無題(2024.10.20.~23時頃)

こんばんは。水瀬うたです。
すぐ続き書く~みたいに言っていたのに遅くなってしまいました。
初めに言っておきますと、受けたところが晴れて一つ、落ちました!
思ったよりも受験者が多かったことなど諸々から受けた時からもうああこれダメやな笑ってわかっていて、だからその後のことを書く気になれず、現在に至ります。
とりあえず別のフリースクールでのお仕事に今は応募中です。
そんなこんなで、まあまあ荒んでいます。

というか、正直、前回の記事の時にも、多分無理に前向きで明るいことを言おう言おうとしていたんです。
無理やりにでも、自分は前に進んでるとか、もう大丈夫だとか、今ここにいることにも無理に意味を見出そうとしていました。
この記事だって、別に誰に見せているわけでもないのに、誰かに呼びかけるように書いている。自分は、何がしたいのかわからないです。

前にダウンした時には、私は社会科に絶望していました。
昔から好きだった社会が嫌いになりそうだった。
元々、私が社会を好きになったエピソードとして大きなものは二つあります。
一つは、小学生の時に初めて公民分野について塾で習った日に、うちに帰ってきてニュースを見ていたら習ったことと重なることが出てきて、テキストの中のことじゃないんだ!ちゃんと現実の、自分と身近なことなんだ!と思い、興奮したことです。
もう一つは、幼いころからよく祖母が戦時中の話を聞かせてくれていたことです。祖母もその時は幼く、物心つく前で自分で覚えているわけではなくて、曾祖母から昔から繰り返し聞かされてきたことらしいのですが。
曾祖母がまだ幼い祖母をおぶって列車に乗って疎開したとか、小さい子がぐずるのをみんな疎ましがるからなけなしの白いご飯で作ったおにぎりを先に配って頭を下げて回ったとか。
それも同じく、歴史の教科書の出来事じゃない、自分の身近な人が経験した、本当にあったことなんだと思ったから、聞いていて面白かった。

その他にも、小学生のころ女性の偉人の伝記が好きでアンネフランクの伝記から年代を計算してみたらもしアンネが生きてたら祖父と同じくらいの年齢で今この同じ世にいてもおかしくなかったんだ、って気づいたときとか、中学生の時の社会の先生が言っていた言葉や話していた話とか、数えてみたらたくさんあると思います。
でも総じて、自分も今を生きているこの同じ社会の中の出来事を知ることなんだと思うことにすごくときめいたんだと思います。地球の裏側の人とも、何千年も昔の人とも、実はみんな繋がっているんだ、っていうのが私にはすごく魅力的に思えた。
そして、ちっぽけかもしれないけど、大きな社会という中で自分もその一員だから。その構成員の一人として、みんなが幸せになれる世の中を本気で作りたいと思った。小さな力でも、一人一人がそうやっていくことで、この世の中は良くなっていくと思った。

でも、社会科について深く学んでいけばいくほどに、どうすることもできない不条理に、次第に思いつめるようになっていました。
酷い暴力があったり、どうすることもできない格差があったり。ちょうどその時はコロナの時期で、そのこともあって余計に無力感に苛まれていました。
社会は、知れば知るほど、理不尽なことにあふれていて、自分もその中の一員なんだということが自分の首を絞めていました。
自分には何もできない。知れば知るほど、考えれば考えるほど、何かをよくする方法なんてわからなくなっていく。
アメリカの老人ホームで、コロナの大量感染が起こってしまって、たくさんのお年寄りが亡くなった、というニュースがやっていました。当然ご遺体からも感染する可能性があるから、そのご遺体はゴミみたいに運び出されていて。中には、身寄りのない方も少なからずいたようで、それを見た時、この人たちの人生は何だったんだ、と愕然としました。

自分自身のことでも、大学進学の時、奨学金の審査にどうしても通らなかったんです。それはなぜかというと世帯年収で見られるから。
でもその時には両親の仲はもうかなりギスギスしていて、私も父とは仲が悪かったこともあって実質的にはお金を出していたのは母だけでした。つまり、実情は片親と何も変わらなかった。
進学後、私が父にたてついたせいで、仕送りを止められて、コロナでバイトを見つけるのも大変な中自分でやりくりして生活していました。
やっと両親が離婚して、そのことで母の会社から教育ローン的なのを受けられるようになって、母が仕送りをしてくれるようになり、少し生活が楽になりました。そんな折に、市の福祉課から困っていませんか?みたいな手紙が来ました。片親になった途端、お金助けてあげましょうか?みたいな。
本当に腹が立ちました。本当に苦しかった時に、そんな風に言う人は誰もいなかったのに。私たちが本当に困っていたのは父がいた時なのに。父がいたから、むしろすごく苦しめられていたのに。
「子どものこと愛していない親なんていないよ」とか、
「反抗期だね」とか言って笑われて、私の訴えに耳を貸してくれる人なんて全然いなかった。

また、進学したらずっとやりたかった演劇がまた思いっきりできると思っていたんです。それなのにコロナで思うようにできなくなって、やりたくても大学から全然許可が下りなくて。大会に出るならいい、みたいな通達があったりして。
うちの大学は合唱部が強くて、同じ頃合唱部は実績があるから、大学の名前が売れるからなのか知りませんが遠くの県外の大会に行っていたんです。
正直、何なんだと思いました。合唱部の友達が大会が大変で~みたいなことを言っていた時、その子に罪があるわけじゃないから、うんうんって聞いてたけど、正直演劇と同じように大勢の人の前で声を出すから感染の危険はあるはずなのに顧問がいて名前が売れるからって県外まで行けて自分たちの好きな活動できるんだからいいじゃん、そのくせ何言ってんのと思いました。
もちろん合唱部も活動制限はあったと思うし、思うように好きに活動できていたかと言ったらそんなことはなかったとは思います。
でも、私たちは集まることすら制限されている中で、県外にまで行けて、それなのにあーだこーだ言っていることに心底腹が立ったのを覚えています。

そういったいろんなことが積み重なって、社会の大きな波みたいなものに成す術がないことに絶望していました。
同じ学科の友達の中には、それはそういう社会が悪い、とうそぶく子もいましたが、私はそういう社会にしてしまっているのも個人の積み重ねだと考えていました。でも自分には何もできない。自信を持って、「社会はいいものだよ」と子どもたちに教えることができない。
大好きだった社会科について突き詰めていくこと、そしてそれを伝えていくことに迷いが出ていました。

そんな時に、私の救いになったのは、こうして言葉を綴ることでした。
どうすることもできなくても、自分の中にある思いを表現することができる言葉の力に惹かれました。
社会科と同じように、国語も昔から好きでした。
小さい頃には気づくとたくさんの本を読んでいるような子どもでした。
物語の中の世界の登場人物たちに思いをはせて、気持ちを重ねて、その世界に自分も入っていくのが好きでした。
人見知りで、友達を作るのが苦手だった私の隣で、わくわくする世界を見せてくれていたのが本でした。
また、中学生の時に百人一首を習った時に、何千年も昔の人の思いと今の自分の思いに重なる部分があることにすごくわくわくしました。何千年経っても変わらない人を想う気持ちに胸が高鳴りました。
当時、国語の先生の大学時代の話を聞いて、もし大学に行って文学部とかに行ったら、嫌いな数学なんかはしないで、この文学の世界について思いっきりもっと詳しく勉強することができるんだ!とすごくいいなと思ったのを今でも覚えています。結局私は文学部には行かなかったのですが。
でもどうしようもない現実社会に打ちのめされた時、私を助けてくれたのは言葉でした。どうにもならないことを言葉にすることで、言葉を使って作品の中に落とし込むことで、現実ではどうにもなっていないのかもしれないけど、でも、なんだか報われた気がした。
中にはそうした作品を通して思いを共有することができたりもして。

自分の中のどうしようもない感情を、そのまま現実世界に出したら私は殺人犯になる。
そのくらいに理不尽な世の中に対する怒りや恨みがあって、でもそれを作品にして表現することができたら、それは一つの作品になって。
そんなことでああ、私国語も好きだったなって思い出して、言葉に救われて、その頃から国語の副免許を取り始めました。
他の作品に触れるのも、すごく面白くて。純粋にわくわくしました。
素直に面白いでしょって言えることを子どもたちに伝えられることに、いいなあと思ったりもしました。

でも、正直言って今は言葉に絶望しています。国語の方が嫌いになりそうです。
先日教採の勉強をまた最近していると書きましたが、多分まだ全然日もあるし余裕があるからっていうのも大きいとは思いますが点を取るためだけではなく、純粋に社会の仕組みや歴史についての知識を蓄えていくことが面白くて、そのことの方が今の私には救いになっています。
繰り返されるアホな歴史とか、今ある社会の仕組みとか、高校の時は選択していなかった地理とかも。ああ、こういう理由があってこういう出来事が起こったんだな、過去にあったこれが何百年後に影響していたりするんだな、この場所はこういう土地や気候の特徴があるからこういう産業が発展しているんだな、こういう問題があってこの制度や法律ができたんだな。
そんな風にたどっていくのは、楽しいです。久しぶりに、ああ、私社会好きだったなって思えています。それは、現実の自分の問題からは目を逸らすことができるからでもあるのかもしれません。
不条理すらも、ああ人間ってそうだよね!ままならないよね!!みたいな感じで楽しんでいます。
昔、恩師が「歴史にifは存在しない」、「でもそれを考えるのが面白い」と言っていました。本当にそうだなあ、と思いながらやっています。
もう史実を変えることは絶対にできないけど、でもほんの少しだけでも何かがもし違ったら。大きく今も変わっていたのかもしれない。そんな繋がり、結びつき、歴史の情緒に面白いなあと今は思えています。

言葉に絶望している、国語が嫌いになりそう、というのは、そう言ってしまうとちょっと言葉が強すぎるかもしれません。
ただ、言葉の限界は感じています。
名前のない何かの事象に対して、言葉が与えられて名前がつくことでそれが形取られて実態を持つことがある、というのもそうだとは思うんです。でもその一方で、その言葉が持つ意味って使う人によって違うんだよなあと思いませんか?
これは昔から思っていたことなのですが、「友達」という言葉がありますが、でもそれは正しく人の関係を示すことができていると思いますか?
AさんとBちゃんとCくん、みんな私の「友達」かもしれないけど、でもAさんとの関係、Bちゃんとの関係、Cちゃんとの関係って全部違うよなって。
でも言葉にしようとしたらその関係性はみんな「友達」なんですよ。
なんと言えばいいでしょう、みんなその言葉の中に包含している大体の意味合いって共有しているとは思うのですが、でもその範囲とか、境界線とか、具体的にその中のどの部分にそれが合致するのかって、全然違うと思うんです。
そういう些細なすれ違いで、人って簡単にぶつかってしまうよなあって。
その人にとって、「友達」であることには間違いはないのに。
嘘をついているわけではないのに。
でもそういった違いから起こる衝突とか争いとかすれ違いって絶対にあるよなあって。

それに、こと人の感情においては、その現在ある言葉ではとても表しきれないものって思っているよりもたくさんあると思うんです。
そうなったら、人と真にわかり合うことなんて不可能だよなって。

言葉に絶望している、というのは、とらえきることのできない自分の思いに絶望している、といった方が正しいのかもしれません。

自分のことをわかってもらいたい。
相手のことをわかりたい。
そう思うのに、言葉にし切れない。

私、心が壊れてしまって、自分でもわけがわからなくなって、でもそういう経験があるからこそ、人一倍自分自身と向き合ってきたつもりです。
そんじょそこらの就活生なんかよりもずっとずっと、暇さえあれば自己分析していたと思います。
それでもわからないんです。
そんなこと考えたこともないような人に、それで「わからない」って苦しんでいることを、「自己分析できてない」って揶揄されるんです。
わかったと思ったのに。わかったと思ったら、また自分ではどうすることもできない感情に飲み込まれて、わからなくなるんです。

これも私は昔から昔から言っているのですが、言葉を大切にする人間の中には二種類あると思っていて、
よりぴったりの言葉を見つけたいからこそたくさんそこにいろんな言葉をぶつけてみてしっくりくるものを見つけようとする人間と、
よりぴったりの言葉を当てはめたいからこそよりぴったり当てはまるものを自分の中で探し求めて寡黙になる人間。
まあ一人の人間がどっちかだけってことはなくて、状況によってどちらにもなり得るとは思うのですが、私はもっぱら前者の人間だと思います。
言葉はたくさんあふれていることを私は知っています。
そんな豊かな言葉を愛してもいます。
だけど、だからこそ、その中にはとても強いものもあって、特に私は言葉が好きで大切に思っていてたくさん知っているからこそ、言葉の方が先に立って強くなりすぎてしまうこともあるみたいなんです。
それだけしても自分のこのやるせない感情を適切に表すことができないこと、
自分の感情に見合わずに、言葉の方が先に暴走して大切な人を傷つけてしまうこと、
自分の思ったのとは違うように言葉が相手に伝わってしまうことがあること、
言葉が深く深く相手を突き刺す凶器になり得てしまうこと、
そんなことに、どうしようもない気持ちでいっぱいです。

それに、本当に正直に言うと、私の言葉を、その言葉によって創り上げた世界を良いと言ってくれる人がいればいるほど、いつか悪いと思われてしまうこともあるんじゃないかって、怖いです。
私は、何も考えずに、自分の思うがままに綴っていただけなのに、私は何も変わっていないのに、言葉や作品だけがひとり歩きして、私というものの評価が簡単に変わってしまうことが怖いです。
言葉って、すごくその人の人柄が表されますよね。言葉に限らず、表現物ってすごくその人自身を文字通り表すものだなあって思います。下手したらリアルのその人以上にその人の内面の本質を表していることがある。それは私もそう思います。だからこそ、私もその人の内側に触れることができるような言葉や作品に触れることがとても好きです。すごく心動かされます。
もっと言うと、私は人のことをより深く知ることが好きなのかもしれません。
その人の考え方とか、ものの見方とか、よりその人の根幹を成すものが何なのかを知ることがとても好きです。それがたとえ自分とは違くても、むしろ違うからこそ、面白い、と思ったりもします。表面的なその人を知ることよりも、私はそんな風に人の内側を知ることが好きです。それは、国語が好きなこととも、社会が好きなこととも通じるかもしれません。
でも、逆に、それを知られることって、怖くないですか。
人のは知りたいと思うくせに、都合が良いかもしれないけど、そんなに深く知られたうえでそれを否定なんかされたら、自分の根っこが揺らぐ気がしてしまうんです。

このnoteを始めた時にも、別に誰に褒めてもらおうとか、そんな気はなかったんです。
もちろんそんな素の自分を認めてもらえたら嬉しいけど、でもそのためにしているわけじゃなくて、自分のために、言葉にしたいと思ったから、このnoteを始めました。
その中で、こういう風にそのまま自分の気持ちを書くこともあれば、作品を通すことで書けることもあれば、いろいろでした。
演劇もそうでした。ごく純粋に、自分が心動かされたその世界を自分自身で演じて表現することを楽しいと思ったから、好きだったはずなんです。それは、他でもない、自分がそうだったはずでした。自分のためだけの世界のはずでした。他の人の世界に触れることができた時に私自身もそう思うのですが、多分、だから面白いんですよね。その人の、その人のためだけの世界だから。何の打算でもない、ただ率直なその人自身だからこそ、心動かされる。私のものを見て良いって言ってくれる人だってそうなのかもしれない。嘘偽りがないからこそ、それに惹かれるのかもしれない。

でも、私の作品を見て、良いって言ってくれた人がいて、私はその人に心を預けすぎたんです。
私の作品を良いって言ってくれるってことは、それは他の何を見るよりも私の本質を良いって言ってくれることだと思います。だからすごく嬉しかった。自分を認めることができない中で、誰かのためじゃなくて、ただありのままの、素の自分で好き勝手に取り繕わないで書いたものを、飾らない私の本質を良いって言ってくれた。
初めて、本当に素の自分を認めてもらえた気がして、すごく嬉しかったんです。
この人であれば、そのままの自分でいられるのかもしれない。
この人になら本当の自分を、心を預けてみてもいいのかもしれない。
そう思いました。
でも、いつからだろう。いつの間にか、それが逆転してたんだなって思います。
その人は、私と直接知り合うよりも先に、私のある脚本を見て、私のことを良いと思ってくれた人でした。脚本から知っているので、私が演劇の人だってことはその人も知っていました。でも、私がお芝居をしているところを見たことはありませんでした。
直接知り合ってからかなり経った後で、私が出演している舞台を見に来てくれる機会がありました。
正直に言って、その時めちゃくちゃ怖かったんです。なんだこんなものかと思われてしまうんじゃないかって。
少し話が横道に逸れるのですが、演劇や文学には関係のない友達が、演劇をやっている子と付き合っていた時、不意に思いがけずその子の演劇の世界に不躾に踏み込んでしまうようなことがあって、そうやって立ち入られたことが許せなくて別れた、ということがありました。
私はその話を聞いた時、そりゃそんなことわかんないよねえ他人にはねえ、気をつけようがないよねえ、と気の毒に思う反面、その許せなかった気持ちもすごくわかってしまったんです。私もその立場でそう感じてしまったら許せないかもしれないなって。まあ純粋に私にとっては二人とも大切な友達だったから、どんな理由であれどちらか一方の肩を持つことはできないなっていうところでもありましたが。
大なり小なりそういう自分にとっての聖域みたいなものって誰しもあるとは思うんですが、演劇とか文学とかそういう表現の世界に魅入られる人ってそういう世界を深く持っている人が多いんじゃないかなって気がします。そんなことないかな、みんな何かしらはあるものかな。数学者だったら数学、科学者だったら科学なのかな。わかりませんが。
でもまあ私は自分自身がそういうベクトルにそういう世界を持っているからこそ多分そう思うんだろうな、とは思います。なんだろうな、自分が大切にしているものというか。自分の中の、自分のためだけのもの。簡単に人に触れさせることを許さないもの。自分の中の、自分を形作るための、やわらかいもの。やわらかい部分だから、繊細で、傷つきやすくて、すごく、すごく大切なもの。
私にとってそれは言葉でもあり、演劇でもあり、社会科でもあるのかなとも思います。教育に携わりたいと思う気持ちとか。本来であればそれは、誰かのためのものではない。自分のためだけの、自分を形作るためのもの。

それなのに、そのはずだったのに、それは誰かに認めてもらうためのものではなかったはずなのに、それを良いと思ってくれたから素の自分でも良いって思ってもらえた、って経験だったはずが、いつの間にか、その人にダメって言われたら私の根幹自体がダメって言われているみたいな気がして、逆になっていたなと思います。
本っ当に本当に自分の本質だからこそ、それを否定なんかされた日には生きていけないですよね。どうでもいい人からならいいよ、それこそ、これは自分のもの、わからない人はわからない人、それは他人って思えれば良かったかもしれない。それを否定する人が他人だったら、その別れた彼女のようになんだこいつって私がその人をシャットアウトして終わりだった。
というか、本来そういうもの。だって、自分だけの聖域なんだから。
誰になって言われたって、私にとっては大切なもの。私だけの宝物。私を私たらしめるもの。だから、それを踏みにじるのであればそれは私にはふさわしくないって、同じものを大切にできないって、拒絶して然るべきだったはずなんです。
そのはずだったのに、いつの間にか、その人のことが大好きになりすぎて、そうやって心を預けすぎて、この人に無価値だと言われたら何の価値も持たなくなってしまう気がした。素の自分を良いって言ってくれたからこそ、なんて言えばいいのか、その人にダメだと言われることは素の自分が許されなくなることな気がした。
評価されるためではなくて、ありのままの自分で、そういう中でわかち合える部分があったからこそ救いになっていたはずなのに、なんでだろう、いつからなのかな。逆になってしまっていた。
そうしているうちに、自分で自分のこと、どんどんわからなくなっていった。そうやっているうちに、知らず知らずのうちに、その人が望むのはこういうことだろう、その人が好きな私ってこうだろうって、多分本当に自分でも無意識に無理して合わせてて、だから、自分が何を大事に思うのかとか、自分が目指すものって何なのかって、わからなくなっていた気がします。
新しく物語を書くのも、私怖くなってました。
今回は駄作だな、とか思われたらどうしようって。
でもその人が良いって思った私って自分がある私なんですよね。だからたとえそれが実は自分のためだったとしたって、そんなこと頼んでないし、人に合わせて流されて自分がない私なんか好きなわけがない。そもそも自分の人生があるんだから他人の人生なんか背負えなくて当たり前。みんな自分の人生に精いっぱいなんだもん。
私の書く物語や表現を良いって思ってくれる人だから素の自分を認めてくれる人、だったのが、私の物語や表現をその人に否定されたら私の素がダメになる気がして、本当の自分をどこか捻じ曲げていた部分があるのかなって。
でもそんなの私じゃないから。

なんか結局そうやって揺らぐのって言葉がどうとか社会がどうとかじゃなくて、根本的に自分の存在自体を私自身が許せてないからな気はしてきましたが。

大嫌いだった父の言葉が思い出されます。
私、2歳の時から小学校1年生の時までピアノを習っていて、父が言うには私がやりたいというから習わせてやった、そうなのですが、練習サボってばかりいて辞めさせられたのですが笑。
自分が言うからやらせてやったのにお前は自分がやると言ったことも続けられない、とずっと言われました。大学受験で上手くいかなかった時にも言われました。後から人にそれを言うとき自分のことながら引くんですよね、辞めて10年以上経つのに言われるのなかなかやばいなと思います。18歳の時に7歳の時のこと引き合いに出されてお前は何も続かない、何の努力もできないって言われるのやばくないですか笑。
まあ、それで、小学校の3年生だか4年生の時に、教室にピアノがあって、昼休みに引くのが楽しかったんですよね。そんなことを父に言ったら、
「続けるのって苦しいけど、久しぶりにやると楽しく思えるんだ」と。
確かに練習しろ練習しろと言われてもやらなくて、嫌だったのですが、強制されるわけではなくやるのは楽しかった。
多分何事も、どんなに好きなことでも、続けていると壁にぶつかることがあって、苦しい瞬間ってあるんですよね。社会科でもそうだし、国語というか、物語を作ったり、演劇をすることにしてもそう。
そんな風に社会科が苦しくなったから国語科に浮気して、国語科が苦しくなったら社会科に戻ってきて、みたいなことなんかしてる私は、どちらか一方を苦しくても続けている人から見たら、中途半端に見えて当然かもしれません。
でも社会科を知っているからこそ見える国語科も、国語科を知っているからこそ見える社会科もあって、少し離れて他のことをして、でもその中からももう一方が見えたりもするからこそ、どっちもやっぱり好きだったなって思えてるのかなとは思います。時間を置いて社会科に触れたからやっぱり好きだったなって思えたとは思います。でも理解はされないよなとも思います。

それだけ大切なものだからこそ、時にわかってくれると思う人にだけ変に選民的になる時もあれば、この人は違う、わからないに違いないと勝手に決めつけて排他的になることもあると思います。それは悪いこととかじゃなくて、自分にとって、それが宝物だからこそだと思います。私にもそういう部分はあると思います。
私にとっては、国語も社会もどっちもそういうもので、同じものを好きって思う人には一緒だねって思っちゃってたけど、どっちか一本の人から見たら一緒にするなと思われて当然です。
同じものを好きな人って、だから怖いよなって思います。共有できている時にはいいけど、それがほんの少しずれてしまったら?自分はそれでも精いっぱい大好きなつもりなのに、技術とか、知識とか、そういう目に見える部分で敵わないって思わされたら?自分では大切にしているつもりなのにその程度だとなってしまったら?
だからかえって私はその人だけが持っていて私は知らない世界にはあえて絶対に触れないようにしていました。自分の知らない地雷を踏むのが怖かった。
でも同じように、それなら、自分の世界だって誇っていいはずだったのに、他でもない私自身が、自分自身の世界を蔑ろにしていたから、本当に私がしたいことってなんだっけ?って、わからなくなったんだと思います。そうしているうちに壊れてしまったんだと。

私が私の思うことを信じられなかったから、私が散々に言われている時に、その会話の中で私が大切に思う人のことももれなく否定された瞬間があって、私それが何より悔しいんです。
その時には、もう本当に何がなんだかわけがわからなくなっていて、自分の抱く感情は全てが間違いなような気がして、他の人がその人の聖域を無神経に踏み抜くようなことを言った時、その時にもむっとはしたし普段の私なら間違いなく怒っていたのに、言えなかった。自分の感覚は全てが間違いなような気がしていたから。もちろん、私だって他人の聖域の全ては知りません。でも、他の人には無駄に見えるものだとしても、その人にとってはとても大切な時間だったことを私は知っているのに、自分が信じられなかったがために、その人のことまで蔑ろにすることをみすみす許してしまったことが今でも許せない。そうやって否定した人のことももちろんだけど、それを知っていながらその時にはそれを守れなかった自分自身が一番ずっとずっと許せずにいます。

自分の中に、相反する感情がどちらもまざまざとあって苦しいです。
自分をゆがめたからそれが間違いだったんだ、そりゃ自分の人生があるんだから勝手に委ねられたって苦しいよね、無理だよね、仕方ないよね、それで勝手におかしくなられて不安になられて何度も揺さぶられるようなことされたらいやになるよね、と思う気持ちと、
でも、それは、そこまでしてでも、自分の中の大切なものを変えてでも、あなたと一緒にいたかったからなんだよ、と思う気持ちと
自分がいたら幸せになれないのなら、自分がどれだけ傷ついてでも、自分がどうなってでも、その人に幸せになってほしいと願う気持ちと、
じゃあそしたら私はどうなるの?私だって幸せになりたかったのに、だからそのために我慢してたのに、と勝手に理不尽に恨みがましく思う気持ちと
そんなものがぐちゃぐちゃになって、何にも言葉にはし切れなくて、結局誰にもわかってもらえない。

先生に言われて、ハッとしたのですが、安心してその人に寄りかかれていないから縋ってしまうんだって。
必死に掴んでいないと離れていってしまうって思ってるから。それって全然安心してない。本当の意味で安心して寄りかかれていない。
どっちみちもうないので。何の意味もありませんが。
安心してたはずだったのにな。どこで間違えたんだろう。なんでこんなことになっちゃったのかな。
そんな気持ちでいっぱいです。
言葉にならない。わかち合えない。
その人はもう私の言葉に耳を貸してくれることはない。まあ何度も何度も言葉の剛速球ぶつけられ続けてたらそりゃ受ける側もふらふらになる。でも本当は私だって傷つけたかったわけじゃない。そんなことが言いたかったんじゃない。
なのに伝わらない。それがやるせなくて、今もどうしたらいいのかわかりません。
心を預けすぎた、と言いましたが、それ結局は最初は安心して預けていたのに、変に逆転して、不安になりながら預けていたからゆがんでいったんだろうなとは思います。多分不安になって預けていた私は本来の私じゃない。
いやそれも私の一部というか、下限値というか、最悪の状況に置かれたときにどうなるかっていう私の姿というか状態というかの一つであるのは間違いないんだけども、それが「私」ってわけじゃないのに、それ以外もう出てこないくらいいっぱいいっぱいだったなとは。
本当に、どんな私でもここにいていいのって。安心して本当の私でいられていたらもっと言いたいこととか伝えたいこととか考えられることはたくさんあった。

でも、一つだけ。これだけは。
確かに、私は安心して相手に寄りかかれていなかったのかもしれない。つまりは、相手のこと信じずに疑ってしまっていたのかもしれない。それは、相手の思いに対してすごく失礼なことで、許されないことだってのはわかっています。
でも、そんな風に思うくらい、それは本気で、私はその人のことが好きだったから。
本当に失いたくないって思うくらい、それで怖くてたまらなくなるくらい、本気でその人とずっと一緒にいたいと思っていたからなんだと。
それは、紛れもなく私がその人のことを心から思っていたからだと思っちゃダメですかね?

なんかめちゃくちゃ長くなってしまいましたし、自分でも何が言いたいのかわかりませんが、結局やっぱり言葉になり切れていないと思いますが、そう言いながらもこんなに長々結局何か書こうとしてしまうことが私の業の深さというか、やっぱり「私」だなとは思います。これだって、見る人が見たらはあ?と思うだろうし、自分でもそう思うしまとまってもいないから正直ここに書くことをこれまで避けてきました。何度も書こうとは思いながらもまとまっていないのが目に見えていたから。
でももういいやって思って書いてます。ごく正直に。別に誰もわかってくれなくていいやって。ただ私が書きたいから、自分のために書いています。
もしそんな駄文を、ここまで読んでくださっている方がいたら、それはそれで、こんな私なんかのために時間を割いてくれて、嬉しく思います。ありがとうございます。本当に、ありがとう。

余談ですが、こうやってなんというか、吐露するような形だとうまく書けないのなら、心情描写として作品としてなら書けるのかなあ、昇華できるのかなあと思い、私小説のマガジンも作ってみました。書くかどうかはわかりませんが。心理として物語の中で書かれていたら、理解しがたい、受け入れがたい感情も楽しむ…というか、興味も持てるのかなあって。
書いた時には一作品としてもしよければお楽しみください…。

レポートでは苦労した一万字を優に超えていてウケています。それでも全然まだ私の気持ちは黒い感情がとぐろを巻いていてどうしようもねえなーと思います。またこんな風に書くかもしれません。今度は、誰のためでもなく、自分の、自分自身の、自分のためだけに。
長文失礼しました。

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