金はそこまで意味をなさないのではないでしょうか。


「モノに罪はないよ」と言う人もいます

確かにそうです。

でも、そこにはその「モノ」に込められた人の気持ちが確実にあります。


だからこそ、
その目に見え、触れることが出来る「モノ」が無碍に扱われると
自分の気持ちも雑多に扱われた気がして、腹が立つ。


正確に言うと腹が立ったわけではないのです。


自分の気持ちを粗末に扱われたことが、ただただ悲しかったのだと考えます。

大切な人からもらったものは大切にしよう。大切な人を悲しませないように。


大切な人を大切に出来るという1つのパーツとして。



モノの価値とはそういう「くれた人の気持ち」に思いを巡らすことです。

思いに対して、自分の思いを馳せること。それが最も意味があり、価値があります。


子どもたちにこのことを話しました。

その与えた人の「心」や「気持ち」が最も大切だということ。

モノを大切に扱う、というのは
人の気持ちを大切にする、と言うことと同義なのだから。


全ての出来事に対して人の気持ちが関係しています。

「約束を守ること」は約束した人との気持ちの繋がりを強くするためのものだし
「笑顔」で接することは、相手の気持ちをより良くしたいという意識の現れです。

それもきっと、経験し自分で気付くときが必ず来る。

気付いた時は、その時から実行してほしいと願っています。



そして、してもらったことは
自分が大切にされていたからなのだ、と思ってくれたら本当に幸せなのだけれど。


深く人の気持ちを考えられる人にわたしはなりたい。



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今日はゆっくり子どもたちとお風呂に入って、
今日の1日を出来事を話し、どういうことをして、どう感じたかを
質問しよう。

わたしが出来ることは、子どもたちの気持ちを1番に理解すること。

自分のことをわかって欲しいと、人は誰しも思っている。
その1番の理解者になろう。

わたしの気持ちは母には一生絶対わからない、と思っていた。
だから、僕の気持ちはママが1番わかってくれている、と思ってくれるような
母にわたしはなりたい

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