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急ぎ足のさようなら
人生は思ったよりも早い。
それはここ最近、特に感じていること。
昨年、2人の大切な友人が、まるで約束された別れのように、同じ年に急ぎ足で旅立っていった。
事前の前触れもなく、心の準備もできないまま、彼女たちはいなくなった。
最初に知らせを聞いたとき、頭の中で現実がついてこなかった。
「なぜ?」
「どうして?」
たくさんの疑問符が浮かんで消えて、気づけば心にぽっかりと穴が空いていた。
穴の中には彼女らとの思い出がぎっしりと詰まっているはずなのに、その重みが逆に空虚を感じさせる。
一緒に笑い合った日々。
無邪気に未来を語り合った時間。
「あの時が最後になる」なんて、誰も思っていなかった。
彼女らと交わした会話が、いま頭の中で再生されるたびに、涙と共に胸の奥が締めつけられる。
けれど、ある瞬間に気づいたことがある。
彼女らの死は、ただ悲しみだけをもたらすものではなかった。
彼女らの生きた証が、詩にとって何かを教えていることに気づいたから。
私たちは、限りある時間の中で生きている。
それは頭では分かっているはずだったけれど、日常に追われるうちに忘れてしまう。けれど、彼女らの急な旅立ちが、詩に「いま」という瞬間の大切さをもう一度教えてくれた。
「伝えたいことは後回しにしない」
「会いたいと思ったときに会いに行く」
「小さなことでも感謝を伝える」
そんな当たり前のことが、実はとても大事なんだと、彼女らの死が私にささやいている気がする。
彼女らはもうこの世にはいないけれど、その笑顔や言葉は、詩の中で生き続けている。そして、それは詩が生きていく限り、これからも消えない。
彼女らと過ごした時間は、詩にとって永遠の宝物なのです。
「ありがとう」
そう伝えたかったのに、言葉が間に合わなかった。
だからこそ、これから先、詩が生きていく中で、彼女らの分まで「ありがとう」と言葉にしようと思う。何気ない日常に感謝し、目の前の人を大切にする。それが、彼女らが詩に教えてくれたことだから。
彼女らの分まで、詩は生きていく。
急ぎ足で行ってしまった彼女らに負けないように、詩はしっかりと足を地につけて生きていく。
いつかまた会えると信じているから、そのとき、胸を張って「詩は生き抜いた」と言えるように。
「またね」と言える日まで。
その時まで、彼女らの命の輝きを心に灯していきたい。
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